山崎元のビジネス羅針盤
「子会社」の評価と処世術
2013年10月23日
ドラマ「半沢直樹」の最終回は“妥当”だ
今世紀に入ってからのドラマとしては最高の視聴率を最終回で記録したという話題のドラマ「半沢直樹」(TBS)は、主人公の宿敵と見えた大和田常務(演じたのは香川照之さん)が、大きな不正が暴かれたにもかかわらず、常務から平の取締役への降格で本行に残り、主人公の半沢(堺雅人さん)は、部長職とはいえ大きいとはいえない銀行の証券子会社への出向を言い渡されるシーンで終了した。
この結末を「納得しにくい!」と思われた視聴者が多かったのではないかと想像する。しかし、ドラマの中でも説明があった通り、劣位の合併行のトップである大和田を、弱みを握りつつ恩を売って配下に置くことは頭取として全行を掌握するために合理的な人事戦略だったし、正義の側だったとはいえ、トラブルを社内で表沙汰にした半沢をその直後の人事でまで勝たせるわけには行かなかったことは、サラリーマン常識的には、至極妥当な結末だった。
子会社は何がちがうのか?
さて、半沢が出向を命じられたような「子会社」での働き心地は、彼のように親会社から出向する者にとって、いかがなものなのか。また、転職を考える場合に、転職先が、何らかの会社の子会社であるというケースは少なくない。この場合に、その会社をどう評価するといいのか。本稿では、特に後者の問題に重点を置いて考える。
ちなみに、筆者は、過去に数回、「子会社」に勤めたことがある。はじめは投資信託の運用会社。これは、一定以上の人事は親会社が差配するような、親会社から来た役員が会議の席で親会社のことを「本社」と呼ぶような、直系の子会社だった。
次は親会社が海外にある投信会社だ。外資系の会社が日本に置く支店や現地法人は、日本人がトップにいても、たいてい本社の強いコントロールの下にあって、「子会社」と同じ立場だ。
その後は、銀行系のシンクタンクに勤めた。こちらは、自由な雰囲気のシンクタンクだったが、親会社ががっちり掌握している会社だった。管理職の要職には親会社からの出向者が配されていた。
その後勤めた証券会社は、会社が軌道に乗ってから買われてグループ入りした会社だった。親会社と同じビルに入っていることもあり、一本部のような距離感であり、典型的な子会社の雰囲気ではない。
このように、一口に「子会社」といっても様々なケースがある。
働き心地は親会社組とプロパーの関係で決まる
何らかの会社の「子会社」に転職する場合、是非、やっておきたいことがある。それは、親会社からの出向者・転籍者ではない、プロパー(生え抜き)社員の率直な意見を聞くことだ。
子会社の働き心地は、親会社組とプロパー組の人間関係で大半が決まる。両者が反目している会社は、風通しが滞り、雰囲気が悪い。この実態は、親会社から乗り込んできた経営幹部に幾ら質問しても分からない。仮に雰囲気の悪い会社でも、親会社から来た幹部は建前の綺麗事を並べるだけだろう。
また、子会社でも、もともと別会社だったものが、親会社に買収された会社である場合、旧組織の出身者と、新しく親会社から来る人々との間で、カルチャーの違いがあったり、派閥争いがあったりすることがある。
筆者の経験でも、万事に「ゆるい」雰囲気の会社と、堅苦しい文化をそのまま持った会社の合併会社では、両出身組織の人々が打ち解けることが難しかった印象を受けた。力関係がはっきりしていたので、派閥争いは起こらなかったが、会社の雰囲気はいいとは言えなかったかもしれない。若手社員同士は、そのうちにそれなりに仲良くなるのだが、30代後半以降の中堅社員以上はお互いに打ち解けることが難しかったように見えた。
子会社に限らず、合併会社に入る場合は、支配する側の組織のレポート・ラインから採用されて入社する形であることが重要だ。人の採用は、支配側が権限を持つことが普通だが、誰に採用されて、誰の下で働くのかを、しっかり確認しておく必要がある。ここがはっきりしていないと、「根無し草」的な孤立した社員になってしまうことがある。これは、外資系の会社に入る場合にも、重要なポイントであり、「外資は、会社ではなく、レポート・ラインを見て入れ」といわれるくらいのものだ。
