"子供がなにも知らずに一生懸命することはあまねく面白い"ことについて~ゆかるんの二十歳の誕生日に寄せてなど
"子供がなにも知らずに一生懸命することはあまねく面白い"ことについて、いい例が、私が再三にわたって挙げる赤毛のアンです。
私はアンは利発過ぎる子だったので、どのように社会と折り合いをつけていくか?の物語と思っています。
(というか、いまの私が読めば、社会と折り合いつけ過ぎたところもあるかも知れませんし、もうちょっと異なった物語にできるようにも思います)
然るに、私ほど感情移入して観る人はいないために(特定の登場人物に感情移入してはならないと私は主張しますが、私自身はどうも複数の人物に均等に感情移入しているようです)、多くの人がアンの行動に対して笑ってしまいます。
いや私だって笑うところが多々ありますが。
それを考えると、自分の心からの行動が笑いを呼ぶというのは、恥ずかしいどころか、誇らしいことなのです。
私は、ありきたりの内容が嫌でもう何十年と観ていませんが、サザエさんだって、笑われるために生きているわけじゃないでしょう。
人々を笑顔にさせられる話題を自分が作り出せるって、とても幸せなことです。
いくら子供を産んでみたところで、その子供が嫌がる行動ばかりする親は、親とは言えません。(いうまでもなく大西弘子のことです)
それと比較すると、子供を笑顔にさせられる大人は、その子供の親と同然、いや親以上の影響力を持っているといえます。
ゆかるんは、自分の行動を2,3歩引いた目で見て、自分がサザエさんのように・・・・・・はイヤかw(サザエさん24歳の設定やからあと4歳しか違わんけど。そういや私もバカボンパパまであと1歳か)、アンのように、人々を笑顔にさせられると思って、自分をネタにしたらいいと思います。
私なんて自分の失敗談をどれだけネタにしてきたことか。
それだけでなく、私は行動自体がバカ正直で面白いらしくて、どこへ行ってもだいたい笑いのネタになります。
(その私を笑いのネタでは済ませない者どもが確実にいるのです)
そういえば、父親は私の子供の頃のネタを楽しそうに話していました。
こういうのは本当の愛情と思います。
大西弘子が私のことを話しても、全部自慢話になり、私はなにひとつ楽しくないのです。
そういえば、大西弘子の会話で私が笑ったことは、一生でただの一度たりともありません。
大西弘子には、人を笑わせる、楽しませるという概念が一切欠落しています。
相手のことをおもんぱかる能力が全くない、といいますか。
大西弘子の12歳上の兄の松本武にもそういうところがあり、松本武と、6歳上の姉の笹倉松子とはそりがあわなかったようでした。
大西弘子はのらりくらりと両方についてましたね。
私が大西弘子の立場ならば、松本武と生き別れてました。
てか大西博昭が松本武を毛嫌いしていましたが、松本武は呑ん兵衛のジジイで、私が行ってもワケワカラン説教を聞かされて苦手でした。
ところが、大西弘子は松本武が高校の生徒会長をしたことがものすごく自慢らしく、松本武を絶対の存在とみなしていました。
松本武は大西弘子の12歳上なので、大西弘子が高校の生徒会長というのがどんなものか理解するにはだいぶ時間がかかります。
いま改めて考えると、大西弘子の、自分の血族意識といいますか、自分がどう行動するかではなく、血族の自慢をするところは、かなり若い頃より作り上げられたとわかります。
大西弘子からそれだけ自慢されれば、大西博昭が松本武を毛嫌いしたことにもじゅうぶん納得がいきます。
全部大西弘子の自業自得なのです。
大西博昭は、高校時代のマラソン大会で、ウンコしたくなって民家に駆け込んだと言ってました。
大西博昭には人間味がありました。
だから私はいま、大西博昭をさほど悪くは言ってはいません。
大西弘子には人間味を微塵も感じない。
だからこそ私は、ロボットと同様に、大西弘子に対しては機械的に死ねと言えるのです。
大西弘子への怨みは、消えません。
いまもって増えつづけています。
最後に、改めてもう一度書きます。
人々を笑顔にさせられる話題を自分が作り出せるって、とても幸せなことです。
人々が思い返したい、懐かしい思い出となって残るのです。
ゆかるんの行動のいくつかは、既に私にとって、思い返したい、懐かしい思い出になっています。
ゆかるんには、大勢の思い返したい記憶に残るよう、自分の失敗談なんかも笑顔で語れるようになって欲しいと思います。
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