来月8日告示の自民党総裁選は、安倍首相の無投票での再選の可能性が高まっている。

 各派閥はこぞって安倍氏の再選支持を決めた。無派閥の野田聖子氏が立候補を模索しているが、必要な20人の推薦人を確保するめどは立っていない。

 谷垣幹事長は「必ずしも無理に争いをつくる必要はないのではないか」と語り、無投票で問題ないとの考えだ。

 だが、こうした考え方には、納得がいかない。

 安倍氏は2012年の総裁選で石破茂氏らを破り総裁に返り咲くと、3カ月後の衆院選で政権に復帰。13年の参院選と14年の衆院選にも連勝した。

 懸案だった経済では株価を上げ、いま首相たる総裁を交代させる理由はないということなのだろう。延長国会で安保法案が審議中という事情もある。

 それでも3年に一度の総裁選は、党員だけでなく一般の有権者にとっても大きな意義がある。首相の向こう3年のビジョンは何か、政策の優先順位はどうか、それに代わりうる選択肢はあるのか。これらを問う貴重な機会である。

 金融緩和による景気浮揚にかげりが見えてきた経済政策、エネルギー政策における原発の位置づけ、近隣外交の立て直し、そして安全保障――。論じるべき点はたくさんある。

 こうした政策論争の場を自らつぶしてしまうのは、政権党として責任放棄だ。

 各派が早々に再選支持を決めた背景には、安倍氏に挑むよりも、その後の内閣改造や党役員人事でよりよいポストを得たいという思惑もうかがえる。政権党として、あまりに内向きな姿勢ではないか。

 衆院での小選挙区制と政党交付金の導入で、公認権と資金の配分を握る党執行部の力が強まった。派閥のボスが群雄割拠する時代は去ったが、OBからは「党全体が上ばかり見るヒラメ化した」(山崎拓元幹事長)とのため息が出る。

 派閥間のむき出しの権力闘争が影を潜めたのはよいとしても、まっとうな政策論争まで失われては本末転倒だ。

 このところ自民党議員と言えば、報道を威圧する発言や新規公開株をめぐるトラブルなど、議員としての資質を疑わせるような情けない話ばかりが取りざたされる。

 400人を超える議員を擁する大政党だ。それなのに、20人の推薦人をかき集め、安倍氏に堂々と政策論争を挑む気概のある議員は一人もいないのか。

 政権党の真価が問われる。