NEXT 未来のために「亡き父の年を越えて 日航機墜落事故から30年」 2015.08.27


今から30年前昭和60年に起きた日航ジャンボ機の墜落事故。
群馬県の御巣鷹の尾根で520人の命が奪われました。
(泣き声)墜落直前激しく揺れる機内で家族に遺書を残した父親たちがいました。
「哲也立派になれ」。
「みんな元気でくらして下さい。
さようなら」。
事故で父親を亡くした家族は190以上に上ります。
あの日の子どもたちが今父親の年齢を越えようとしています。
ある日突然父親を奪われた悲しみが今も続いています。
父親が亡くなった翌年に生まれ毎年欠かさず御巣鷹の尾根を訪れてきました。
今年父と同じ年になりました。
日航機墜落事故から30年。
亡くなった父の年を越える子どもたちの軌跡を見つめます。
事故からちょうど30年になる8月12日。
谷口誠さんは妻と5歳の娘を連れて大阪の実家に帰省しました。
今年39歳。
神奈川県で塾の講師をしています。
(笑い声)お帰り〜。
ユウナあ〜重くなった重くなった。
よしよし。
父親を亡くしたのは小学3年生の時。
心の傷は今も癒やされていません。
事故当時40歳。
化学メーカーで営業の主任を務めていました。
休みの日には子どもたちを公園やキャンプに連れていってくれる家族思いの父でした。
あの日羽田空港を飛び立った直後の日本航空123便です。
東京で上司の葬儀に参列した正勝さんも乗っていました。
この44分後群馬県の山中に墜落しました。
(真知子)それだけです。
(取材者)こちらの方はちょっと読めませんですかね?
(真知子)これ「まち子」って書いてあるんです。
私の名前です。
正勝さんは座席に備え付けられた紙袋に家族に宛てたメッセージを残していました。
この時谷口さんは9歳でした。
事故から10年。
谷口さんは関東の国立大学に進学し1人暮らしを始めました。
しかし事故で父を亡くした心の傷が残っていました。
気付いたのは母真知子さんでした。
大学を卒業してからも心の傷は消えませんでした。
職場で出会った妻の尚子さんと交際を始めて6年が過ぎても結婚に踏み切る事ができませんでした。
谷口さんの背中を押したのは母真知子さんでした。
遺書を残した夫の代わりに語りかけました。
結婚して父親となった谷口さん。
しかし今も不安を抱えたままです。
自分が父を亡くしたのは9歳。
娘がその年になった時自分の命が突然失われたら家族はどうなるのか。
あとはあの…。
子どもの時突然父親を失った事で命の尊さと向き合い続ける人がいます。
華道の家元です。
墜落事故で亡くなった父親の跡を継ぎました。
あの〜松竹梅に出てまいりますように日本人と竹というのは大変古くからこう歴史…。
型にはまらない作風が注目を集め全国に200人の弟子がいました。
まるい花器ですからこういろんな…いろんなところからこう…。
書斎には泥がついたままの遺品の巾着袋が置いてあります。
当時小学6年生だった片桐さんは事故の直後母親と現場に向かいました。
父の遺体は損傷が激しく親戚から対面を止められました。
父の死を実感する事ができませんでした。
4年後叔母から初めて父の遺体の状態を具体的に聞かされました。
片桐さんは事故で命を奪われた父の死の痛みを思い知りました。
今東日本大震災の被災地に通い続けています。
犠牲になった人たちを花で慰めるためです。
津波で突然多くの命が失われた震災と父を奪った墜落事故が重なりました。
2階の窓に漁船が突き刺さった建物。
部屋の真ん中に1輪の白い花を生けました。
津波で10人が犠牲となった野球場。
通路で見つけた優勝カップにグラウンドで摘んだ花を生けました。
震災で失われた命が確かにそこにあった事を花で伝えています。
片桐さんは2年間被災地を巡り200を超える場所に花を生けてきました。
父と同じ突然奪われた命と向き合いながら今年父の年を越えました。
墜落事故が起きた8月12日。
今年も御巣鷹の尾根には朝早くから大勢の遺族が慰霊に訪れました。
毎年母親と2人でこの山に通っています。
事故があった時小澤さんは母のおなかの中にいました。
生まれたのはその5か月後。
父に抱かれる事はありませんでした。
父孝之さんは製紙メーカーの技術者でした。
事故に遭ったのは今の小澤さんと同じ29歳。
入社6年目で開発プロジェクトに抜てきされたやさきの事でした。
生前の父を知らない小澤さんにとって御巣鷹の尾根は特別な場所でした。
初めて登ったのは1歳。
以来毎年登り父の墓標に自分の成長を報告してきました。
小澤さんは父と同じ技術者の道を選びタイヤメーカーに勤めています。
入社して7年。
かつての父のように責任ある仕事を任され全国を飛び回っています。
仕事で悩んだり迷ったりした時には父ならどうするだろうかそう考えるようになってきました。
この夏御巣鷹の尾根に登る前の日小澤さんは山の麓で事故の犠牲者を弔う灯籠流しに参加しました。
「30年経ってやっと同じ年齢になりました。
これからは背中を押して下さい」。
この時自分と同じ29歳という若さで突然命を絶たれた父の無念が込み上げてきました。
父の墓標を目指して御巣鷹の尾根を登る小澤さんです。
やっほ〜。
来ましたよ〜。
父に29歳の決意を伝えました。
父の跡を継いだ華道の家元片桐さんの8月12日。
ふだん書斎に置いている父の遺品に花を生けました。
父を失った心の傷と葛藤する谷口さん。
洗おう。
来年父と同じ40歳になります。
「子供よろしく」。
遺書に託した父の思いを実感できるようになってきました。
日航機墜落事故で父を亡くした子どもたち。
あれから30年。
父の年齢を越えてその先を生きていきます。

(マイケル)
これは極東の国日本を訪れた2015/08/27(木) 00:10〜00:40
NHK総合1・神戸
NEXT 未来のために「亡き父の年を越えて 日航機墜落事故から30年」[字]

昭和60年8月12日、520人が犠牲となった日航機墜落事故。大勢の子どもたちが父親を失った。あれから30年、亡き父と同じ年齢を迎えた子どもたちの思いとは。

詳細情報
番組内容
あの夏の日、父は帰ってこなかった…。事故当時母のお腹にいた小澤秀明さんは、毎年墜落現場を訪ね、父の墓標に語りかけてきた。今年、父と同じ29歳。墓前で、あの日突然命を奪われた父の無念がこみ上げ、父の生きられなかった人生を生きると誓った。父の遺書を受けとった谷口誠さんは、来年父と同じ40歳。自ら家族を持った今、遺書に託した父の思いを実感できるようになってきた。父の年を越える、あの日の子どもたちの軌跡。
出演者
【語り】藤本隆宏

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント

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サンプリングレート : 48kHz

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