特訓とか努力とか、そういうキャラじゃない。面倒くさい。
そんな不真面目な台詞を、あの頃の加蓮はしばしば口にしていた。
と言っても、この事実は何も加蓮の性根がずぶずぶに腐っていたということを意味するのではない。
自分に出来るだけの努力をしたつもりでも、身体がすぐに根を上げる。その繰り返し。いつしか、「頑張る」という行為それ自体に嫌気が差し始めてしまっていた。
どれだけ頑張っても結果はちっとも出てくれないのに、何の意味があるのだろうか。
苦労を嫌がる声は単なる怠惰ではなく、心が軋みを上げていく音だ。
それでも不貞腐れることなくアイドル候補生の活動を続けられたのは、周囲の人間に支えられていたからなのだろう。
例えば、加蓮をアイドル業界に引き込んだ張本人のプロデューサー。
そして例えば、仲間達の中でも気付けば話す機会が最も多くなっていた、何だかんだで面倒見の良い性格だった【奈緒】という少女。
あれほど生意気な態度を取られたら誰であっても悪印象を持つのが当然で、事実【奈緒】は加蓮の態度にしばしば呆れ、時折咎める口調で語りかけた。それでも、絶対に突き放すようなことだけはしなかった。
本心に気付いてくれる人間に出会えた時点で、加蓮は幸運だったと言うべきだ。対人関係の点においては、間違いなく恵まれていたのだ。
恵まれていたのに、結局逃げ出した。
自分の限界を目の当たりにし、加蓮はそのまま引き返してしまった。
しかし、再び前に向き直れるしれないチャンスなら確かに存在していたのだ。
事務所を立ち去ってから、加蓮の携帯電話に一通のメールが届いた。差出人は、【奈緒】だ。どうしても戻りたくないのか、そんなことを訪ねてくる文面には顔文字も絵文字も無く、なのに【奈緒】の表情は容易に想像できた。
うん、だけの素気ない返事。指がするりと動いて、そういうのもういいよ、と余計な悪態を付け足して、送信。
次の返信は、無かった。これが加蓮と【奈緒】の関係の終焉であり、折角巡ってきた最後のチャンスを無為にした一夜の話。
もしも、もしも何処かで別の選択肢を取れば、また別の結末も有り得たのだろうか。
「うわっ!?」
「あ、すみません!」
その日の朝、ぼんやりと考え事をしながら足を進めていた加蓮は周囲への意識を些か散漫とさせてしまい、当然のように誰かと身体を接触させてしまった。
すぐさま口から反射的に謝罪が飛び出す。厄介な性分の相手でなければ、これで加蓮の犯した失態は何事も無く解決するはずだった。
この些細なハプニングは、何てことのない話で終わるはずだったのだ。加蓮の両目が、相手の容貌を捉えさえしなければ。
「……っ、ぉ」
相手は、加蓮と同じく学園の女子生徒だった。
同じくらいの高さの目線の先にある、丸い形の瞳。今時の少女にしては少し珍しい、太めの眉。
その容貌に、加蓮の時は停止する。
相手の愛らしい外見に心を奪われた、というわけではない。むしろ、加蓮の心中を支配していた感情の大部分を説明するなら、それは怯えだ。
今、加蓮が継ぐべき二の句は何だというのか。分からない。
きっと何かの意志を示さなければならないというのは分かっているのに、思考が硬直してしまう。
今、加蓮は彼女に何を言われてしまうというのか。非難か、怒りか、それとも。
「えっと……」
「ん、そっちも大丈夫? ……あのさ、別に上級生だからってそんなに怯えなくていいって。あたし別に怒ってないから」
「あっ、……はい」
「うん。良し良し。それじゃあな」
何のことは無い話だった。
けろりとした表情でこちらを幾らか気遣って、それきり手をひらと振って加蓮の前から去っていく。加蓮が口を開こうとした頃には、一緒に登校していた別の友人との会話に興じていた。話しかけるタイミングなど、もう無い。
初対面の上級生と下級生が起こしたやり取りは、取り立てて語るほどでもない結末を迎えた。
そこには、加蓮の耽っていた思考と関わりのある要素など一切存在していなかった。
上級生は、加蓮にとって単なる赤の他人だ。一年違いで足並み揃えず歩んだ時間は、間違いなく学生としてだけのもの。『アイドル』、そんなフレーズは二人の生涯において一度として姿を見せることが無い。
