櫛枝実乃梨
櫛枝実乃梨は何を考えているのかわからない。変幻自在な奇行にカモフラージュされて、心の奥が見えない。そんな実乃梨が初めて心の一端を見せたのは、夏休み、亜美の別荘で竜児と話した時だったと思う。
「高須君は幽霊って見たことある?私は、幽霊はいるって信じてる。でも、本当に見たことはないし、見たことがある人の話も、全然信じてない。」とらドラ!には、見えないもの、見えてはいるが真実ではないものが多く登場する。「幽霊」もそんなモチーフの1つだ。幽霊は実乃梨にとって恋愛の象徴で、幽霊を見たいと思うように、恋愛したい願望はあるが、遠いものだと感じている。なぜなら、実乃梨には「見えているもの」があるからだ。
「それとさ、同じように思うことがあるの。私もいつか、恋愛して結婚して、幸せになるって、信じてる。けど、実際に誰かとそんな感じになったこと、ないんだよね。世の中の、当たり前に恋愛してる人たちが、私にはとても遠い。だって、私には、見えないんだもん。やっぱり幽霊はいないんだ、一生見れないんだって、あきらめかけてる。だから、質問の答えは、『いない』」
見えているもの
「覚えてる?私には見えてるものがあるって言ったこと」実乃梨は性別上の理由で野球を続けられなかった。大好きな野球を辞めなければならなかったことは、その後の生き方を変えるほどの大きな挫折だった。それでも、実乃梨は負けたくなかった。弟に対しても、社会に対しても、「女だから」という理由で負けるのは嫌だった。
「それはね、自分の中の意地なんだ」
「野球やってる弟の事話したじゃん?私も昔は野球やっててさ、ぶっちゃけ私の方が才能上だった。でも続けられなかったんだよね。女子だって理由で」
「だからね、お金を貯めてね、自力で体育大に進んで、ソフトの全日本を目指すの。でね、世界中に叫ぶの。 『私の選んだ、掴んだ幸せは、これだぜ!!』って。ただの意地」
実乃梨はソフトボールの全日本代表を目指すことにする。目標は高く、道は険しく、泣いている暇などなかった。実乃梨の両親は、プロ野球選手を目指している弟の夢を最優先にし、実乃梨の夢を後回しにした。中学の担任には夢を笑われた。それでも、実乃梨は自分の夢はちゃんと叶うと証明したかった。自力で体育大に進んでソフトを続けるために、部活をする傍ら、バイトを幾つも掛け持ちして、気の毒になるくらい体を酷使して働いた。
「自分の幸せを自分で決め、自分だけの力で幸せになる」
この目的のため、実乃梨はすべてを犠牲にして走り続けた。
見えないもの
実乃梨は高須竜児が好きだった。好きになった時期は明確になっていないが、ずっと好きだった。竜児が自分に好意を向けてくれていることも知っていた。しかし、親友の大河が竜児を好きなことにも気付いていて、大河が竜児を必要としているなら譲らなくてはいけないとも思っていた。そんな親友への「罪悪感」を理由にして、恋する気持ちから目を背けていた。16話、実乃梨は大河の落とした生徒手帳に北村の写真が入っていたことを知る。
「罪悪感は消えた?」
亜美の嫌味が痛烈に実乃梨の心を抉った。大河が北村を好きだったとなれば、大河を言い訳に使うことはできなくなる。「罪悪感」を理由にして目を背けていた感情と、実乃梨は真摯に向き合わなければならなくなった。
実乃梨は、女であることと戦い続けている。男であれば叶えることのできた夢を選べなかったことに絶望し、それでも弟や男や社会に負けたくなくて、オリンピックでソフトボール全日本代表になることを目指している。
「自分が選んだ幸せを自分の力だけで掴みとる」
その信念のもと、実乃梨は全てを犠牲にして生きてきた。
女としての性を受け入れ、当たり前に恋愛して、結婚して、誰かに幸せにしてもらうことは、夢の挫折を意味している。だから、実乃梨にとって夢と恋愛は両立しえないものだった。
実乃梨の葛藤
『見えないものへの憧れ』と『見えている意地』の間で葛藤し、実乃梨は部活に集中できなくなった。真面目に練習してきた実乃梨にとって、試合中に関係ないことに気を取られてエラーを起こしたことは、絶対に許せないことだった。実乃梨は竜児と距離を置き、練習に打ち込むことに決める。部活に専念しようと決めた実乃梨だったが、練習中に打ったボールが体育館の窓ガラスを割り、クリスマスツリーを倒し、大河の大切な星のオーナメントを壊してしまう。責任を感じた実乃梨はオーナメントを独りで直そうとするが、ここでも竜児の優しさに触れ、その優しさに心が痛むのだった。
クリスマス・イヴの夜、実乃梨は大河の本当の気持ちを確かめるために大河の家に向かう。そこで見たものは、竜児の名前を泣き叫んでいる大河だった。大河の気持ちを悟るには、それだけで十分だった。
「UFOも幽霊も、やっぱり私には見えなくていいって思うんだ。見えないほうがいいみたい。最近色々考えてね、そう思うようになったんだ」
