久保正雄という男がいた
テーマ:ブログ古い写真の山のなかから見つけましたよ。
後列左から右へパット・ブーン、松尾和子、久保正雄氏、松尾の前が小生。久保氏については少々説明がいると思うので、のちほど。
場所は飯倉片町に近いナイトクラブ「リヴィエラ」。年代は定かでないが、1962、3年(昭和37~8年)か。
リヴィエラは久保氏がパトロンとなって松尾にやらせていたクラブである。久保氏は、松尾のジャズ・ヴォーカルを聴きたいときに聴けるようにとこの店を作った。
久保氏は、松尾の人気を高めたムード歌謡よりも彼女の原点のジャズ・ソングを好んでいたからだ。
久保氏はラスヴェガスの名士で、アメリカのショウ・ビジネス界に顔がきいた。六本木の今はない「キャラバン・サライ」(東声会町井久之氏がオーナー)で、私は久保氏、サミー・デイヴィスJr.と他に人を交えず食事をしたことがある。
久保氏は、1984年11月7日、この世を去ったが、サミーは四十九日の法要の際、焼香のために来日している。
というような久保氏の人脈だから、公演のために日本にやって来たパット・ブーンを松尾のクラブに引っ張って来て、パーティを開くぐらい、朝飯前だったろう。
久保さんは東日貿易という小さな会社を経営していた。この会社は戦後の対インドシナ賠償利権と深く係わり合いがあったとされる。
日本政府がインドシナ政府に支払った大金は、日本企業に還流される仕組みになっていた。インドシナ側が日本の大手各社にさまざまな事業を依頼するからだ。久保さんはそのプロセスのどこかで一丁噛んでいたのだろう。
この大金に日本の政治家たちが群がったことはいうまでもない。だから久保さんは自民党の領袖たちとの付き合いも深かった。
久保さんのことは、赤坂のナイトクラブコパカバーナのホステス根本七保子をスカルノ大統領に結びつけた男と紹介されることが多い。
根本さんは、のちの大統領第三夫人デヴィさんである。
久保さんと私がなぜ親しかったか、それはまた別の話である。そのことについては拙著
『ショウ・ビジネスに恋して』(角川書店)にくわしく書いてある。ご用とお急ぎでない方は、ご一読願いたい。
では秘蔵写真をとくとご覧いただきたく。
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9 ■市井人さんへ
久保さんは高倉健と長嶋茂雄をわが子のように可愛がっていました。昭和の懐かしい思い出です。