頻繁に起こる政権交代
日本の運用会社の多くは、証券会社なり、銀行なり、大手の金融機関の子会社であるケースが多く、端的にいって、社長は親会社から「天下って」来る。誰が社長になるかは、その仕事に対する本人の向き不向きや能力ではなく、親会社内の人事の都合で決まることが多い。
新社長が着任すると、ほどなく、新社長と親しい部下(親会社時代の部下であることが多い)が、子会社の要職にやって来る。そして、もともと子会社にいた人々も、それぞれの流儀と距離感で、新しい権力者に取り入ろうとする。こうした人事の様子を見ると、筆者は、いつもなぜか、童話の桃太郎を思い出す。桃太郎(新社長)が部下の犬・猿・キジを連れて、鬼ヶ島(子会社)を征服しに来るイメージなのだ。
そして、桃太郎は、鬼ヶ島で自分の流儀を早く実現しようとする。大きな銀行や証券会社と違って、数百人、数十人といった子会社は、新社長にとって自分流の経営を押しつけやすい規模の対象なのだ。
この場合、以前の社長から厚遇を受けていた社員が、一転して冷遇されることもあり、ある種の政権交代に似ている。社歴の長いプロパー社員は、こうした政権交代を何回か見ているので、気分はすっかり醒めているが、若手社員や中途採用の社員がこうした事態をはじめて見ると驚くことになる。
普通の会社でも、社長の交代に伴う政権交代のような事態はあるが、子会社の場合、これが、親会社の都合で頻繁に且つ不連続に起こるのだ。
子会社の「ガラスの天井」
もう一点、特に、子会社に転職する場合に考えておきたいのは、将来のポジションの可能性だ。
転職で入社する場合は、親会社に在籍するのではなく、その子会社のプロパー社員の立場で入ることが一般的だろう。この場合に、親会社から来る人々との関係が問題だ。
親会社から来た社員は、親会社に籍があって、親会社に人事管理されている「出向者」と、子会社に籍を移した「転籍者」の両方がいることが多い。前者には、親会社からどう見られているかばかりを気にして、「心ここにあらず」的な人もいるし、親会社での出世を諦めて、少々ふてくされている人もいる。
子会社に転職で、あるいは新入社員として入る人にとって問題なのは、将来の出世の可能性が限られることだ。社長は親会社から来るし、経営を主導するポジションも殆ど親会社から来る。
平取締役か、副社長か、あるいは部長か、どの辺のポジションであるかは会社によるが、子会社のプロパー社員には、これ以上出世できない「ガラスの天井」的な限界がある。(注:ガラスの天井とは、マイノリティや女性の出世に限界がある場合の比喩としてよく使われる表現だ)
「職人」的な感覚で仕事に充実を求めて、出世を求めないタイプならいいかも知れないが、そういうタイプであっても、仕事の理解が乏しい親会社出身者に管理されるのは不愉快であるかもしれない。また、親会社からの出向者の方が同年齢・同役職でも年収が高い場合もあって、こうした事が気になって、仕事のモチベーションが下がることもある。子会社には、子会社独特の重苦しさがある。
一方、子会社には、仕事の内容が絞り込まれているので、早く仕事を覚えることができたり、親会社よりも若い年齢で管理職的な経験を積むことが出来たりするような、経験の面でのアドバンテージを持つ場合がある。
やりたい仕事がはっきりしている場合は、親会社から子会社への出向を希望してみるのも一つの手だ。
但し、子会社のプロパー社員の場合は、仕事上の十分な自己実現を果たすためには、転職を考えなければならない場合がしばしばある。若い社員は特に、早く仕事を覚えて、腕を磨いて、転職する、というコースを念頭に置いておくといい。
実は、銀行系の運用会社にあって、当時部長だった筆者の部下は、筆者が転職した後だが、全員が転職した(もちろん、全て本人の自発的な意思による転職だ)。それぞれ幸せに働いているようであり、何となく満足している。