日台の発展に多大な寄与をして台湾で亡くなった日本人移民の方々の慰霊碑を、戦後70年の節目の年に建てたい

Challenger:播磨憲治

このチャレンジについて

今から120年前、台湾は日本によって統治されました。そして1899年には、台湾で初めての日本人移民村が、花蓮に開村しました。

その後花蓮には、台湾初の国営日本人移民村が3つ、民間移民村が2つ開村、昭和に入ってからは、台湾の西側にも日本人移民村が次々に開村しました。

しかし1945年の日本の敗戦に伴い、台湾移民の日本人達は、蒋介石からの突然の命令で、全員がわずかな所持品のみで日本へ強制送還となってしまいました。

あれから70年。今も台湾には数多くの日本人の遺骨が残されたままになっています。しかし、日本人墓地は台湾の経済発展と共に取り壊され、その上にビルが建ち公園になっています。

台湾で生まれ育った方々が里帰りしても、お参りに行くお墓はもうそこにはありません。
さらに、台湾の治安を守るために勤務されていた警察官も、原住民の襲撃を受け、数多くの方々亡くなっております。

しかし、今まで台湾の地には日本人移民のための慰霊碑はありません。そこで今回、台湾で初めての日本人移民が出来たこの花蓮の地に、先人達を慰霊するための慰霊碑建立を計画致しました。

日本の為に必死になって頑張って来られた先人達、今の台湾が親日派の方が多いと言われますが、その礎を築いて下さった先人達への恩返しに、是非皆様のご協力をお願い申し上げます。





当時の日本人移民達の生活


日本人移民村の開村当時、移民の方々の生活は決して豊かではありませんでした。
それを象徴するようなお話を、皆様にご紹介致します。

日本から花蓮・豊田村に移民をした田原夫婦。二人はまだ新婚でした。移民後、妻は妊娠。いよいよ出産の日が近づき、夫はそれまで貯めていたお金で未完成だった家の外壁のコンクリートをきれいに仕上げる事にしました。無事に女の子を出産した妻。しかし、産後妻の容態が急変、残念ながら妻は亡くなってしまいました。

お金さえあれば、すぐに市内の病院に連れいき、妻は死なずに済んだかもしれないと嘆く夫。彼は生まれたばかりの赤ちゃんを抱き、泣きながらまだ完全に乾いていない外壁に、指で「田原」と名前を刻みました。妻の亡骸は、豊田村日本人墓地に埋葬されましたが、墓石を建てるお金もなく、木製の墓標を建てただけの粗末なお墓でした。

その後彼は、男手一つで子供を育て、やっと生活も安定してきたと思った矢先に戦争。そして終戦。台湾移民の日本人達は、蒋介石からの突然の命令で、全員がわずかな所持品のみで日本へ強制送還となってしました。彼は妻の遺骨を残したまま、豊田村を去らなければなりませんでした。

一昨年、私の元に40代のご夫婦の方から連絡が入りました。「亡くなった祖母は豊田村で生まれた湾生なのですが、祖母の故郷を一目見たいので手伝って欲しい」というものでした。

事前にお聞きしていた情報から、その方が先にご紹介した田原夫婦のひ孫さんである事が判明。そして亡くなられたお婆さんこそ、あの時にお父さんが抱っこしていた赤ちゃんだったことが判明しました。

曾祖父が泣きながら外壁に書いた「田原」の文字は今でも残っています。残念ながら曾祖母様のお墓は木製の墓標だけでしたので、今はもうありませんでしたが、ご遺骨が眠っておられる日本人墓地の場所はわかり、その場所で戦後初めて、ご親族の方々によってお線香が手向けられました。







日本人墓地の現状


戦後70年。今も台湾には、数多くの日本人の遺骨が残されたままになっています。しかし日本人墓地は台湾の経済発展と共に取り壊され、その上にビルが建ち、公園になっています。台湾で生まれ育った方々が里帰りしても、お参りに行くお墓はもうそこにはありません。



(年内取壊しが決定し、緑地公園に生まれ変わる日本人墓地)


台湾の治安を守るために勤務されていた警察官も、原住民の襲撃を受け、数多くの方々亡くなっております。

しかし、今まで台湾の地には日本人移民のための慰霊碑はありません。
今の日台関係の礎を築いて来られた先人達の御霊を慰霊するものが何もないのです。


何故、台湾には親日派が多いの?


東日本大震災の時に、真っ先に日本を支援してくれた台湾。何故にここまで台湾の人達は日本を愛し、日本と仲良くしてくれるのでしょうか?

