BEHIND THE SCENE - アナウンサー、技術陣などが、高校野球中継の裏側や、面白エピソードを披露。

放送の舞台裏

「興奮」と「感動」だけではない、実況を 後編

2015年7月16日

初任地・佐賀の後は京都局に1年勤務し、それから大阪局へと異動になりました。物理的な距離は甲子園とグっと近くなったわけですが、毎年甲子園で実況デビュー出来るアナウンサーは、大体春も夏も2人前後という狭き門。入局して数年は地方大会の実況をし、先輩からアドバイスを受け練習をして…の繰り返しです。さらにラジオのディレクター業務(ラジオPD)やアルプススタンドのリポートで経験を積み、先輩たちから「こいつだったら送り込んでも恥ずかしくない」と認めてもらえると晴れてデビュー出来ます。
駆け出し時代、野球のイロハを教わった佐賀県立神埼高等学校野球部の監督・百崎敏克先生。先生が監督として初めて甲子園に出場した時にご挨拶に伺ったら、「ついにたどり着いたよ」とノック用のボールを下さいました。
入局7年目の2002年、念願だった甲子園での初実況でとんでもない大失敗をしてしまいました。忘れもしない、智弁和歌山対札幌第一の試合です。9回裏、序盤から智弁にリードを奪われていた札幌が土壇場で同点に追いつき、なおもツーアウト、ランナー2塁3塁、一打サヨナラのチャンスを掴みました。その時、私は初実況にただでさえ舞い上がっていた上、劇的な場面に出くわしたという二重の興奮から、頭の中が完全に「抑えたら智弁和歌山の勝ち、打った場合は札幌の勝ち」の二択になってしまったのです。そして智弁和歌山のピッチャーが抑えた瞬間「空振り三振試合終了―!」と大絶叫。すると隣にいた先輩が鬼の形相で私の肩を叩きました。先輩の表情を見て「あれ?」と思ったと同時に解説の方が「試合延長です」とこっそり…。過ちに気づいた私は完全にうろたえて、「失礼しました、延長です」と言ってからのことをほとんど覚えていません。

試合終了後、「お前なんか裏で泣いて来い!」と怒鳴られ、まわりからは「やっちゃった…」と腫れ物扱いです。私自身も放送を聴いている方、そして何より両校の球児たちに申し訳ないことをしてしまったという気持ちでいっぱいでした。そんななか、試合の翌日に親子ほど年齢が離れている大先輩のアナウンサーからお電話をいただきました。第一声は「よ!大アナウンサー!」。私の落ち込みを見越していらして「とんでもないヘマをやらかすヤツは、どうしようもないか大物かどっちかだ。時間が経てば面白いエピソードとして話せるし、あれだけの失敗をしたら怖いことはない。明日から思い切ってやれ」と温かいお言葉をかけてくださいました。そこで初めて「そっか、笑って話せる日が来るといいな。そうなれるように頑張らなければ」と気持ちが落ち着きましたね。きっと後にも先にも、あんな失敗をしたアナウンサーはいないのではと思います。
こちらも百崎先生からいただきました。先生が佐賀県立佐賀北高等学校の監督として、2007年に全国優勝を果たした際のタオルと甲子園の土です。大切に保管しています。
現在の私は、仙台局で高校野球やプロスポーツの中継などを担当しています。甲子園デビューを目指す後輩の指導にもあたることがあるのですが、自分はスポーツを通して培われる「3つのD」に着目しているよ、という話をしています。1つ目はDesign(デザイン)。試合中、例えば3秒後の自分はどうするのか、自らをデザインしていく力です。そして2つ目がDecision making(状況判断)、どういう選択をして何をすべきか、瞬時の見極めを指します。最後がDiscipline(規律)。チームの中での自分の役割を考え、自らを律することです。私自身も「興奮と感動をありがとう」だけで終わらせず、こうした思考を育めるスポーツの素晴らしさと価値をお伝えしたい。そのために球児たちの「3つのD」をにじま
せながら実況できるよう、これからも日々頑張っていきたいと考えています。

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