アスリートの魂「生きる証のバックスピン 片腕のゴルファー 小山田雅人」 2015.08.27


小山田雅人選手。
子どもの頃に右腕を失い左腕一本でクラブを操ります。
ドライバーの…健常者と変わらぬ飛距離を誇ります。
この言葉を胸に障害者ゴルフで日本のトップに上り詰めました。
今目指しているのはゴルファーの頂点ツアープロになる事です。
普通のプロの人と争って上位に行きたいと思っているので。
まず争う舞台に自分が入れるようにしなきゃいけないなというふうに思ってるので。
そのために必要なのは高度なバックスピンの技術。
片腕では不可能に近いといわれる技です。
フォームに改良を加え実戦で試しますがなかなかバックスピンはかかりません。
右腕がないというハンディキャップが大きくのしかかります。
更にもう一つの大きな試練とも闘っています。
脳のがんといわれる脳腫瘍の発症です。
それでも愛する家族に自分が生きた証を残すため思いを貫く覚悟です。
どんなに高い壁が立ちはだかっても決して諦めない。
片腕のゴルファー小山田選手の戦いを見つめました。
去年10月第1回世界障害者ゴルフ選手権が日本で開催されました。
障害者ゴルフは将来パラリンピックでの正式種目としての採用を目指しています。
15か国から50名以上の選手が参加しました。
ナイスショット。
切断やまひなどによって脚や腕が不自由な選手たち。
ハンディキャップをものともせず健常者顔負けのプレーを繰り広げました。
(拍手)中には事故で片足を失った元大リーグの野球選手も戦いに臨んでいました。
ホスト国日本代表のエースが小山田雅人選手。
切断によって失った右腕には義手をはめてプレーをします。
ボールを打つ時は義手はクラブに添えるだけ。
それでも健常者のプロにも負けないパワーが持ち味です。
ドライバーの飛距離はおよそ270ヤード。
更に難しい距離のパッティングも…。
しっかりと沈める繊細な技術も持ち合わせています。
史上初の障害者ゴルフ世界選手権で個人9位。
世界トップテン入りを見事果たしました。
これまで小山田選手は障害者の全国大会で2度の優勝。
健常者が参加する県の大会でも2位になるなどハンディキャップをものともせず輝かしい成績を収めてきました。
右腕がなくてもなぜ健常者にも負けない飛距離を出せるのか。
(白木)こんにちは。
こんにちは。
初めまして。
初めまして小山田といいます。
お願いします。
その秘密を探るためスポーツ医学が専門の筑波大学の白木教授に動作解析を依頼しました。
ゴルファーがショットを打つ時腕のどの部分の筋肉をどのように使っているのか調べます。
健常者のプロゴルファーとドライバーのショットを比較します。
プロの放った飛距離は239.7ヤード。
健常者のプロの場合左右両腕の内側の筋肉を使ってボールを飛ばしている事が分かります。
続いて小山田選手。
221.8ヤード。
左腕一本でも健常者のプロに引けをとりません。
小山田選手の場合クラブを振り上げる時からボールを打ち終わるまで常に左腕内側の筋肉を最大限に使います。
しかしこの時健常者と全く違う部分の筋肉を使っている事が分かりました。
左腕の外側の筋肉です。
しかもその筋肉の使い方もまた独特でした。
クラブを振り下ろす時まず肩に近い部分を使い…。
次に肘に近いところ。
そしてボールをインパクトする瞬間手首に近い筋肉に力を入れています。
小山田選手は肘を曲げ左腕外側3か所の筋肉を動かすタイミングを微妙にずらします。
ムチがしなるような動きを作り出し大きなパワーを生み出していたのです。
熟練の技って言わざるをえないでしょうね。
ゴルファーの常識を覆す肘を曲げるスイング。
左腕を最大限に活用する事で失った右腕の代わりを果たしていたのです。
この独特の打ち方は小山田選手が一人で練習を繰り返していく中で身につけました。
