イタリアを旅行して第二次世界大戦で各都市の歴史的建造物が破壊されたことを知りました。イタリアはドイツ、日本と三国同盟を結んでいましたが、何故「枢軸国」となって連合国と戦うことになったのか、知りたいと思い色々な資料から経緯を追ってみました。
イタリアの参戦が1940年、降伏が1943年9月8日、イタリア軍は弱かった。降伏後はすぐに連合軍に加わってドイツ軍追撃に参加しています。降伏が早かったのは結果として良かった。しかし、イタリアが降伏しても ドイツ軍はイタリア各地を占拠していたので、各地が戦場となり破壊される結果になったのです。
イタリアではファッショ主義のムッソリーニ政権が1922年から22年も続いて、エチオピア侵攻とかムッソリーニの野望にはエジプト侵攻があって、ナチスと手を組む利害の一致が背景にあったと見ます。

尚、日本には三国同盟は無意味で害のみでした。
   
 1943年7月10日連合軍はシチリア島に上陸 ↓
 1943年9月8日、ムッソリーニが失脚後イタリア軍は無条件降伏。↓
 イタリア本土上陸作戦で嵐に会い、座礁した連合軍の輸送船。↓
 イタリア上陸を支援する連合軍の駆逐艦↓
 イタリア上陸を支援する連合軍の駆逐艦↓
 上陸作戦成功サレルノに向かう連合軍の戦車隊。↓
 ドイツ軍が待ち受けるところにサレルノ上陸は激戦となり、海上支援が決め手である。↓
サレルノ上陸作戦を敢行する連合軍↓
 上陸を阻止しようと猛反撃するドイツ軍↓
 爆撃を受ける連合軍の輸送船↓
 爆撃を受ける連合軍の輸送船団↓
 連合軍の対空砲火で撃墜されたドイツ空軍機↓
 ドイツは連合軍の爆撃機に対抗して戦闘機を投入↓
 爆撃を受けて大爆発する連合軍の艦船↓
  爆撃を受けて大爆発する連合軍の艦船↓
 連合軍の対空一斉射撃↓
 ドイツ軍の爆撃機↓
 炎上する連合軍艦船↓
 どうにか上陸した連合軍↓
 爆撃で炎上しながら走行する連合軍の装甲車↓
 ドイツ軍の反撃も厳しい↓
 ドイツ軍の反撃も厳しい↓
 
 ようやく上陸後ナポリへ進撃↓
 ナポリに入った連合軍、ナポリ市民の歓迎を受ける。↓
 ナポリ市内を行進する連合軍 ↓
 噴水で体を洗ったり、足の治療をする兵士 ↓
 荒廃したナポリの様子↓
  ナポリ湾内も破壊された艦船の山 ↓
 
 掲げられる連合軍の旗 
 荒廃したナポリの様子↓
 荒廃したナポリの様子↓
 荒廃したナポリの様子↓
 ナポリから海上を北上し、アンツイオに上陸する作戦開始。↓
 空からも支援する ↓
 陣地を海岸近くにしすぎて失敗、思わぬ苦戦となる。 ↓
 
     艦砲射撃が激しい ↓
 連合軍は爆撃で応戦 ↓
 連合軍は爆撃で応戦 ↓
 市街戦 ↓
                   市街戦 ↓
 ドイツ軍は北へ退却し、悠々とローマへ向かう連合軍 ↓
 ローマへ向かう連合軍 ↓
 ローマへ向かう連合軍 ↓
 ローマへ向かう連合軍 ↓
 破壊されたローマの歴史的建造物 ↓
  破壊されたローマの歴史的建造物 ↓ 
   破壊されたローマの歴史的建造物 ↓     
  破壊されたローマの歴史的建造物 ↓
 投げ捨てられたムッソリーニの写真 ↓
 ようやくローマに到着した連合軍 ↓
 コロッセオ前をトラックで通過する連合軍↓
 交通整理をする兵士 ↓
 凱旋門に入る連合軍 ↓
 凱旋門に入る連合軍 ↓
 市民の歓迎を受ける連合軍↓
 市民の歓迎を受ける連合軍↓
 市民の歓迎を受ける連合軍↓
 開放を喜び、連合軍を歓迎するローマ市民、この日が1944年6月4日、2日後の6月6日にはノルマンディ上 陸作戦が開始されました。↓
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