そこには、50年の統治時代に台湾で生きてこられた日本人の方々の台湾人との交流の歴史があるからです。

日本統治時代に、日本人として生きてこられた台湾人の方々。先日も、花蓮・日本人移民村のあった上大和村に行った際、当時日本人として生きておられた方々とお会いしました。
皆さん、ご高齢になった今も、非常に流暢に日本語をお話しになり、挨拶する際も「私、日本名は山下愛子と言います」と最初に日本名を名乗られます。

そして、皆さんおっしゃることは「今の台湾があるのは、日本教育のおかげです。日本人が台湾に来てくれたおかげで、私たちは教育を受ける事が出来ました。戦争中も日本人は私たちを必死に守ろうと戦ってくれました。アメリカ軍の艦載機からの機銃掃射があった時、一人の日本人の方が身を挺して子供だった私を助けてくださった。厳しかった日本人。でも、優しかった日本人。感謝の言葉以外にありません」と語って下さいました。



(日本時代、日本人として生きた台湾の方々への聞取り調査)


台湾人が日本人に対して感謝して下さっている証として、当時の建造物を地元の方々の力によって復元、保存して下さっています。
日本ですらもう見る事の出来なくなった日本建築物を、今も大切にして下さっているのです。



(地元の方々のご尽力で復元された日本建造物)


日本人として何をすべきか


同じ日本人である私たちは、単に今の日台関係のみを見て「台湾は親日派が多い」と喜んでいるだけではいけないと考えています。
そこには、この台湾の地で必死に生きてこられた日本人移民の方々のご苦労があったからです。

では、今を生かされている私たちは、この日本人移民の方々のために何が出来ているのだろうと考えた時、何も出来ていない事に気づかされました。

台湾の地に残る建造物の復元・保存は全て、台湾の人達に任せきり。この地で亡くなり、未だに遺骨が残されたままになっている同じ日本人の事すら知らない人がほとんど。

私は、今後の日台関係のためにも、また日本人として正しい認識を持つためにも、そして先人達への感謝の気持ちを現すためにも、台湾日本人移民村発祥の地である花蓮に、日本人移民の方々の慰霊碑を建てたいと思いました。

しかし、私一人の力では限界があります。どうか是非、皆様のご支援、ご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。


資金の使い道

・慰霊碑作成
・慰霊碑設置
・慰霊碑設置場所庭園整備費用
・慰霊碑祠製作・設置台 他


応援メッセージ


【東京都在住 西かおる様より】

私の母は台湾の花蓮生まれで、4才の時に終戦を迎え日本に引き揚げてきました。祖父は土木設計で花蓮築港に携わっており、「花蓮は土地も人の心も美しいところ」と聞いて育ちました。

大人になって花蓮がどんなところか訪ねてみたくなり、播磨さんにガイドをお願いして案内していただきました。

花蓮は祖父母の言うとおり確かに美しいところでした。日本ではすでに失われてしまった戦前の古い日本家屋や施設が多く残っているのを見て、日本以上に懐かしい風景だと感じました。タイムスリップしたような空間にいると、かつての日本人達の生活風景が頭の中に浮かんで来ます。

地元の方達が建物の保存に尽力してくださっているそうですが限界もあり、
残念ながら朽ち果てたり撤去されたりする家屋や施設も多いと伺いました。未開の土地を大変な努力をして切り開いてきた大勢の日本人移民がいたことも教わりました。

播磨さんはそんな先人達が生きた証を残せないかといつも考えています。
ついに「台湾日本人移民慰霊碑」「大東亜戦争花蓮空襲戦没者慰霊碑」の建立にチャレンジすると聞き、台湾の地元の方達にも、この先時が経っても、かつてそんな日本人達がいたことを思い出していただけると、同胞としてありがたいと思います。

チャレンジャーについて:

賀田金三郎研究所所長
花蓮日本人移民村資料館・賀田金三郎記念館館長
驛傳社有限公司総経理

2年前より湾生(台湾で生まれ育った日本人)の花蓮への里帰りを支援。現地での調査、案内を実施しています。
すでに、15組の湾生の方の里帰りをお手伝いしました。

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    (5)花蓮の旅(歴史街道の旅)無料ガイド券(2名様分)
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    (2)活動報告書
    (3)慰霊碑建立協力者の石碑に名前を刻銘
    (4)福容大飯店・花蓮 無料ご宿泊券(二泊三日・ツインルーム)
    (5)花蓮の旅(歴史街道の旅)無料ガイド券(2名様分)
    (6)領収書の発行を致します

    0 サポート - 限定なし

    お届け予定日 2015.11.30

チャレンジャーについて:

賀田金三郎研究所所長
花蓮日本人移民村資料館・賀田金三郎記念館館長
驛傳社有限公司総経理

2年前より湾生(台湾で生まれ育った日本人)の花蓮への里帰りを支援。現地での調査、案内を実施しています。
すでに、15組の湾生の方の里帰りをお手伝いしました。

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