BEHIND THE SCENE - アナウンサー、技術陣などが、高校野球中継の裏側や、面白エピソードを披露。

放送の舞台裏

中継技術・撮影編「3つの『ソウゾウ』と歩むカメラマン人生」

2015年7月9日

私は人事異動がきっかけでカメラマンになりました。最初に甲子園へ行ったのは、和歌山局時代の研修。導入されたばかりのハンディカメラでアルプスの応援団を撮影しました。技量がなくても体力はある新人が扱える入門編のカメラです。そこで感じたのは、応援団に接近して表情のひとつひとつを撮ると情がうつるということ。アルプス席の方を向いていますから試合展開はきちんと見られませんが、応援団と一体になれるのです。向こうが泣いたらこちらも涙がこぼれてしまう。それが高校野球のカメラマンとしての第一歩でした。

カメラマンになった当時、高校野球の中継はバックネット裏のカメラでピッチャーを正面から映し、バッターが打ってから他のカメラがボールのフォローをするのが定石でした。それが途中から180度変わってしまった! 外野センターのカメラでピッチャーを背中側から映す、つまりバッターを正面から撮る形になったのです。その新しいカメラワークを浸透させるまで2、3年かかりました。当時我々の合言葉になったのが「“カンポン”を心がけろ」。“カン”はバッターが打つ音、“ポン”はスイッチを押すこと。“カン”を聞いたら出来るだけ早くスイッチング(映像を切り替えること)し、ボールがどっちに飛んだか、すぐフォローしなければならなかったんです。ずっと「カンポンカンポン」とつぶやきながら仕事をしていました(笑)。
1981年夏、甲子園で中継を担当した際のスナップ。試合中は客席内にカメラを設置していますが、開会式や閉会式ではカメラマンがグラウンドに降りて撮影を行います。当時はリアカーを改造した乗り物「ドリー」に大きな標準カメラを据えつけグラウンドに降ろしていました。(現在はハンディカメラを使用)。ゲームセットの瞬間、急いでセッティングしなければならず大変でした。

多くの試合を撮影してきましたが、忘れられない失敗というのもあります。1989年、センバツの決勝、上宮 対 東邦での出来事です。同点で迎えた延長戦。上宮が10回表に1点取り、続く10回裏。ツーアウト、ランナー1塁、2塁でセンター前にヒットが出て東邦の同点のランナーがホームインしました。ここでキャッチャーが2塁ランナーを挟み込むべく3塁へ投げるのですが、あろうことか、この場面を私は撮り逃してしまったのです。「次はどうしよう」と考えていた一瞬の出来事でした。気づいた時には3塁手が2塁へ悪送球。サヨナラ逆転のランナーが大歓声でホームに迎えられるなか、ライトへと転がっていくボールを映し続けました。
大事な場面を撮り逃した私はしょげかえり、撤収後に飲みながら大反省。さらにその後、先輩が「言いたいことは言え」と朝までお付き合いくださったのですが、彼はお酒が飲めなかったので、梅田の喫茶店でコーヒーを何杯も飲んだことを覚えています。

実は、この話には後日談があります。翌日のスポーツ新聞の記事に「無情の白球」という大見出しをつけた新聞社がありました。記者が大阪局のディレクターに「NHKの中継を見て、転がっていくボールを無情に感じ、見出しをつけた。ぜひカメラマンの方にお礼を」と言ってくれたそうです。中継を観ていた同僚たちからも「大江さん、良かったで。あんなん撮るのアンタだけや」と褒めてもらいました。そうした評価をいただいて「あぁよかった」と胸をなでおろした反面、直前のプレーを撮り逃した大失敗が頭をよぎり、非常に複雑な思いがしたものです。
1985年、29対7という大会史上最多得点を記録したPL学園 対 東海大山形の試合も印象的です。当時は、球児の傷に塩を塗るような画は放送できないと、エラーした選手を写さなかった。しかし、試合は終始一方的な展開。さすがに応援団も疲弊し、僕らもカメラ越しに「がんばれ!」と念じたものの、何を撮ったらいいのかと思うほどでした。あの試合を経験し、どんなゲーム展開にも対応できるようになった気がします。

大失敗した私を朝まで慰めてくださった先輩は、坂本さんという伝説のカメラマンでした。カットバックや、アルプスの使いどころなど甲子園の中継技術の基礎を作った偉大な方です。そんな彼の教えのなかに「“想像”から“送像”、そして“創造”へ」という言葉があります。“想像”は試合展開を想像すること、“送像”は文字通り現場のライブの画を送ること。そして“創造”はきちんと映像を創り上げないと感動は伝わらないよということでした。「カメラマンは、自分たちの仕事がこの3つで構成されていることを考えなさい。ただ撮るだけ、ただゲームを追いかけるだけでなく、きちんと組み立てをしなさい」という言葉は、高校野球中継の一本の幹となり、今でも私の耳にこびりついています。

今は私も若手を指導し送り出す立場になりましたが、現場に行けなくて実は寂しかったりするんです(笑)。昔は40度ぐらいの熱を出しながら撮影したこともあるんですよ。「交代要員来てるから帰れ」と言われて、局のデスクに「ボクはやる言うたでしょ!」って抗議したことも(苦笑)。そんな情熱を持った時代もあるほど、本当に甲子園って魅力的なんです。

※NHKサイトを離れます