片腕でも健常者に負けない飛距離を出すために何が必要なのか自問自答を繰り返し努力と工夫を重ねた結果です。
自分の中でここを鍛えなきゃいけないこういうところをもっと伸ばさなきゃいけないっていう思いの中でいろいろ練習をしてたんですけど。
だから右手がなくなったのを嘆いているんではなくて私の場合は腕が残された。
肘から下の腕が残されているのでそれがあった事に感謝したいっていうふうに今でも思ってるんですけど。
小山田選手のもとには体験談を話してほしいと講演の依頼が数多く寄せられます。
この日は企業の新人研修に招かれました。
いきなりキャッチボールをしてみせます。
左腕だけで素早くグラブを持ち替えてボールを投げる。
子どもの頃に自分で工夫し身につけたものです。
こんな感じです。
(拍手)手がないからじゃあできないかっていうとそんな事はなくてあるものをなんとか工夫すればできるようになる。
例えば私の場合は手がなくなりましたけど腕の部分残された部分を使う事によって今のようなキャッチボールができるようになる。
なので皆さんも…
(拍手)自分以上につらい状況でもポジティブに考えてやってる姿を見て私も文句を言わないで頑張らないといけないなって思いました。
諦めてはいけない。
明日に向かってどんどんやってもらいたいという思いがあるんですね。
障害があっても諦めない。
その思いは子どもの頃に育まれました。
精肉店を営む両親のもと4人兄弟の末っ子として生まれた小山田選手。
2歳の時ひき肉を作る機械に巻き込まれ右腕を失いました。
小学校に入ると野球に夢中になります。
左腕だけで打ったり投げたりする技術を一生懸命練習して身につけました。
小学校では4番バッター。
中学校ではエースピッチャーとしてチームを県大会準優勝に導きます。
そして甲子園を目指して高校の野球部の門をたたいた時監督から告げられたのは右腕がない事を理由にした衝撃のひと言でした。
「マネージャーやってくれ」って言われた時に「監督何を言いだすのかな。
私の事を一切見てないのにどうしてマネージャーって発想になるのかな」って思ってまあその時はちょっとショックだったんですけど。
野球で甲子園出場の夢を諦めた小山田選手。
それでも一人で健常者と戦えるスポーツがしたい。
選んだのが父と兄がしていたゴルフでした。
「私はプロゴルファーになりたい。
ゴルフ場で働いてプロ目指したい」っていう話をしたんですけどまあ父親からすれば「何を言ってんの。
手がなくてプロゴルファーになれる訳ないだろ」っていうふうに言われたんですね。
そうなのかな?でも最初野球の時もそう言われたよな。
手がなくて野球できる訳ないだろ。
でも野球やったよな。
高校卒業後県の職員として働きながら仕事が終わったあとや週末にゴルフの練習を重ねました。
2年前ゴルフ場などで教える事ができるティーチングプロのテストに合格しました。
そして今小山田選手は次なる目標に向かっています。
ゴルファーの頂点ツアープロ。
障害者ではまだ誰もなしえていません。
ツアープロを目指して今取り組んでいるのがバックスピンの技術の習得です。
その必要性を痛感したのは今年4月ツアープロになるためのプロテストを受けた時です。
このショットでグリーンに載せればバーディーも狙えるという絶好のチャンスで…。
ボールはグリーンからこぼれ落ちていったのです。
ツアープロがプレーするコースは芝を強く固めボールを転がりやすくしているためです。
止める球を打たないとグリーン上にはボールがない形になってしまうので一生懸命スピンを入れながらやってましたけども…その辺が究極のテーマなのかなとは思いますけど。
バックスピンはツアープロになるには必要不可欠な技術です。
ボールに逆回転をかけて思いどおりの所へピタリと止めたり戻したりします。
(歓声)そしてバックスピンをかけるには右腕が大きな役割を果たします。
