わたモテの特異性
00年代『あずまんが大王』、『らき☆すた』、『けいおん!』といった日常系アニメが爆発的にヒットした。日常系アニメとは、ストーリーを極力排除し、キャラクターの日常を淡々と描き、その雰囲気や空気感を楽しむことを主な楽しみ方とするアニメのことだ。
『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』(以下、わたモテと略す)も、黒木智子の日常を淡々と描く日常系の作品だ。とはいえ、わたモテは先に挙げたような日常系アニメとはだいぶ違ったもののように感じる。
日常系アニメは雰囲気や空気感を楽しませるために、視聴者が憧れるようなとても居心地の良い環境になっている。ヒロインがみんな美少女であったり、友達にお金持ちのお嬢様がいたり、放課後自由に使える教室があったり、その世界で暮らしたくなる要素がたくさんある。現実というより理想に近く、日常というより非日常だ。
しかし、わたモテにそういった居心地の良さは無い。仲間と過ごす充実した日々も、甘美な思い出も、ご都合主義で起こるアクシデントや奇跡も、わたモテにはない。他のアニメだったら簡単にうまくいくことが、うまくいかない。
憧れのJKライフ
日常系アニメのヒロインは大抵恵まれている。裕福な家庭に生まれ、可愛い顔をしていて、何かできる才能や特技があり、人に好かれるお茶目な性格をしている。コミュニケーション能力が高く、ストーリー開始以前から親しい友達がいて、作中でもっとたくさん友達が増える。日常系アニメのヒロイン達は基本的にリア充なのだと思う。
そんな希望に満ち溢れたリア充向け作品(リア充が共感し、非リア充は憧れる作品)に対する反感や不満から産まれたのが、「はがない」であり、「惡の華」であり、「わたモテ」なのではないかと思う。しかし、「はがない」が隣人部という自分たちの居場所を奇跡的に作りだしたのに対して、「わたモテ」は本当に何の奇跡も起きない。
「おかしいな、女子高生だが、二か月近く高校生と会話してないぞ」
わたモテ1話、主人公、黒木智子は昼食の弁当を独りで食べながら、自分がぼっちになっていることに気づく。女子高生になれば何もしなくてもモテると思っていた智子が、初めて期待と現実のギャップに気づいた瞬間だ。このまま何もしなければ人生詰んでしまうと思った智子は、どうにかして友達や彼氏を作ろうと行動を起こす。
しかし智子の友達になってくれる人はなかなか見つからなかった。なぜなら、智子は普通の日常系アニメヒロインとは違って、容姿も悪く、特に秀でた才能もなく、そして何よりもコミュ障だったからだ。
黒木智子は友達が少ない
コミュ障とは以下のような特徴を持つ人のことを言う。1、人見知りで口下手。話すこと自体が苦手智子はコミュ障の典型だ。普通に会話ができるなら友達の一人くらいできそうなものだが、その「普通」が智子には難しい。事務的な会話や挨拶をするだけで精一杯だ。
2、周りの人間を見下していたり、まるっきり関心がない
3、空気が読めない。もしくは必要以上に空気を読む
4、相手に何を話せばいいのかわからず、事務的な会話しかできない
5、そもそもぼっちなので話し相手がいない
6、自意識過剰。「嫌われてるんじゃないか」という前提で考えてしまう
7、自分に自信がない
だから智子はどうにかして逆に話しかけてもらおうと試みる。ケータイ電話を使って小芝居をしてみたり、時にはアニメに影響されてキャラクターを演じてみたり、その意味不明な行動はコミュ障そのものだが、コミュ障なりの努力であり、彼女は真剣なのだ。
智子は友達が欲しいと思っている一方で、普段は誰にも話しかけないので、周りに一人でいるのが好きな人間だと思われている。実際、智子はぼっちでいるのに慣れてしまっていて、ソロプレイを楽しもうとすらしている。
コーヒーショップやハンバーガーショップにも一人で行くし、花火だって一人でする。友達が欲しいのは本当だが、一人でいるほうが自由で気楽なのだと思う。
しかし本当は勇気を出してクラスメイトに声をかけなければならないのだ。昼休みに屋上前の机でソロプレイを満喫していても友達なんてできない。
黒木智子の憂鬱
中学校の頃、智子には成瀬優という地味でアニメオタクな友達がいた。別々の高校に進学し、しばらく会っていなかったが、久しぶりに優から電話があり、遊ぶことになる。再会した優は以前とは見違えるほど変わっていて、可愛くなっていた。そこで優に彼氏ができたことを知った智子は、優を遠くに感じ、さらに『ひとりの世界』に閉じこもることになる。 わたモテにおける優は、智子と対比される存在だ。智子が成りたかった女子高生、成ろうとしても成れなかった女子高生、憧れであり理想。だから優と比べた時に、変われなかった智子の残念さ、惨めさはより際立つことになる。その一方で、智子にとって優は、かけがえのない唯一の友達だ。外見が変わっても、彼氏持ちのリア充になっても、変わらず大切な親友なのだ。
文化祭2日目、優は智子に会いにやってくる。それから一緒に展示を見たり、アニメの話で盛り上がったり、他愛のないやり取りをしたり、2人で文化祭の日を過ごす。
「あれ、楽しい。学校なのに、文化祭って友達がいるだけでこんなに・・・」
智子は友達と過ごす学校の楽しさを思い出す。明日からまた楽しくない学校生活が始まることを知りつつ、智子は笑顔で優を見送る。アニメでは原作よりもウエットに演出されており、わたモテで一番切ないシーンだ。
私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!
結局、作中で智子に友達はできなかった。間違った行動をしているから、できなくて当然なのかもしれない。しかし、智子が実のない努力をしていても応援したくなるのは、「モテたい」という感情に共感できるからだと思う。わたモテの日常は現実に近いが、智子のポジティブさだけはフィクションだ。いつも前向きで、失敗してもへこたれず、「ほんと、どうでもいいわ」と言って笑いとばすその姿は清々しく、励まされるような気さえする。
「つらいことや悲しいことは人生を楽しむためのスパイスだって誰かが言ってたけど、スパイスばっかだよ。カレーしかできねぇよ」本当にそうだ。現実はアニメのようにうまくはいかない。たくさん失敗もするし、たくさん傷つくし、たくさん泣く。それでも嫌なことばかりじゃなくて、たまに良いこともあって、世界は自分が思っているよりも優しいのかもしれない。わたモテを見ながら、私は今日も頑張ろうと思う。