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<慰安婦生存者13人証言>「日本は真実から背を向けることを止めるべき」(1)
2015年08月27日11時38分[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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李玉善さんはナヌムの家で一番勉強熱心だ。勉強できなかったことが今も心残りのためだ。李さんはインタビューを控えても旧約聖書を読んでいた。 |
先月22日、京畿道広州(キョンギド・クァンジュ)のナヌムの家で会った李玉善さん(88)は延辺訛りの言葉で一言一言、話を繋いでいった。釜山(プサン)で6人兄弟姉妹のうち次女として生まれた李さんは15歳だった1942年、中国のある慰安所に連れて行かれた。李さんは子供の頃から勉強がしたくて両親にせがんでいた記憶から話し始めた。
「子供の時から勉強欲が人一倍強かった。ある日、『養女として勉強もさせてあげる』という人が現れて両親が私をそこへ行かせたが…近所のある食堂だった」
だが、実際に到着すると、食堂の夫婦は李さんを冷遇した。勉強をさせるどころかあらゆる雑用をさせた。「幼い家政婦」だった。李さんに客の酒の相手までさせた。
そのうち蔚山(ウルサン)のある旅館に売られた。旅館でも一日中苦しめられた。お使いに出たある夏の日、李さんは見慣れない男によって慰安所に連れて行かれた。
「黒い服を着た男2人が突然私の手首をつかんで『行こう』と言った。一人は朝鮮人で一人は日本人だった。『どこへ行くの』と聞いても何も言わず引っ張っていった。いくら大声を出して反抗をしても周りには人っ子一人いなかった。自暴自棄の気持ちで連れて行かれたが、到着したところは中国の図們という所だった」
李さんは1942年7月の中国図們駅を「まっ暗だった」と記憶している。そこには一緒に連れてこられた韓国人女性5人がいた。少し後、現地慰安所を管理していた日本人夫婦が李さんを訪ねてきた。日本人夫婦は李さんを「トミ子」という日本名で呼んだ。その時から生き地獄が始まった。
しっかりと食事が取れないまま草粥で持ちこたえる渦中にも毎日のように軍人が訪ねてきた。16歳の時に初潮を経験した。軍人はそれでも強制的に関係を結んだ。避妊をしない者には反抗をしたりもしたが腕力と足蹴りだけが返ってきた。週末には数十人が列をなした。そのようにして満3年の時間が流れた。
<慰安婦生存者13人証言>「日本は真実から背を向けることを止めるべき」(2)