「人間は他人の人柄や性格を鑑賞する動物である」。このように考えると、様々な現象を上手く説明できる。
たとえば、ワイドショーやニュースに多くの人が夢中になるのは「芸能人の私生活を見たがるゲスな好奇心」からではなく「芸能人の人柄や性格を鑑賞したがっている」からであると考えれば、何となくすっきりする。
中間管理職が司馬遼太郎を読むのも、主婦が東野圭吾を読むのも、中学生がライトノヴェルを読むのも、幼児がアンパンマンを見るのも、みなフィクションを通して登場人物の人柄や性格を鑑賞しているのである。
ブログも同様で、書いてある内容が素晴らしいかどうか、正しいかウソか、愚痴か自慢か、真面目な話かバカ話か、そういった要素はあまり重要でなく、単に書き手の人柄や性格を鑑賞しているだけのことである。
仕事には無駄が多い。会議、挨拶、しきたり、打ち合わせ、社交辞令、雑談などはみな、お互いの人柄や性格を鑑賞するための補助的な仕組みなのである。
他に恋愛、結婚、子育て、趣味、スポーツ、政治、経済、教育、犯罪、テロ、戦争、いずれもみな他人の人柄や性格を鑑賞するためにできているのである。
「そんなの嘘だ!僕は、全く他人に興味を持てません!」
という人は甘い料理に入れる塩のような、いわば隠し味的存在なので、それなりに重要な役割を果たしている。