天正遣欧少年使節とは—
「天正」10年、「欧州(ヨーロッパ)」に「派遣」された、4人の「少年」たちを中心とした「使節」団のことです
―― 時は戦国!…と、言いたいところですが、時は安土桃山時代
織田信長、そして豊臣秀吉が天下を治めていた頃
その元号の一番最初と言われているのが「天正」(1573-1593)です
1582年 時の権力者・織田信長の元、
キリスト教を広めるためローマから日本を訪れていた司祭アレッサンドロ・ヴァリニャーノは、日本での布教活動に必要な支援をローマ教皇やスペイン王たちに依頼するための計画を立てました
それは、将来日本のキリスト教を担っていくセミナリヨ(キリスト教の学校)の生徒である「少年たち」を、日本の「使節」として「ヨーロッパ」に「派遣」することでした
少年たちが直接ヨーロッパを回れば、ヨーロッパの国々に日本の存在をアピールすることができ、さらに帰国後、ヨーロッパの素晴らしさを少年たちに広めてもらうことが出来る一挙両得の方法
そのために選ばれた4人の少年たち
伊東マンショ
千々石ミゲル
中浦ジュリアン
原マルチノ
それが「天正遣欧少年使節」だったのです