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【芸能・社会】

津波で消えた石巻の老舗映画館・岡田劇場 88周年記念9・11ディナーショー

2015年8月26日 紙面から

被災前の岡田劇場。左側には、ジャイアント馬場、三波春夫、由利徹、美空ひばり、石ノ森章太郎を描いた「思い出の五人衆」の看板があった=2006年夏、宮城県石巻市で

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 東日本大震災で津波と共に跡形もなくなった宮城県石巻市の老舗映画館・岡田劇場の「興行八十八周年記念ディナーショー」が9月11日、同市内の石巻グランドホテルで行われる。劇場再建がかなわなくなって、映画の巡回上映や以前から手掛ける歌謡ショーなどの興行で営業を続ける同劇場が、感謝の思いとともに意地と根性で健在をアピールする。

 岡田劇場は、幕末に石巻で商才を発揮した千葉源七が町の人たちに娯楽の場を提供しようと私財をつぎ込んだ「千葉座」がルーツ。その後、内海座となり、1891(明治24)年に岡田座となり、33(昭和8)年には東京の歌舞伎座を模して改築され、戦後、岡田劇場となった。

 かつては演劇やレビューなどを上演、政談会も催され活況を呈した。古くは島村抱月と松井須磨子、ロシアへの世紀の恋の逃避行と騒がれた岡田嘉子も出演、六代目尾上菊五郎、美空ひばりらそうそうたる顔ぶれが舞台に立っている。

 49(同24)年に東映発足とほぼ同時に映画の封切館となり、日本映画の全盛期とも重なり、大いににぎわった。同市出身の喜劇俳優・由利徹や近郊の中田町出身の漫画家・石ノ森章太郎も少年時代、岡田劇場に通って、夢をふくらませた。

 旧北上川の河口に浮かぶ中瀬に建っていた岡田劇場は、ランドマークとして親しまれたが、平成に入り、シネコンが進出。客足を奪われながらも努力する中で被災。実は、ボヤ騒ぎがあったのを機に、全面改装して耐震補強した5日後に津波に見舞われた。が、改装のおかげで震災には耐え、当時劇場内にいた従業員は全員無事で、すみやかに避難した後、劇場は津波に流された。

 ディナーショーは菅原聖社長(46)の祖父が経営に携わってからの88周年を祝うイベント。これまでも周年行事は行ってきたが、震災後は初めて。昼夜2回のショーには千昌夫、笹みどり、三條正人、宮路オサム、山本譲二ら10組が出演する。40年来の付き合いというこまどり姉妹の2人は、「いろいろと思い出深い仕事をさせていただきました。これからも頑張ってほしい」とエールを送る。

 映写システムがデジタル化して器材が高額になったこともあり、劇場の再建は「難しい」と先代社長の菅原宏さん(78)。「映画そのものは続いていくでしょうが、ウチは興行で頑張っていくしかない」という。

 現在、石巻市街地を中心に行われている名画上映イベント「金曜映画館」の運営にも携わる聖社長は、「歌謡ショーは、思い出に残りいつまでも語ることができる」と娯楽提供に汗を流す。ディナーショーは、来場者が楽しみながら、岡田劇場の奮闘を励ます場になりそうだ。 (本庄雅之)

◆作家の村松友視さんエッセイ集にも

 作家の村松友視さんが、全国12カ所のローカル映画館を訪ねたエッセイ集「黄昏のムービー・パレス」(89年、平凡社)で、岡田劇場を取り上げていた。「(略)『トラック野郎』に出てくるあのケバケバしい飾りトラックの発祥は、この石巻だったという。あのようなエネルギーが生まれる土壌と、興行師の血が混ざり合って、菅原さんのこの逆境の中でも容易にギブアップしないセンスが、かもし出されているにちがいない」。

 

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