テーマ:先天性下腿彎曲症
5月20日、病院へ
レントゲンを撮り、診察
以前と変化なく、彎曲した下腿の骨
生活上、気をつけることは、
折れないようにすること。
専門の病院を紹介されました。
近いうちに行きます。
わたしは、職業柄?沢山の、いろんな人をみてきた。病気の人、障害がある人。だから、街で見かけても、少々では驚かない。
ただ、どのくらい手助けしたらいいかな?と悩むことはある。
わたしたちは、自分とは違う、少し変わった人を特別視する。
障害があって、かわいそうとか、
病気があってかわいそうとか。
わたしに言わせれば、それは個性であるし、その事は、その人にとっての普通なのだ。
わたしには遺伝性の病気があるが、それが分かったのは、専門学校での健診で、いわれた時がはじめて。
それまで、一度も、自分が病気だなんて意識もしなかった。
親や周囲もまた、普通に接してくれた。
今おもえば、
それが、有難かった。
だから、わたしも、コータローに、普通に接する。
もしも、コータローが私たちを選んで来てくれたのなら、きっと大丈夫、と思って来てくれたのだろう。
そして、もしかしたら、病気を抱えて生まれることさえ、自身の修行として選んできたのかもしれない。
子どもは、親の占有物ではない。
預かり物
なのだ。
世間や周囲から、かわいそうだとか、なんやかんや言われ、傷ついて、悩んで帰ってきて、親から
そんな体で申し訳ない
かわいそう
って、いわれたくないでしょ?
難病であることに、変わりはないし、変えられないのだから、大人は受け入れて、子どもが、なるべく不自由しないように、手助けしたらいいんだと思う。
悲しくなることもある。どうして?って思うこともある。でも、いつまでもそこにいるわけにはいかない。
あ、もちろん、自分が納得するまで、悩み葛藤することは、病気の受容過程で必要な作業なので、いま、その真っ只中にいる人は焦る必要は、全くないのだけれど。
子どもは、大人以上に、敏感に、物事をみている。そしてわかっている。
親が悲しい顔してどうすんの??!!
子どもは、
あ、おとーさん、おかーさん、悲しい顔してる。ぼく、わたし、悪い子なのかな?ごめんね、ぼく、わたしがこんなので
って思ってますよ。きっと。
無理して笑う必要はないけれど、、、
いいじゃない、生きてるだけで、まるもうけ。生きてればなんとかなるのよ。
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