数年前から「社会学者」という古市某という人が、若手の論客として幅を利かせているのを、よく見かけるようになった。
「学者」というからには、どんな研究をして、いかなる学術論文を発表されているのかと思ってCiNii Articlesで検索をかけてみたが、
ざっと見る限り、いわゆる総合雑誌とかの記事が多くて、しかるべき査読を経たような学術論文はほとんど発表されてないようだ。
参考までにwikipediaを検索してみると、この人は「大学院生」だとなっていた。
なるほど。
学者というのは、やはり、研究成果を世に問い続けてこその存在であって
既存の知見を上手く組あわせて、ただかみ砕いて説明したり、
ちょっとした思い付きで、複雑な問題を分かったったような気にさせたり、
ちょっと斜めからなんか気の利いたようなことを言って場を盛り上げる人たちとは違うと思う。
古市某のような感じでテレビにでているのだけれど、「○○学者」じゃなくて「○○評論家」という肩書を使っている人たちもいる。
まあ、評論家といえば、どこまで裏付けがあるのかよくわからないけれど面白げなことを放言して「ホンマでっか?」と言わせる人たちだという印象が、
ここ数年でついてしまった感じがあるのだが、個人的には、本当の評論家というのは、たとえば「現代美術が全く分からない人」にたいして、
15分で「現代美術とは何か」説明してくださいといわれたら、とりあえず、「魅力の一端」くらいを伝えてくれて
「なるほど、ちょっと面白そうだな、今度、そういう目で現代美術を見てみようかな?」とか思わせられるような人のことじゃないかと思っている。
「○○漫談の人」というのは、
以前、番組のゲストにきた杉村太蔵に対して、有吉が「アナタ、今、本業はなんなの? 政治漫談の人?」と言っていたのを見て、
「やはりうまいこと言うなあ」と感心して以来、個人的に使っている。
この言葉を使い始めて以来、世の中を見回してみると「脳科学漫談」の人とか、「生物学漫談の人」とか、「国際関係論漫談の人」いろんな漫談の人が活躍している言に気付いた。。
なお、巷には、脳科学をネタに、なにかと「Aha~」と言っている茂木某のことを「アハ芸人」と呼んでいる人もいるが、
お笑い好きの自分としては「芸人」という言葉を安易に使ってほしくないという気持ちがある。
やはり笑いにそれなりに命を懸けている人たちこそが「芸人」なのであって、「アハの人」は、自分の中では「脳科学漫談の人」という棚に整理している。
マスメディアは、「学者」「評論家」「漫談の人」をちゃんと区別してはくれないようなので、したり顔で何かを語っているタレント以外の人を見かけると、
自分の中で「こいつは学者」「こいつは漫談の人」と整理しているのだが、気が付くと「漫談の人」の棚ばかりが溢れんばかりになってしまっている。