写真広場
写真部のカメラマンが撮影した数々のカットから、お薦めのもう1枚を紹介します
【暮らし】<家族のこと話そう> ホームレス支援全国ネットワーク代表 奥田知志さん長男の愛基(あき)が仲間たちと今年五月、「SEALDs」(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)という団体を立ち上げました。 安保法案に反対するデモを国会前で開き、若い人が次々「私たちは」でなく、「私は」という主語で語りかける。私の時代と違ってイデオロギー的なものに固まらず、主体がはっきりしている。彼が話すことも、彼自身の経験や出会いから生まれた彼自身の言葉だと思います。 私は北九州市で牧師をしながらホームレスの人たちを支援する活動をしてきました。家族は、妻と子どもが三人ですが、いつもホームレスの人だとかが一時的に同居していました。子どもたちはそういう人たちから話を聞いたりする中で、世の中の不条理を感じて育ったと思います。ただ、その分、寂しい思いをさせてきたと思います。 長男は、小学生のころからまじめ。中学校入学後、いじめで不登校になりました。精神的に追い詰められ、二年生の夏ごろには目を離せなくなった。隣で寝ることにしましたが、私の方が体調を崩して入院するということもありました。その年の秋の終わりごろ、長男は家を出ることを決めました。沖縄県の孤島の学校に転校したいと言い出したのです。息子の面倒を見てくれる「島のお父さん」に、私は手をついて「助けてください」とお願いしました。多くの人を支援してきましたが、自分自身が「助けて」と言えない。そんな中での出来事でした。長男の一件を通じて、助けてと言うことの大切さを教わりました。 長男は、島の中学校から島根県の全寮制の高校に進み、東京の大学に進学。入学直前に起きた東日本大震災の被災者を支援する活動に加わりました。でも、いろいろとあったようで、一年後「逃げたい」と言ってきました。まじめで頑張り屋の彼が、初めて「助けて」と言えた。よかったと思いました。私自身もそうでしたが、今の世の中、なかなか「助けて」と言えない。「努力が足りない。自己責任で頑張れ」と言われてしまう。誰にも「助けて」と言えず、自ら命を絶つ人が多い社会は間違っています。 その後、長男は一年間カナダに留学し、一昨年、特定秘密保護法に反対するデモ活動を仲間と始め、今の活動につながりました。 彼が大学に入った四年前は「ホームレス支援をしている奥田さんの息子さんですね」と言われたようですが、今は私が「奥田愛基君のお父さん」と呼ばれています。今も電話で議論したり、一緒に酒を飲んだりしますが、その度に「あいつはあいつの道を進んでいる」と感じています。 聞き手・写真 白井 康彦 <おくだ・ともし> 1963年大津市生まれ。88年に北九州市でホームレス支援活動を開始。90年に西南学院大神学部専攻科を卒業し牧師に。現在はNPO法人「抱樸」理事長、NPO法人「ホームレス支援全国ネットワーク」代表などを務める。 PR情報
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