高校の頃、学校が大嫌いで行きたくなくて、でも親は絶対辞めさせてくれたり単位制に行かせてくれたりするような理解のあるタイプではなかったので、一年の終わりごろに決心して、二年の頭から一ヶ月休んだ
親には無断でね
両親は働いていて、うちは田舎だから毎朝母親が通勤がてら駅まで車で送ってくれる
そしたらあとは放課の時間までひたすら時間をつぶし、午後5時ごろになったら地元の駅まで帰り、母親に電話をして車で帰宅する
そういう一ヶ月だった
もちろん担任から家に電話があるわけだけど、うちはナンバーディスプレイを導入していたから、市外局番が違う電話はなるべく自分が取った
「子どもに言い聞かせますから! すみませんでした!」とか大人が電話でしゃべるような甲高い声で言うと、先生は気づいていたのかもしれないけど、黙って納得したふりをしてくれた
そういう電話を受けたら、学校の職員室に行って先生とちょっとしゃべる
でも次の日はまた行かないで、ヨーカドーとか公園とか、病院とか市役所をフラフラする
母親が作ってくれた弁当は、毎日公園とか駅の電話ボックスで一気に食べる
悲しいよ
朝は学生がいっぱいいるので通学するふりをして、学校を通り過ぎて公園で座る
真面目な学生っぽい見た目をしていたから、大人に声をかけられたら「今日はこれから病院に行くために早退して、今は親が来るのを待っている」とか言えばたいてい納得してくれる
田舎だから道を歩いている大人なんてほとんどいなくて、それは助かったな
携帯なんて持っていなかったから親にはつかまらないが、時間をつぶす術もない
ただボーっと座っているだけ
当たり前だが、結局親に見つかって7時間も正座で怒鳴られて、学校に行くことになったけどね
でも無断早退の常習犯になった
先生たちにはその場にいるだけでつらいということが判らないから、ひたすら「いるだけでいいから! 勝手にいなくならないで! せめてひとこと言って!」と言った
今なら先生の気持ちがよく判るけど、当時は「先生に帰りたいですと言ったら帰らせてくれるのかよ」と思っていたし他人としゃべることすら嫌だったから、無断で帰る
帰ると言っても、帰ると何よりも恐ろしい親にバレるので、やっぱり公園やヨーカドーをフラフラする
そして何事もなかったように地元の駅から親に電話をして、車で帰る
ひとりではできないことが多い体育なんか地獄でしかなくて、一度も参加しなかった
うちの保健室は先生がギャルみたいな茶髪できつめのメイクをしている人だったから、間違っても私なんかが近づける場所ではなかった
だから誰もいない教室とか、図書室で司書の目を盗んで隅っこの床に座っていたりした
トイレの個室で弁当を食べるのも何度かやったけど、あまりに悲しくなるので、弁当は食べずに持ち帰り、部活で腹をすかせた妹と分け合って食べた
悲しい理由は「みんなと同じように当たり前のこともできない自分は生きている価値がないのではないか」とかそういう感じ
一日で終わる遠足は参加しないで親にごまかしたが、二泊三日はごまかせない
無理やりおとなしそうな子達のグループに放られた
自分が行くのも嫌だったし、真面目でおとなしくて地味めのグループだとしても、クラスの腫れ物扱いだった私を混ぜられてしまった子達をかわいそうだと思った
だから修学旅行の計画から帰るまで、ずっと気を使って明るく振舞った
興味がないからね
そのあと、なんだかんだで卒業することはできたので最終的に「親が言ったことは間違ってなかったな」とは思うけど、私にもっと度胸があったら死んでたかもしれないね
なんたってなにがつらいのか自分でもよく判らないから、大人に「なにが嫌なの?」とか問い詰められても答えられないのがもっとつらかった
体育から逃げることを問い詰められて「この場にいるのが嫌だ」と言ったら「建物が嫌なの?」とか見当ハズレのことを言われて、もうなにも言うことはないなと思った
別にクラスメイトなんて名前も知らないし全部背景なので、嫌いな奴もいないしいじめられるわけでもない
勉強は嫌いだったけど、休み時間にひとりになるよりは、ずっと机に座っているだけで許される授業中は嫌いじゃなかった
友達がいなくてひとりなのがさびしい気持ちももちろんあったんだろうけど、たぶん「みんなが楽しそうに休み時間を満喫しているのに、自分はなにかをしゃべる相手を作ることすらできないダメなやつ」みたいな思考に陥るのが一番きつかった
4月から1ヶ月学校を休んだもんだから、2年生のころはクラスにひとりも友達がいなかった
今思えば、バイトをすればよかったなと思う
卒業してから、進学のために家を出てバイトを始めたら、世界が変わった
学校と家庭だけがすべてじゃなくて、親と先生以外の大人と触れ合ったり、他の学校の学生、自分よりも年下の学生、すでに働いている同世代がこの世にいるんだと思ったら、ちょっと楽になった
いろんな奴がいるし、親も人間
「親は私のことなんか判ってくれない」と思っていたけど、自分だって親のことなんか判ってなかった
そりゃあ、別個体からね、当たり前なんだけど、当時の自分は気がつかなかった
向こうから見たら中学まで自慢のいい子で通した私が急にこんなことになったら「まさかお前がこんなことをするなんて思わなかった」って絶望的な顔で言っちゃうよね
私にはその言葉が一番こたえたけどね
お宅の子どもなんかたいして優秀でもないのに、自分たちの娘は天才だと信じていた両親は「1位以外は意味がない。ビリと同じ」とよく言っていたけど、実際そうでもないから1位どころか100点だって取ったことない
30過ぎてから、一緒に酒を飲んだ母親から「うちはひとりも子育てに成功しなかった。全員失敗作だ」とか言われちゃってさ
でももう自分も大人だから「3人も子どもがいて全部失敗なんて、よっぽどアナタたちはダメな親なんだね」と思える程度には自分と親を切り離して考えることができるようになった
そんなこと絶対言わないけど
好きな時間に寝ていいし、学校が嫌なら落第しない程度に休めばいいし、バイトがめんどくさくなったら誰かにシフトを変わってもらうこともできた
まあでも、高校時代の自分はこの世のすべてを信用できなかったから、バイトなんか絶対しなかっただろうけど……
ネットなんかうちにはなかったから、こういう汚いことを考えているのは自分だけで、すごく異常なことなんじゃないかみたいな気持ちになった
19でネットを覚えたら、自分みたいなダメなやつもこの世にいっぱいいたし、それに気づくだけで全然違った
18までの自分はチュートリアルで、19からが本当の自分になったなあと思う
もし自分が高校生のころに、バイトをしていて、家にネットがあったら、もうちょっと違ったかもしれない
よくテレビで見る不登校の子は、学校に行きたくないと言ったら家にいても親が何も言わないっぽいけど、それほんとうらやましい
いいって言われてるんだから、好きなだけ堂々と休んだらいいと思う
うちは不登校がバレたとき、ふすまを投げつけられて、竹定規で殴られた
はあ、まあ、ダメな親だけどさ、それでもなんとか生きてる
あんな親でも生きていける世で、私が生きていけないわけないよってね
最後の一行で笑った