結論から言おう。再生可能エネルギーでは電力の安定供給は覚束ない。しかも、再生可能エネルギーと呼ばれる発電方法のうち、少なくとも風力、太陽光は、現在の技術水準からみると決してクリーンエネルギーではない。

 同じCO2フリーとされる電源でも、原子力と再エネでは、温暖化ガス削減への貢献度が全く異なる。原子力を減らして、風力・太陽光に置き換えようとすれば、二酸化炭素の排出量は増えていく。もちろん、風力と太陽光を使った発電が直接二酸化炭素を排出するわけではない。しかし、電力ネットワークの中に、風任せ、天気任せの気まぐれな電源が入り込み、その割合が大きくなると必ず火力発電への依存の割合が増えていく。なぜなら、空が曇ったからといって人々が節電をしてくれることはないからだ。

川内原子力発電所の案内板=8月10日午後、鹿児島県薩摩川内市
 電気は貯められない。だから、人々が電気を沢山使うタイミングに合わせて発電量を調整しなければならない。もし、人々がたくさん電気を使いすぎて、発電量を上回ってしまった場合、その地域全体が停電してしまう。
各電力会社は電力需要を予測しながら、使用電力が容量をオーバーしないように発電量をコントロールしている。気温が上がってエアコンの使用が増え、電力消費が急増し始めた時に、中央指令室から各発電所に命令が飛ぶわけだ。

 さて、ここで風力と太陽光発電に話を戻そう。中央指令室は風と太陽に命令して今すぐ発電を開始させることは可能だろうか。もちろん、そんなことは無理だ。「風まかせ」、「お天道様まかせ」なら、人間の都合など関係なくなってしまう。必要な時に必要な電力を得られない風力や太陽光による発電所は、電力の安定供給という観点で考えて極めて厄介な存在なのだ。

 では、風力と太陽光の「気まぐれ」をバックアップする態勢を整備すれば問題は解決するだろうか。例えば、風が止んだり、空が曇ったりしているとき、火力発電のオン/オフを切り替えることでバックアップすることを考えてみよう。中央指令室は天気予報に従って、火力発電所に発電を指令する。こうすれば確かに風力と太陽光の弱点を補えるはずだ。

 しかし、現実は甘くない。このやり方をこそが、風力と太陽光によって温室効果ガスの排出量が増える仕組みである。風力と太陽光を使えば使うほど、バックアップ用の火力発電に対する依存度は上がっていく。発電システム全体で見ると温室効果ガスの排出は減ることはない。風力や太陽光が環境に優しいなどというのは幻想である。イメージでエネルギーを語る人に、こういった「木を見て森を見ず」の人が多いのは嘆かわしいことである。

 風力発電によって全電源の15%を賄っているスペインでも問題山積だ。スペインでは天候の変化などにより1時間のうちに再生可能エネルギーによる発電量が最大1万3000MWから150MWまで振れることがあるそうだ。先ほど説明した通り、1万3000MWが150MWに急降下したら、その差の1万2850MWを他の電源で即座に補わなければならない。電気は貯めることができないので、この大きな変動に対してバックアップのための火力発電所の運用が必要となる。無理やりにでも供給と需要の規模を合わせないと電圧変動や停電の恐れがあり、人々の社会生活が危険に晒されることになる。

 2013年12月初旬はスペイン上空を高気圧が覆ったために風がほとんど吹かず、風力発電は全く動かなかった。そのため、電気代が高騰し1 MWh当たり112ユーロになった。ところが、クリスマスごろなると急に風が吹いてきたため、電気代は1 MWh当たり5.42~9.18ユーロ前後まで下落した。その価格差には約10倍程度の開きがある。これで安定供給と呼べるだろうか?

 このように、あらゆる可能性を考慮しても、再生エネルギーの推進とは火力発電への依存とほぼ同義である。「再生エネルギーの推進」と言うと聞こえはいいが、経済効率も悪いし、環境にも良くない。そんなバカげた政策を大真面目に取り組んでいるのが現在の日本のエネルギー政策なのだ。

 火力発電に大幅に依存している状況には様々な問題点がある。1つ目はエネルギー安全保障上の問題点だ。

 最悪の事態を想定してみよう。日本が石油や天然ガスの供給源として依存している中東地域には様々な地政学リスクが存在している。現在イスラム国の問題、シリア内戦の問題、アルカイダの問題、イランの核開発の問題など数え上げればキリがない。

 しかも、石油や天然ガスを運ぶタンカーが通過する南シナ海や東シナ海においては、支那海軍と周辺諸国の紛争リスクが絶えない。中東で紛争が起こらなくても、この地域が緊張状態になればすぐに石油や天然ガスの供給に影響が出てしまう。エネルギー供給がなければ経済成長どころか、日常生活すらまともに送ることはできない。

 2つ目の問題は国民負担だ。福島第一原発の事故から1年足らずで日本の原発はほぼ停止した。例外的に稼働していた大飯原発が2013年の9月から定期点検に入り、再稼働できないままである。つい最近まで日本で稼働している原子炉はゼロだった。

