今日は、大勢の皆さんの前でお話をする機会をいただき、まず感謝申し上げます。僕はアメリカのミシガン大学政治学部に 2002 年から 2 年ほど留学していたのですが、そのころの指導教授が、今は亡き J. David Singer という方です。彼は、データを使った科学的な戦争研究、世界政治研究の先駆けでしたが、彼がそもそも戦争研究を始めたきっかけは彼の従軍経験でした。そして、客観的な証拠を伴って冷静に安全保障について研究しながらも、政治的な立場として「平和をもたらす科学的な処方箋を書くことが常に大事」と唱えていました。
今日は、その亡き師匠の姿に教えられながら、そして、日々さまざまな形で良い影響を受けている神戸大学の学生がシールズの活動をしている姿に勇気づけられながら、登壇をしました。
実をいいますと、この場にいる多くの皆さんと異なり、僕は日々、戦争が起こる条件を考え、戦争が起きても仕方ない場合について、データで考える作業をしています。または、時には大量殺戮が大きくなる条件、クーデターが起きて内戦がおこる条件をたんたんと授業して教えています。戦争が起こるのはある意味で仕方ない(つまり、あきらめるべきだ)という理論も教えています。
ですから、非暴力や非武装が問題解決ではない、という考えの持ち主であって、きっとこの場におられる「純粋な反対論」の皆さんとは立場は違うのだと思います。しかし、今回の安倍政権の安全保障法制ですが、明確に反対をしたいと思います。
二つの理由につきます。ひとつは、政策効果が十二分に語られていないことです。少なくとも、安倍首相はセキュリティジレンマという、安全保障理論の基本の「き」をご存じでない。または無視して答弁をしている。同盟強化は必ずしも抑止効果を発揮しません。相手国も同盟強化に反応して国防力を増強するので、軍拡の悪循環になるからです。いまの東アジアは、海軍力を軸に、同時代的に他と比較しても、または、歴史的に見ても軍拡の悪循環に陥りつつあります。こういった悪循環は、拡張的な安全保障政策によって解消はできません。いわゆるゲームの理論でいうところの、繰り返し囚人のジレンマゲームの「将来の影」の議論にあるように、未来への協調の価値を高く見積もった各国政治リーダーたち の話し合いと相互の信頼関係の構築でこそ安定が生まれます。
二つ目は、憲法改正ならまだしも、解釈改憲する姿に僕は悲しくなります。国民が選択して、集団的自衛権を行使できる国になるのであれば、理解しましょう。社会の幅広い支持があれば、今よりさらに強力な「自衛隊」、戦死者が出る「自衛隊」を支えることができ、安倍政権の思い描く安保法制も形をなすでしょう。しかし、社会の幅広い層の支持なしに自衛隊を海外に送り出すのは無責任です。中途半端で頼りない政治家の答弁のもと、法による統治を軽視して、遠い海外の、必ずしも国益が直結しない、リスクの高いオペレーションに部隊を投入することは、日本の安全保障政策として正しいことなのか、疑問符が付きます。安倍首相はおもにアベノミクスを争点にして、前回の衆議院議員選挙で大勝してい ますが、今回の安保法制は、明示的な前回選挙の争点であったとは思いません。ゆえに、本法案について、信任を国民から与えられたとは言えないと思います。
神戸新聞の 7 月 30 日の朝刊で記事にしていただきましたが、憲法学者と違って、僕のような国際政治学で安全保障を研究している専門家は、現在の安全保障政策の政策変更や改憲の可能性は頭ごなしに否定しません。しかし、大事な大事な論点だからこそ、今回の安倍首相が目指すようなプロセスでの政策変更は認めるわけにはいかないと思います。その意味で、シールズ関西のみなさんの活動を支持していますし、今回の安保法制の内容、そして手続きに異議を唱えたいと思います。