そういう設定なのだと、即座に理解したから。
何処かで別の選択肢を取れば、また別の結末も有り得たのだろうか。
時が流れ過ぎ去った今、確かめるための機会は綺麗に消えてしまった。喧嘩さえ、もう許されない。
その事実を嫌というほど実感しながら、加蓮は遠ざかっていく【神谷先輩】の背中を見送った。
これは、冬木の地で北条加蓮が送る日常の一ページ。
『正義の味方』にとっての遍く守られるべき尊い時間の、ほんの一側面。
◇
本田未央という女子生徒が、この何日か無断欠席を繰り返しているらしい。同級生達の間で俄かに囁かれる噂は、加蓮の耳にも届いていた。
渦中の人物と直接話したことなど無いが、それでも加蓮は本田未央の顔と名を知っていた。『同じ冬木の学び舎から輩出された栄えある新人アイドル』という肩書きの持ち主ともなれば、学園で知らぬ者の方が稀だろう。
奇しくも、加蓮にとっては冬木を訪れる前の時点で『どこかの高校から輩出された新人アイドル』であったわけだが、今はこれ以上追想しない。
本田未央がなぜそのような奇行に及んでいるのか、個人的な接点の無い加蓮には知る由も無い。ただ、正当な理由なく学校をサボると良くない意味で注目の的になるのだな、という認識を加蓮に与えていた。
ごく当たり前のことであるが、現役芸能人と平凡な女子高生とでは周囲からの注目の度合いに天と地の差があり、自分が本田未央のように好奇の的にされるのではというのは自意識過剰も甚だしい。あくまで、万が一にも不審に思われたことで聖杯戦争のマスターと不用意に露見しないための保身の話だ。
聖杯戦争への対処のためにまず通学を中止すると決定した加蓮は、朝日の挿し込む自室のベッドの上で布団を被っていた。
いわゆる仮病である。
世の子供達の何割かが一度は実行し、家族に敢え無く看破されるのが落ちの稚拙な作戦でありながら、加蓮の場合は話をある程度有利に進められる事情があった。
北条加蓮は、同年代の少女と比較して身体があまり丈夫でない。
これは紛れも無い事実であり、現に入院生活を終えて以降も体調不良を理由としてしばしば学校を欠席した経験がある。その喜ばしくない背景は、どうやら冬木市においても引き継がれているようだった。
倦怠感と不快感に苦しむか弱い少女のように振る舞ってみたところ、出勤直前であった母親は不安げな表情で病院での診療をさせなければと言い始めた。
加蓮の演技が功を奏したためか、一応は昨日まで健気に通学していた加蓮の実績が不真面目な発想に思い至らせなかったためか、はたまたこの態度も合わせてNPCの役割に過ぎないのか。ともかく、仮病作戦は一先ず成功したようだ。
が、本当に病院に担ぎ込まれてしまうのは色々な意味で拙い。お母さんにも仕事があるでしょとか、前みたいに薬を飲んで午前中だけ寝込んで調子が良くなれば連絡するからとか、母親を家から送り出すための説得にまた苦心することとなった。
仮想世界に再現された模倣品とは言え実の親を欺くことに良心が痛まなかったと言えば、嘘になる。それでも自らの置かれた立場を第一に考えればやむを得ない措置だと反芻して自己を納得させる。
同時に、明日以降はまた別の手段を取った方がいいのかもしれないと頭の片隅で考えていた。
母親が自宅を発っても待ち侘びたとばかりに外出に踏み切らかったのも、演技の徹底という理由だけでは無いのかもしれない。
――仮病って……そういう嘘を吐くのはあんまり良くねえだろ。
……実際には、昨晩の時点で加蓮以上にワイルドタイガーがこの作戦に難色を示していた。
加蓮を戦場に連れ込む状況を許すのに加え、子が親に嘘をつくという状況に少なからず思う所があったのだろう。
加蓮の作戦を却下しようとするタイガーに、他に代案はあるのかと尋ねれば、いや今は思い付かないけどよと返される。それでも一丁前に食い下がるタイガーに、煮え切らないものを感じた加蓮はやむを得ず代案を一つ示した。
ワイルドタイガーの宝具の利用だ。彼の宝具を使用すれば、多種多様なヒーローをこの場に召喚することが出来る。
