【コラム】南北合意、祝杯をあげるのは時期尚早

 韓国と北朝鮮による南北協議を記者が初めて取材したのは、1991年12月にソウルで開催された高官協議だった。この協議に出席するため、北朝鮮から当時の延亨黙(ヨン・ヒョンモク)首相を団長とする交渉団がソウルを訪れた。会場となったシェラトン・ウォーカーヒル・ホテルは取材記者たちで大混雑した。会談後に公演などが行われる会場も同じように足の踏み場がなく、どこに行っても妙な緊張感や興奮を味わったことを今もはっきりと覚えている。会場周辺では南北の取材記者たちが会談の展望や国際情勢などについて激しいやり取りや議論を行い、また韓国政財界の大物の姿も多く見られた。

 このように大きな注目を集めた1991年の高官協議は、前文と25条からなる「南北間の和解と不可侵および交流協力に関する合意書」を発表して終わった。会場周辺のざわついた雰囲気と同じように、この文書の内容も非常に派手なものだった。まず前文から「南と北は政治的・軍事的対決状態を解消し、民族的和解を実現し(中略)平和統一を成就するための共同の努力を傾けることを誓い…」などと非常に高尚なもので始まっていた。この文書が発表された時点では、南北がついに銃砲を置き、統一に向けて一気に走り出すかのように感じられた。

 その後、同年末には板門店でも複数回の協議が行われ「南北非核化共同宣言」まで採択された。さらに翌年9月まで南北の首相がソウルと平壌を行き来し、8回の高官協議が行われるなど対話は続いた。しかし、その雰囲気もそこまでだった。軍事的緊張状態を終わらせ、南北共同の資源開発と投資、南北の新聞やテレビなどメディアの全面的協力、離散家族の自由な書信交換や再会・訪問などを定めた当時の南北基本合意は、今では文書として残っているだけで、実際にこれらが行われることはなかった。ウラン濃縮や再処理を放棄すると定めた非核化共同宣言も完全に死文化した。

 その後も20年以上にわたり、記者は北朝鮮問題に関する取材を続けてきたが、その間にも数々の派手な言葉や文言に満たされた南北合意、あるいは米朝合意を目にしてきた。これらの合意や約束がしっかりと守られていれば、韓半島(朝鮮半島)の非核化はもっと早く実現し、南北は共に平和と繁栄の道を突き進んでいたはずだ。しかし現実は正反対の方向に進んだ。北朝鮮は軍事的挑発行為を今もやめようとせず、今では自分たちを「核保有国」などと主張している。北朝鮮が約束した数々の合意が有効だったのは長くても1年ほどだ。南北で何らかの合意に至るたびに、われわれはいつも「大きな成果」と大きく報じてきたが、北朝鮮はそれらの合意文を「1枚の紙切れ」としか考えていなかった。

 そんな北朝鮮が今回、再び合意文書に署名した。北朝鮮が木箱地雷を埋設し、それによって南北間の軍事的緊張状態が高まると、今回は北朝鮮の方から先に対話を求めてきた。韓国側から大統領府国家安保室長、北朝鮮からはナンバー2の朝鮮人民軍総政治局長が板門店で顔を合わせ、数日間にわたり徹夜の交渉を続けた結果、6項目からなる文書が発表された。今回の交渉での最も大きな争点は、北朝鮮の犯行だということが明らかな地雷埋設をめぐり、北朝鮮が謝罪に応じるかどうかだった。ところが合意文のどこを見ても、地雷埋設が北朝鮮の仕業とは書かれておらず、「地雷の爆発で南側の兵士が負傷したこと」に北朝鮮が遺憾の意を表明しただけだった。これでは後になって北朝鮮が「犯行を認めた覚えはない」などと言い出しても、反論のしようがないだろう。

 ところがこの程度の合意について、政府と与党は「歴史的成果」などと大げさにコメントしている。もちろん記者も、今回の合意の意味合いをあえて引き下げたいとは思っていない。南北間の軍事的緊張状態が解消され、いかなる形であれ、北朝鮮から遺憾表明を引き出したことは、確かにそれなりの意味はある。また、離散家族再会行事や南北間交渉を再び行うことで合意したことも大きな成果だ。しかし問題は合意の後だ。これまで南北関係は「合意内容の履行」という壁を一度も越えたことがない。「今回だけはこれまでとは違う」という保障もない。

 今韓国政府が念頭に置くべきことは、合意に至った事実ではなく、一連の事態を通じて表面化した北朝鮮の弱点だ。まず、中国が大々的に準備を進める戦勝節記念日(9月3日、抗日戦争勝利記念日)を控えた微妙な時期だということを北朝鮮は考慮せず、軍事的緊張状態を高めたが、これによって国際情勢を見極める北朝鮮の目がいかに頼りないものであるかが分かった。また、韓国軍による拡声器放送などの心理作戦を北朝鮮が本当に嫌っている事実も確認できた。そのため、これらの事実に基づいて今後われわれがどう対応するが重要だ。北朝鮮の弱点をしっかりと利用すれば、これまでとは違い、交渉での合意を実際の行動につなげるための戦略を立てることができるはずだ。

 これまでの南北合意はいつも「合意のための合意」に終わってきたが、その理由は韓国の歴代政権に長期的なビジョンがなく、単にその政権にとって目に見える成果を追い求めることにしか関心がなかったことにある。1991年の合意のときも、当時の政府は南北首脳会談にしか関心がなかった。今の政府もそうだ。昨秋の仁川アジア大会の際、北朝鮮から3人の政府高官が閉会式に訪れただけで、これを南北関係の大きな転機であるように考え、後から大恥をかいた。それにも関わらず、今回も合意文書が発表されると、すぐ与党幹部らが「大統領が掲げる原則と信念の勝利」などと騒ぎ始めている。今から祝杯をあげていると、骨折り損に終わる可能性が高いことを忘れず、政府には今度こそ賢明な対応を期待したい。

朴斗植(パク・トゥシク)論説委員
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