ゴルファーはショットの瞬間右腕でクラブを強く押し込みボールに強い回転をかけるのです。
(歓声)左腕一本の小山田選手にとってこの技術の習得はかつてない大きな壁となって立ちはだかっています。
まず取り組んだのは打ち方の改良です。
クラブを真横に押すようにして打つカット打ちと呼ばれる打ち方です。
重心を今までよりも後ろ足に乗せクラブを地面と平行に打ちだします。
ボールの下にクラブをこするように当て回転をかけようと考えたのです。
しかし左腕一本ではパワーが足りず強いスピンをかける事はできません。
そこで小山田選手は下半身の強化にも取り組む事にしました。
左腕だけでなく腰の回転も鋭くしその力でより強いスピンをかけようと考えたのです。
ジムで負荷をかけながらのスクワットなどを繰り返します。
「無いものを嘆くよりあるものに感謝したい」。
これまでの自分を支えてきた大切な言葉を胸に厳しい練習に取り組みます。
障害者では誰もなしえなかったツアープロを目指し徹底的に下半身をいじめます。
小山田選手が戦っているのは体の障害だけではありません。
10年前脳腫瘍を発症しました。
脳のがんとも呼ばれる命に関わる病気です。
腫瘍の摘出手術を行ったものの取りきる事はできませんでした。
今も小さな腫瘍が数多く残っているため再発の危険とともに暮らしています。
あっこんにちは。
こんにちは。
障害と病気2つのハンディキャップを背負う小山田選手にとって大きな支えとなっているのが4歳の一人娘の真姫ちゃんの存在です。
さようなら。
さようならさようなら。
バイバ〜イ。
真姫ちゃんは小山田選手を取材したニュース番組を見るのが大のお気に入り。
うん。
ツアープロになる事は自分が生きた証を娘の記憶に残したいという思いも込められています。
一生懸命ね働いて優しいお父さんだったら残るかもしれないですけど…。
…っていうふうに思ってほしくてそれが一番の…何て言うかな思いが強くなったところなんですけど。
プロゴルファーになるために。
…っていうのが一番強い思いなんですけど。
4年前練習に専念するため25年間勤めた県の職員の仕事を辞めました。
その決心を妻の朗子さんは最初は戸惑いながらも最後には受け止めてくれました。
うすうすプロになりたいんだろうなって思ってたのもあるしやっぱりそれはもう彼にしかできない事だから片腕であれだけの成績を残せるゴルファーっていうのはやっぱほかにいないしそこは応援したいなっていうふうに思いましたね。
今は医療機器メーカーなど3社からのスポンサー支援が主な収入源です。
コースを回れない日は近所の公園で練習をします。
必ず持ち歩くのは奥さんからの誕生日プレゼントです。
野球の練習用のマスコットバット。
鉄製で重さは1.4キロあります。
体力落ちてるんですかね。
これ振って鍛えろっていう意味も込めての誕生日プレゼントだと思いますけど。
小山田選手は家族の思いも背負ってツアープロを目指します。
5月下旬。
小山田選手は北海道の空港に降り立ちました。
障害者ゴルフの全国大会に出場するためです。
つけるのは新しい義手。
激しい練習で毎年のように新調しています。
(取材者)まだやっぱり前より新しい感じがあります?そうっすね。
新しいですねこれ。
男ばっかりだと縛って下さいって言わないんですけどかわいい子がいると「すいません。
縛れないんでお願いします」って言う時がたまにあるんです。
ワイシャツとかもそうですね。
ボタン外して自分でできるんですけど「すいませんお願いします」って言うとかわいい子がやってくれるんですよね。
この大会では練習してきたバックスピンが実戦で使えるか試します。
どんな場所からでも練習どおりのスイングでバックスピンがかかるか見極めるためです。
第1組です。
小山田雅人選手。
(拍手)おおっ!
