ボウリング場の支配人から「密室芸人」を経て「国民のオモチャ」へ。森田一義はいかにして「タモリ」になったのか。そんなギモンを調べるべく、先日古希を迎えたばかりの彼の半生と、現代史を突き合わせてみたところ……タモリとは「日本の戦後」そのものだった!
ユニークな現代史として話題沸騰の新刊『タモリと戦後ニッポン』の前書きを特別公開します。
はじめに
戦後ニッポンの転換期のなかで
1972年という年は、戦後のニッポンにとって大きな転換期と位置づけられることが多い。その年明けには、グアム島のジャングルで戦時中より28年間潜伏していた元日本兵・横井庄一が発見され、繁栄を謳歌する日本国民に大きな衝撃を与えた。5月のアメリカからの沖縄の施政権返還、9月の日中国交正常化はいずれも外交における「戦後の終わり」を意味した。
中国との国交正常化を実現した田中角栄政権は「日本列島改造」を掲げ、積極財政のもと各地で大規模開発に乗り出した。しかしそれは激しい土地投機による地価高騰、またインフレの昂進へとつながっていく。これと前後して71年のドルショックに続き、73年2月には日本も変動相場制へ完全移行し、そして10月に起こった第一次石油危機により、50年代半ばより続いてきた日本の高度経済成長はついに終焉を迎えることになる。
72年にはまた、新左翼の一党派である連合赤軍のメンバーが長野県軽井沢の「あさま山荘」に立て籠もり、10日間にわたって機動隊と攻防戦を展開した(2月)。その模様はテレビで長時間中継され、国民の耳目を集めた。事件後、連合赤軍の組織内で「総括」と称するリンチ殺人が行われていたことが発覚し、60年代後半より高まりを見せた若い世代による反体制運動は一気に退潮していく。
もし連合赤軍の組織内に幹部をくすぐる「笑い」があったのなら、あの陰惨なリンチ殺人を防げたのではないかと、ルポライターの本橋信宏は書いている(『素敵な教祖たち』)。たしかに72年当時、日本では笑いの地位はまだまだ低かった。テレビの世界でも、スポーツやドラマ、歌番組をしのいで笑いが主役となるには80年代まで待たねばならない。
それでも・笑いの時代・に向け胎動は表れつつあった。このころ、のちに日本の笑いをリードしていくことになる芸人・タレントがあいついでその道に進もうとしていた。
明治大学を除籍となっていた北野武青年は、25歳だった72年夏、すでに盛り場として往時のにぎわいを失っていた浅草でストリップ劇場のエレベーターボーイとなる。やがて舞台芸人の深見千三郎に弟子入りし、さらに同じ劇場にいた兼子二郎(ビートきよし)の誘いで漫才コンビ・ツービートを結成した。いうまでもなく、のちのビートたけしである。
72年2月、20歳の駿河学青年は京都産業大学に在学のまま上方落語の六代目笑福亭松鶴に入門した。松鶴からは「笑福亭鶴瓶」の名をもらいかわいがられたが、ついに一つも噺を教わることがなかったという。
奈良育ちの杉本高文少年は子供のころから学校の人気者で、教師からは何度となく「吉本(興業)に行け」と言われていた。高校三年だった73年末、ついに決心して落語家の笑福亭松之助に入門を申し出る。その後「笑福亭さんま」の名を与えられたはいいものの、彼女と駆け落ちするなど修業を離れることもたびたびあった。しかし師匠の松之助は彼の素質を見抜き、やがて「おまえはテレビに行ったほうがいいから」と笑福亭の屋号を外し、自分の本名(明石徳三)からあらためて「明石家」という名前をつけてくれた。
まだ笑いの分野に養成所など存在しなかった時代、彼らは師匠につくことで本格的に芸能活動を始めた。とはいえ、ビートたけしは大学からドロップアウトして芸人になったという点であの時代では珍しいケースだし、鶴瓶とさんまは落語家に入門しながらも結局落語についてほとんど学ぶことなく、若くしてテレビやラジオで活躍し始めた。
ようするに、のちに日本の笑いを変えることになる彼らは、その世界に入るのも、従来の芸人たちが通ってきたルートからは大きく外れていた。そのなかにあって、師匠と呼べる人はなく、落語や漫才、軽演劇など既存の芸事からも完全に切れたところから突然変異のように現れた異色中の異色の存在が、本書の主人公・タモリその人である。彼が世に出る大きなきっかけをつかんだのもまた、1972年のことだった。
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