実乃梨は、遠回しに「恋愛しない」ことを伝え、竜児の言葉を拒絶する。
年が明けて3学期が始まる。実乃梨は、年末の様子が嘘のように元気だった。大河が竜児を好きだったことに安堵した面もあったのだろう。
修学旅行のしおりを作るために大河の家にみんなで集まった時、実乃梨は呟く。
「ずっとみんな、このままだったらいいのにね」
実乃梨は何も変わらないことを願った。もう何も壊したくなかった。
実乃梨は大河からヘアピンをもらう。このヘアピンは、イヴの夜、竜児が実乃梨にあげようとして渡せなかったものだが、実乃梨はそのことを知らなかった。大河との変わらぬ友情の証、ずっとこのまま変わらないものの象徴として、ヘアピンをつけたように思う。
ママゴトのせいで大河が傷ついていることを知っている亜美は、本心を見せず半端な態度を取り続ける実乃梨にムカついていた。修学旅行先のスキー場で、亜美は実乃梨を挑発し、ついに殴り合いの喧嘩になった。
実乃梨が殴られた際、つけていたヘアピンが外れて飛ばされる。誰もピンに気付かなかったが、「絶対になくしてはいけない大事なものだ」と思っていた大河だけは、ピンが飛ばされたことに気付いた。大河はピンを拾いにいく。
担任が現れ、やっと騒ぎが収まる。一息ついた竜児は大河がいなくなったことに気付く。
大河を探す竜児達だったが、見つからないまま夜になった。竜児、実乃梨、北村の3人は、強い吹雪の吹く中、もう1度大河を捜索しにいく。竜児は崖下に光るヘアピンを見つけ、それを手がかりに大河を救出する。
実乃梨はこの一件で、大河がヘアピンを拾いにいって遭難したこと、ヘアピンが実は竜児からのプレゼントだったこと、ヘアピンをつけることで竜児を傷つけていたことを知った。これが実乃梨の中で決定打になった。
「私はもう迷わない!ちゃんと前を向いて見えるものに突進していく」
修学旅行を終えてからの実乃梨にもう迷いはなかった。
告白
バレンタイン。教室で大河は竜児たち4人に手作りチョコを渡す。その際、竜児のついていた嘘が実乃梨にバレる。実乃梨は竜児の嘘が許せなかった。そして、大河の自己犠牲はもっと許せなかった。実乃梨は大河に真実を告げ、本当の気持ちを聞き出そうと問い詰める。「私はただ、みのりんが幸せになるように!大好きなみのりんが、幸せに、」
そう口にした大河に実乃梨は反論する。
「ふっざけんな!!私の幸せは、私がこの手で、この手だけでつかみ取るんだ!!私には何が幸せか、私以外の誰にも決めさせねぇ!!」
実乃梨の強い信念を感じさせる言葉だった。
自分の気持ちを知られてしまった大河は泣きながら教室を飛び出す。
「高須君、私は大河を追うよ。まだ話は終わっちゃいないからね。君はどうする?」
選択を迫る実乃梨。 竜児は決意ある表情で「追いかける」と答えた。
竜児は大河を選んだのだ。もう、ずっとこのままではいられない。
実乃梨は大河を追いかける。大河にも聞こえるように隠していた本当の気持ちを叫ぶ。
「大河聞こえる?ねえ大河!あんたはずっと知りたがってたよね?」実乃梨は竜児のことが好きだった。でも実乃梨には夢への意地があって、どうしても竜児を選べなかった。だから実乃梨は、「大河には竜児が必要」だと思いこみ、"大河の幸せ"を勝手に決め付け、それを言い訳にして、竜児への思いを諦めようとした。傲慢な勘違いだった。
「私も・・・私は、高須君が、高須竜児が好きだよ!好きだった、ずっと好きだった!でも、あんたに譲らなくちゃとも思ってた!親友のあんたが高須君を必要としてるならって・・・それは、傲慢な私の勘違いだったんだ!私も、あんたを舐めてた!」
「さっきも言ったよね?私の幸せは私が決めるって!同じようにあんたの幸せも、あんたしか決められない!だから・・・だから!大河!あんたのやり方も見せてよ!」
ジャイアントさらば!
結局、2人は大河を捕まえられなかった。実乃梨は竜児に自分の気持ちを打ち明け、大河の元へと送り出す。
「ジャイアントさらば!見えてるものに走り出せ!」
実乃梨は自分の心に真摯に向き合い、悩み、葛藤し、答えを見つけ出した。そんな実乃梨だからこそ、「見えてるものに走り出せ!」という言葉は胸に響く。最後まで気丈に振る舞い、笑顔で竜児を見送った実乃梨。天晴れだった。 「廊下で転ぶと鼻血が出て、人生で転ぶと涙が出るんだ」
実乃梨は亜美の前で涙を流す。野球をやめなければいけなかったあの日からずっと、実乃梨は泣かずにやってきた。実乃梨の涙は「大河に竜児を取られたから」なんて単純なものではない。意地を張って不器用な生き方しか選べなかったことに、わけもわからず涙が出てきたのだ。
亜美の前で泣いたことで、実乃梨はやっと自分に決着をつけられた。涙を拭った実乃梨は、また夢に向かって走り出す。見えてるものに向かって全速力でかけていく。
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