ここから本文です

戦中派から君たちへ 元法相・奥野誠亮さん、正しい歴史受け継いで

産経新聞 8月18日(火)14時49分配信

 昭和20年、内務省に新しくできた戦時業務課の事務官となり、地方財政の仕事と兼務した。「油をもっと」「米が足りない」…。軍部や各省からこういった要請を受け、知事たちに供出を頼む通達を出した。

 次第に東京の空襲もひどくなっていた。3月の東京大空襲では職員50人をつれて、遺体収容の応援にいった。竹やりに針金をつけて川に入れると必ず遺体が引っかかり、本当に痛ましかった。5月の空襲では渋谷区の自宅近くに焼夷(しょうい)弾が落ちた。恐怖心なんてなかった。いつ死んでもやむを得ないという覚悟だった。

 翌朝、歩いて内務省まで向かったが、道の両側にぽつんぽつんと人がうずくまってまだ燃えていた。体は小さく、赤銅(しゃくどう)色になっていて。表参道にある銀行のビルの裏側には熱風を避けようとした20〜30人が固まって死んでいた。いまもその光景は焼き付いている。

 われわれ内務官僚の間ではもうこの戦争は負けると思っていた。でも、陸軍を抑えきれないんだよ。当時陸軍は内務省に2つの注文をしてきた。

 1つは「いずれ沖縄は放棄せざるを得ないが、降伏はしない。本土で必ず勝利を収めるから、それに対応した行政組織を作ってほしい」。2つ目は「国民も軍に協力して戦えるようにしてほしい」ということだった。

 そのとき、内務省の灘尾弘吉事務次官が私の耳元でささやいた言葉が忘れられない。「軍が国民を道連れにしようとしている。けしからん」と。戦争を終結しなきゃならんときになお無理な戦争をやっている。灘尾さんは「国民が協力しろといってもなんの武器もない。あるのは竹やりだけじゃないか」と捨てぜりふを吐いていた。全く同じ気持ちだった。

 戦争終結は天皇陛下の言葉がなければ陸軍が収まらず、日本は滅びていただろう。戦略なきまま戦争に突入してしまった。思い上がっちゃったんだ。日本全部が。

 ただあの戦争で日本だけが悪者になるのはおかしい。いいところもあれば悪いところもあった。正しい歴史を伝えて、この国のよさはしっかりと受け継いでいってほしい。

 戦前は「強きをくじき、弱きを助ける」という精神があった。いまの日本はそういう古きよきものを取り返すことが必要だ。そして自由と平等を大事にする。国民みんなで決めていく。それが理想のあるべき姿だと思う。

最終更新:8月18日(火)15時5分

産経新聞