 再生可能エネルギーによる発電量は極めて小さい。そんな中で原発を止めてしまったということは、必然的に日本は火力発電によって電力を賄わざるを得ない状態に追い込まれている。火力発電の構成比は約65%から約85%に増加している。その結果、LNG、石油、石炭などの燃料代が3.7兆円増加してしまった。しかも、エネルギー価格は乱高下している。最終的にこの増加分は利用者が負担しなければならない。
出典:経済産業省原子力小委員会
http://www.meti.go.jp/committee/sougouenergy/denkijigyou/genshiryoku/pdf/008_s02_00.pdf
 電気代の高騰は消費税の増税と同じく、私たちの財布の中から無理やりお金を奪っていく。そのお金は産油国に届けられる。もし、原発が稼働したとしたら、この3.7兆円は別の目的に支出することができた。これが3つ目の問題だ。

 さらに言うなら、原発停止がむしろ再生エネルギーの実用化を妨げている。なぜなら、もし原発が再稼働していれば、3.7兆円分の予算は様々な目的で支出することができた。大半は電気代を下げることに使われたとしても、その一部を再生エネルギーの実用化に向けた研究費として支出するという選択もある。

 現在、全く使い物にならない風力や太陽光による発電だが、長期的に研究開発を進めるための資金として浮いた燃料代を使ってみてはどうだろう。電力会社直接出資して、再生エネルギー専門の投資会社を作り、民間で知恵を出す人のスタートアップを支援するといった方法も考えられる。再生エネルギーの推進と産業振興、そして投資リスクの分散や民間から大量のアイデアを集めて絞り込むといった一石三鳥、四鳥の効果が見込めるのではないだろうか。

 では、最後に原発の最大のリスクである放射能について触れておきたい。私はこの問題について誰よりも語る権利を持っている。なぜなら、私は「ヒバクシャ」だからである。

 まだ私が母の胎内にいた1968年、私の母は大量の死の灰をかぶった。体内に取り込んだセシウム137は約100ベクレル。放射能で汚染された胎内で育った私は、翌1969年に生まれた。もちろん、赤ん坊だった私の周りにも大量の放射性物質が降り注ぎ、それを大量に摂取している。放射性物質のフォールアウトは私が小学校5年生になるまで止むことはなかった。

 1963年から1980年まで支那共産党は公式には46回、実際には50回以上にわたる核実験を続けてきた。この時に大量の放射性物質を含む塵が大気中に巻き上げられ、偏西風に乗って日本に振ってきた。当時、この件で反核運動の活動家たちが毛沢東に抗議したという話は聞いたことがない。リンク先のグラフをご覧いただきたい。これは日本国内で観測されたストロンチウム90のフォールアウトを表したグラフだ。

 1963年から1980年までに生まれた日本人は例外なく私と同じ「ヒバクシャ」である。ストロンチウム90のフォールアウトだけで比較すれば、その汚染の程度は福島第一原発の事故とは比較にならないぐらい深刻なものだった。もし、「原発事故でガンが増える」という話が正しいなら、それ以上に大量の放射線を浴びた私と同年代の日本人は相当なガン発生リスクに晒されていることになる。ならば祖父の世代にくらべてさぞかしガンによる死亡率が高いはずだ。

 しかし、ここに不都合な真実がある。40代日本人のガンによる死亡率は激減している。あれほど放射能が含まれた死の灰を浴びたにも関わらず、10万人当たりの死亡者数は祖父の世代のほぼ3分の1なってしまった。なぜ、そんなことが起こるのか? 実は我々が考えている以上に人間は放射能に強いのだ。

 放射線を大量に浴びることによって、人間の細胞の中にあるDNAに傷がつく。もし、この傷が修復されなければその細胞はガンになる。しかし、人間の体にはDNAの傷を修復する能力が備わっている。つまり、放射線によってDNA傷がつくスピードより、その傷を修復するスピードの方が遅ければガンが発生し、その反対の場合はガンが発生しない。私と同世代の日本人が自らの肉体を人体実験に供して証明したことは、今回の原発事故の何倍もの放射線を浴びても、人間の体はそれを十分に修復する能力があるということだ。

 これらの事実を総合すると、原発は世間で喧伝されるほど危険なものではなく、あらゆる可能性を想定してもそのコストは限定的だ。しかも、エネルギー源の分散という点で、エネルギー安全保障上のメリットもある。

 いま電力会社の発電容量はほぼ限界に達し、老朽化したポンコツの火力発電所を無理やり動かして何とか乗り切っている。しかも、これら老朽火力を止められないため、定期点検を延期して回し続けるという危険な状態が続いているのだ。夏のピーク時に故障が頻発すれば、たちまち停電などの問題が発生する。そうならないための分散投資、それがエネルギーミックスなのだ。

 何も原発で100%電力を賄う必要はない。水力、火力、原子力、その他の発電方式も含めてエネルギーのベストミックスを進めていけばいいのだ。そもそも、脱原発を前提としたエネルギー源のポートフォリオは、単に火力発電への依存を強めることに他ならない。しかし、それでは化石燃料への過度の依存を作りだすだけであり、エネルギー安全保障の観点からは大いに問題がある。

 そういう意味で今回の川内原発の再稼働の意義は大きい。やっと日本のエネルギー政策の正常化に向けた動きが始まった。今後の展開に期待したい。