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【千葉】

習志野収容所100年 ドイツ兵の日記初公開

右は稲穂、左はヘビの抜け殻か。紙片に「習志野−日本滞在の記念の品」と記されている(いずれも習志野市教委提供)

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 第一次世界大戦中の一九一五(大正四)年九月、現在の習志野市東習志野に開設された「習志野俘虜(ふりょ)収容所」にいたドイツ兵の日記が、佐倉市の国立歴史民俗博物館の企画展で展示されている。日記は二年前、遺族から習志野市に寄贈され、今回が初の一般公開となる。日独戦で捕虜となった独兵の日記や回想録はいくつか存在するが、日本に保管されているものは珍しい。習志野市教委は「今年は収容所設置百年。習志野とドイツとの関わりを振り返る、またとない機会」と話している。 (服部利崇)

 この独兵は海軍の水兵、エーリッヒ・カウル(一八九一〜一九四一年)。当時独の租借地だった中国・青島にいた一四年十一月、参戦した旧日本軍の捕虜となった。東京・浅草の収容所を経て、一五年九月から一九年十二月まで習志野収容所で過ごした。

 日記は縦二〇・三、横一六・五、厚さ一・九センチ。一四〜二〇年の記述が二百十五ページ超につづられている。日本で入手したのか、裏表紙に「篠崎謹製」と箔(はく)押しされている。独で出版され存在は知られていたが、実物が二年前にカウルの孫から習志野市に寄贈された。

 記述の大部分は収容所生活で、市社会教育課主査の松浦史浩さん(45)は「ほぼ毎日、日々の出来事を淡々と記しているのが特徴」と話す。一方で、一七(大正六)年に習志野を襲った台風被害や、食事への不満は詳細に記されている。

 収容所には最大千人弱の独兵捕虜がいた。自由を制限される一方、所内でオーケストラ演奏などを行ったり、ソーセージ製法などの技術指導もしていた。松浦さんは「ドイツ兵の捕虜が書いた記録で、市内にあるものは唯一。歴史民俗博物館での展示後、年内にも習志野で公開したい」と話している。

 国立歴史民俗博物館で行われている展示会は「ドイツと日本を結ぶもの−日独修好150年の歴史」と題し、九月六日まで開かれている。習志野市は日記のほか、独の捕虜が作り、近隣住民に贈ったとされる工芸品「ボトルシップ」二点も出展している。展示会の問い合わせは、ハローダイヤル=03(5777)8600=へ。

 

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