(拍手)12番ホールのセカンドショット。
バックスピンを試すチャンスがやって来ました。
回転をかけたボールはグリーンを捉え止まりました。
ボールが止まったのは落下地点からおよそ3メートルの所。
しかし小山田選手は満足しません。
ボールが落ちた所からほとんど転がらないようにしたいと考えていたからです。
更に迎えた16番ホールのティーショット。
再びバックスピンにトライするチャンスがやって来ました。
今度こそボールを落下地点でピタリと止めたい。
そう考えて臨みます。
しかしボールはグリーンを10メートル以上転がり大きくオーバーしてしまいました。
元気がいいなあのボール。
本来だったら…今の打ち方ではボールを止めるのに必要なスピンがかからない。
大きな欠陥が実戦で明らかになりました。
栃木に戻った小山田選手は打ち方を一から見直す事にしました。
試行錯誤の末これまでとは全く違うスイングを考え出しました。
前がこ〜んな高く上げたいからこっから少し…極端に言うとこうなってたのをそれを意図的にこういうふうに。
距離も出して止めるためにっていう事でちょっと左腕の負担にはなるんですけど。
これまでは重心を後ろ足に乗せクラブを地面と平行に押し出しボールをこするようにして打っていました。
しかし今度は重心を前足に置きボールに向かって上から強く打ち込みます。
地面と平行に打つのに比べ上から下にクラブを振った方が体重が加わる分より強い力をボールに伝える事ができます。
しかしこの打ち方には大きなリスクも伴います。
上から下へと打ち込むため芝生や土を削る可能性が高まります。
左腕に大きな衝撃を受けてしまうのです。
練習を重ねる中で左腕に異変が生じました。
大きな衝撃を何度も受けたため左肘に激痛が走るようになったのです。
脳腫瘍の再発のおそれとともに生きる小山田選手。
少しでも早くツアープロになるために痛みを我慢してこの打ち方に懸ける事にしました。
7月。
小山田選手に新しい打ち方でバックスピンを試す実戦の舞台がやって来ました。
健常者のティーチングプロたちとの試合です。
しかし肘の痛みは引かないままでした。
試合直前に薬をのんで痛みをごまかします。
ツアープロを目指すには健常者のティーチングプロと互角以上に渡り合う事が必要だと小山田選手は考えています。
しかしあいにくの雨。
義手の右手が雨で滑ってしまいます。
狙いどおりにボールを飛ばせずバックスピンを仕掛けるチャンスは訪れません。
義手やグリップを必死にタオルで拭き取ります。
一方健常者のティーチングプロたちは雨をものともせずスコアを伸ばしていきます。
大きく差をつけられました。
後半に入って最初のホール。
ティーショットのボールをいい位置につけようやくバックスピンを狙うチャンスがやって来ました。
しかしボールは止まりません。
グリップが滑る事を気にするあまりクラブを思いどおりに打ち込む事ができませんでした。
追い込まれた小山田選手。
闘志に火がつきました。
3番ホール。
再びバックスピンを狙える状況がやって来ました。
グリーンを捉えた球はピタリと止まりました。
落下地点から僅か1メートル。
思い描いたとおりのショットです。
練習を重ねてきたとおりに上から下へクラブを打ち込みボールに強いスピンをかける事ができました。
壁を乗り越えました。
このホールはバーディーで終わる事ができました。
結局後半の9ホールはスリーオーバー。
健常者のティーチングプロたちと互角に戦う事ができました。
ツアープロを目指して今のバックスピンの技術を更に磨いていく事を決めました。
挑戦はずっと続けて…。
まあプロゴルファーだったらねこれでいいんだっていう事はないと思うのでみんな挑戦し続けているんだと思うんですけど…。
私もプロになるまでが目標ではないのでプロになってから活躍する事が目標なのでずっと自分の目標を追い求めていきたいなって思ってます。
フフッ。
(取材者)近いですね。
かなり近いっすね。
自分の可能性を信じて挑戦を続ける片腕のゴルファー小山田雅人選手。
障害に負けない事を証明するためそして娘に生きた証を残すため。
目標を成し遂げるその日まで決して諦めない覚悟です。
2015/08/27(木) 01:30〜02:15
NHK総合1・神戸
アスリートの魂「生きる証のバックスピン 片腕のゴルファー 小山田雅人」[字]

左手一本で戦うゴルファー小山田雅人選手。「健常者に負けたくない」と技術を磨いてきた。今、取り組むのは片手では不可能と言われる「バックスピン」。挑戦の日々に密着。

詳細情報
番組内容
小山田選手は2歳の時に右腕を切断。さらに38歳の時に脳腫瘍を患い、今も命の危機を感じ続けている。それでも左手一本での飛距離はプロ顔負けの270ヤードを誇る。4歳の娘に「健常者のプレーヤーに負けなかったという姿を記憶に焼き付けておいてほしい」と、厳しい練習に取り組んでいる。健常者に勝つためカギとなるのが「バックスピン」。片手では不可能と言われる技を身につけることはできるのか。命をかけて戦う姿に迫る。
出演者
【語り】時任三郎

ジャンル :
スポーツ – ゴルフ

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
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