日航123便墜落事故に関わる不幸な因縁 [◆事件の陰に潜む怪]
毎年この時期になるとニュースなどが流れる日航123便事故ですが、早いもので今年で29年目です。
1985年8月12日、日本航空123便(18時56分東京発大阪行)が、群馬県多野郡上野村の高天原山(御巣鷹山)の尾根に墜落しました。乗員乗客524名のうち死亡者520名、生存4名という、単独機の航空事故では現在も世界最大の事故となってます。
事故の原因などについては別の機会にゆずるとして今回は、この大事故にまるわる不思議な因縁を。
日航123便墜落事故に関わる不幸な因縁
JALが発刊してる自社の機関紙「WING(ウイング)」があります。月1回の発刊の『ウイング』には、各種の企画ページがあり、全国47都道府県のユニークな人物を交替でインタビューして紹介するその企画も毎月掲載されていました。
そして、9月号の順番は群馬県だったのですが、その群馬県の数ある市町村で選ばれたのが、事故機の墜落現場、上野村の黒澤丈夫村長だったのです(1913年12月23日生〜2011年12月22日没 画像は若き少佐時代の黒澤村長)。
村長への取材が実施されたのは、事故のわずか2ヶ月前、6月のことでした。その事故機に積まれていたのが『ウイング』85年9月号だったのです。
この2ヶ月後に、日本航空がこの不幸な偶然の一致に驚き嘆く事態になってしまうこと、インタビューを受けた黒沢村長がこの不幸な因縁に公私ともに振り回されることになるなど、予測できるものではなかったと思います。
それにしても全国に47もある都道府県のうち、よりによって群馬県が選ばれたのはなぜなのでしょう。そして、まったくの偶然とはいえ、事故が起きた上野村の村長が取材対象者に選択されてしまったのはなぜなのでしょう。
まさしく天文学的な偶然の一致であると思います。
ちなみに、黒澤村長は第二次世界大戦中は零戦などの南九州の第七十二航空戦隊参謀であったといいます。これも飛行機と深く関わる因縁めいた話です。
実は村長自身にも、不思議な偶然が働いていたそうで、その年の始めに村の占い師に次のような予言を聞かされていました。
「今年は、あなたが世界中に注目されるような出来事が起こる」と。
これはまた随分と大げさなことを言われたと思った黒澤村長がは、家に帰って奥さんにその予言の話をしました。
取材を受けた時もまさか世界的な注目を浴びるほどの内容ではないと思ったのでしょう。
しかし、その年の8月にこの村に落ちてきた123便の墜落事故。
「あの予言はこの事故のことを言っていたのね・・・」その騒ぎの最中に奥さんは村長にそういったといいます。
この『ウイング』9月号は、「乗客や遺族の方が事故を思い出すことがあってはならない」との日本航空の意向から、すべて廃棄処分にされたそうです。黒沢村長の二ヶ月前のインタビューの数々はこの大事故によって葬り去られることになりました。
偶然とはいえ、あまりにも天文学的としか表現できない、不幸な偶然の一致であったと思います。