集団的自衛権の行使がなぜ必要か。政府が当初の説明を変え、その根拠が揺らぎ始めている。国民の多数が反対する安全保障法制関連法案。根拠も薄弱となれば、いよいよ撤回か廃案しかあるまい。
集団的自衛権を行使できるようにする安保法案は現在、参院特別委員会で審議中だ。与党側は九月十一日までの成立を目指すが、野党側の追及が続いており、法案成立の見通しは立っていない。
そんな中、中谷元・防衛相から驚くべき答弁が飛び出した。二十六日の参院特別委で、政府が集団的自衛権行使の代表例として挙げてきた米艦防護について「邦人が米艦に乗っているかどうかは絶対的なものではない」と述べたのだ。
安倍晋三首相は昨年来、記者会見で、紛争国から避難するお年寄りや母子を米艦が輸送するイラストを掲げ、「日本人の命を守るため、自衛隊が米国の船を守る」と説明していたではないか。
私たちはこれまで、邦人輸送中の米艦防護は、現実から懸け離れた極端な例だと指摘してきた。邦人が乗船していなくても米艦を守るなら、集団的自衛権行使の目的は結局、日本人ではなく、戦争中の米国を守ることにならないか。
それとも、首相の説明自体が誇張、もしくは虚構だったのか。
首相が集団的自衛権の行使例の一つに挙げた、中東・ホルムズ海峡での機雷除去も同様に、根拠の薄弱さが指摘されている。
首相は海峡が機雷で封鎖され、石油や天然ガスが途絶えれば「人が亡くなる、大変寒い時期には家や人を暖める器具が停止する危険性もある」と、自衛隊が機雷を除去する必要性を強調してきた。
しかし、機雷を敷設した過去があるイランは穏健派大統領の下、国際社会との対話路線にかじを切った。石油輸送はパイプラインが代替手段となるため、集団的自衛権を行使する存立危機事態には発展し得ないとも指摘される。
極端で非現実的な例を挙げ、集団的自衛権行使の必要性を強調するのはすでに限界にきていると、安倍政権は悟るべきだ。
そもそも、政府による説明のずさんさを見抜いているからこそ、国民の多数が安保法案への反対を貫いているのだろう。
必要性の乏しい法案を、憲法が権力を律する立憲主義を侵してまで成立させてはならない。安倍政権は法案の瑕疵(かし)を認め、撤回もしくは廃案を決断すべきである。
この記事を印刷する