大阪は曇り
今日はのんびりといきたいが。
最近の戦争の特集は、だんだんとホラーになっている。押し付けがましくて、見る気がしない。老人達の幼少の記憶という意味あいしかなくなってきたようにも思える。
戦争の教育では、敗戦の光景ばかりにとらわれるのはおかしいからだ。あれら敗戦特集は正しく戦争を伝えてないことが明明白白だ。もっとも悪いことは、第二次大戦の教訓になっていない。
戦争を教える時は、戦争の終わりのみに焦点を当ててはいけない。戦争のはじまりから考えなくてはいけない。
戦争は指導者はなぜ始めるか? 戦争よりも恐ろしいことが起きることが確実になったからこそだ。それを回避するために、戦争を始める。例えば、中国の日本爆撃が始まるとか、北朝鮮の核ミサイルが日本に飛んで東京が焦土と化して、二発目を準備しているとか。そうなったら、もう日本は反撃するしかない。降伏するのは論外である。それが開戦の理由となる。
一方的に破壊されてからでは遅い。そこで相手が日本を侵略する前に、戦争の準備を始める。敵国も始めているし、その脅威はしだいに大きくなっている。防衛戦は整える。そのようにして戦争の準備が整えられて、開戦にいたる。
が、戦争の終わりの部分ばかり、最近は強調する。それでは不十分である。最近の平和教育というのは、もう日本国土が破壊され、空襲で焼け野原の日本。敵軍の侵攻で大打撃の中、ジャングルを彷徨う日本陸軍。ゲリラ戦でなんとか時間を稼ごうとする日本軍。そしたらどうしよう? そのようにならないためにはどうしよう? という戦争末期ばかり強調する。そんな教育は戦争教育では失格である。
日教組や左派は、末期の様子から得られる「教訓」として、飛躍した、安易な答えとして、「戦争をしないこと」、というものがさも戦争回避の最善策かのように語られる。しかし、それは素直な子供は納得しない。物事に敏い子供も納得しない。ふつう、戦争に負けるのは戦い方が悪いからだろう、考える。
日本は米国に石油資源を奪われて、ハル・ノートという最後通牒をつきつけられて、存続の危機に陥った。それで、日本の存続をかけて開戦にふみきったのだから。戦争開始は仕方がない、とそのくらいは理解する。
では、その後、何が悪かったのか? そういうことが第二次大戦の反省となる。そういうことは何も教えない。
もう負けている状況を見せて、何が悪かったのかという学習では、あまり意味をなさない。さっさと敗戦講和すべしだった。それ以外に答えないからだ。
日教組の設問に戻ろう。空襲に遭うことを避けるために、何をすべきだったか?
彼らの問題はせいぜいその程度だ。それ以上に戦争を深く考えてはいない。様々な方策がある。戦争を始めないのはその一つである。が、賢明な答えではない。戦争しない、というのは過度な経済制裁で、日本が石油を失い何も動かせなくなることを意味する。それは日本経済的にとっては死に近い。
他にもいろいろある。制空権をとられないようにすべきだった。敗戦を早く決めるべきだった。様々、答えがあるからだ。こちらのほうが現実的で、より正解に近いのである。
敗戦の光景だけを見て、戦争そのものを考えろというのは、無理である。なにしろ、あまりに局地的、部分的では、全体を判断できないからだ。それは、適切な教材ではない。今後は戦争を考える時は、戦争の一面だけを強調せずに、もっと総合的に教えたいものだ。
日本が存立危機事態に陥った時に、どうするか? そこから始めなくてはいけない。
ゲリラ戦を称揚する空気に反論
ゲリラ戦を戦うというのは愚の骨頂である。それが、終戦時から、現代に続く日本の国家首脳の考えである。西洋の政治家たちもそう思う。が、一部、左翼や過激派などはゲリラ活動に憧れをもつ。これは悪い傾向なので、注意しておく。
最近、やたらとゲリラ戦を称揚する報道をみかける。これは最悪だ。それでは、子どもたちはゲリラ戦を最後にはしようという気持ちが生じてしまう。
ベトナム人民は米国の爆撃、圧倒力物量攻撃に対して、ジャングルでゲリラになり、それを反撃しえた。イラクで国は負けたが、ゲリラ戦で連合軍に痛手を負わせている。ガザでも、イスラエルの空襲に対抗して、都市部でゲリラ戦で抵抗した。そうやってゲリラ戦が抵抗のシンボルで、最終的な手段として有効だと思わせている。しかし、それは全体が見えてない。
帝国陸軍も日本国土で総決起で反撃しようとするゲリラ戦を構想していた。が、天皇や政府首脳によりそれは却下されている。ゲリラ戦は、国家に与える損害が尋常ではないからだ。それを選択肢に入れるのは、よほど人命を軽視する共産主義者や過激派くらいなものだ。国家の責任ある立場が選ぶ戦争ではない。
私は正直に言う。ゲリラ戦とは最低の戦いである。それは国家間の戦争で国土が荒廃して、都市部も空襲で破壊される。その後にすることだからだ。わかるかな? 国家間の戦争では、国土の大部分が焦土と化したら、もうそれだけで負けなのだ。その後、町で小さく反撃しても、大勢は覆らない。
ゲリラ戦で逆転したのではなく、ベトナムの場合は、ソ連が後ろで軍需物資を与えたから、それで逆転できた。そういう軍対軍の戦いだったからだ。だが、国土はもう枯葉剤であまり都市部も建物は残ってない。あの共産ゲリラ戦は、日本ならばけっして許されない。イラクでも、ISでも、国家間の戦争ならば、第二次大戦のように空爆ですぐにおしまいになる。制空権をとられたら、空襲で町が破壊されることは確定するから、もう敗戦としなくてはいけない。
その後に、国家は負けても、ゲリラとして闘ってもたかが知れている。イラクのように治安が悪くなるだけである。そんなことは国民は望まないし、いつまでも国家に暴力的な集団がのさばるのは、国家の安定や秩序のために、また国家の再建のためによいいことではない。
ゲリラは国土を焦土と化する戦いといえる。ガザでも、ISの支配地域でも、シリアでも、もうゲリラ戦しかやってない。どこもが、都市部の建物、ビルは大きく破壊されている。国土が荒廃している。あれでは勝利しても、何を手にすることができるのだろうか? 単に地域の支配権だけではないか。
ゲリラは格好良いと思うのは、よほど豊かさや社会の幸せに疎く、歪んだ精神なのである。社会の体制、インフラそのものが破壊されてしまっては、どうしようもないのである。反体制はゲリラになる? それはアンダーグラウンドな犯罪者の生き様である。良い子は、そんなのに憧れてはいけない。
今日は、ゲリラ戦は最低で、地下犯罪まがい、ということは覚えた。
本日の被害
腰のあたりが痛む。書店で昨日、目がしょぼついた。
以上