そして今のタイガーが召喚可能なヒーロー達の中には、変身能力を持つ折紙サイクロンという人物がいるとも既に聞き及んでいた。
彼に加蓮の姿を擬態させ、加蓮に代わって学校へと行かせればいいとの計画だ。
しかしタイガーはこちらの案にも、仮病作戦と同じくらいに反発した。その理由は、タイガーの宝具が抱える弱点にあった。
最大で十人を超えるヒーローを同時に使役する宝具は、純粋な戦力としては確かに目を見張るものがある。しかし、そこには当然のように魔力消費という名のリスクが付き物だ。
ヒーローの頭数が増えれば増えるほど、加蓮の身体は重大な負担を強いられる羽目になる。各人が得意の超能力を以て戦闘行為に及べば尚更だ。
折角の宝具の長所を十全に引き出せない程度には、北条加蓮はマスターとしての才覚に優れていない。マスターの抱える欠点、それがそのままタイガーの宝具の弱点だった。
そんな加蓮に無用な負担を強いることが、何よりタイガーに眉を顰めさせる要因であった。
尤も、宝具解放によるヒーローの召喚自体は既に何度か行っている。
ただし呼び出していたのは、タイガーに能力の総合地で劣る分だけ魔力消費量も抑えられている二部ヒーローが一名。街の探索に向かうタイガーに代わってその者が取った行動も、加蓮の登校から下校に至るまでの学校生活に大きな異変が生じていないかの偵察のみ。実戦とは無縁を貫いていたため、魔力消費量の増加は比較的少量に留められていた。
しかし、折紙サイクロンの召喚となると話は変わってくる。一部リーグのヒーローである彼に、擬態能力を常に発動した状態で活動させるのだ。魔力消費量の増加は流石に無視し切れないだろう。
加えて、タイガー達は今後いつ戦闘に突入するか分からない。その時に有限の召喚可能人数の一枠が折紙サイクロンに埋められていたとなれば、本当に必要な局面に至って戦力不足を陥ってしまうかもしれない。
どの側面から見ても、加蓮への危害を懸念せずにはいられない。
――魔力の負担とか、タイガーじゃなくて私の身体の話でしょ。私が良いっていうから良いじゃんって思うけど。
――いやいやいや、ついさっき自分の身体が丈夫でないって言ったばかりだろ。俺だってマスターに無駄な負担なんか掛けさせたくねえよ!
――じゃあタイガーが別の方法考えてよ。仮病が駄目だって言うなら、私がちょっと我慢するしかないってしか思えない。
――……あーもう分かったよ。明日は仮病で休んでいい。仕方ない。でも忘れるなよ、こうやって周りに心配かけさせるのは良くねえぞ。
結局、タイガーの方が折れたことで仮病作戦が採用された。
自分自身の身体を人質にするも同然の論調で勝ち取った結論には、生憎と達成感は無かった。
「……お母さんもう行っちまったぞ。マスター出るんだろ?」
「当然でしょ。あ、服着替えるからもう一回部屋の外出て」
「はいはい……」
渋々といった態度が抜け切らないまま、タイガーは加蓮に簡単な報告を済ませる。
そんな彼を素っ気ない言葉と共に再び部屋の外に追いやり、加蓮は箪笥の引き出しを開ける。
ハンガーに掛けた学園の制服には用は無い。日中の街中を歩くには、そこら辺の十代の少女が着るような、中でも特に印象に残りづらいコーディネートの私服で十分だ。
手早く着替えを済ませ、ドアノブに手を掛けようとしたところで、
「……一応ね」
壁のフックに掛けていた帽子を掴み、頭に被せる。適当に選んだのは白黒ツートンカラー、目立つデザインでもないから良しとする。
繰り返し述べるが、加蓮の頭にあるのは自分の正体に気付かれず、人混みの中に埋没するための措置だ。
まるでお忍びで街に繰り出そうとする人気アイドルを彷彿とさせ、なんか馬鹿馬鹿しいなと思ったとしても、加蓮は止めるわけにもいかなかった。
◆
流石にタイガーと言えど、薄々と感じていたある事柄をいよいよ確信していた。
どうやら、自分と加蓮との仲はあまり上手くいっていない。
二、三日前までは、絶好とはいかずとも決して悪い関係ではなかったように思う。それが、今ではしばしば刺々しい態度を取られ、その度に距離感のようなものを感じてしまう。
貴方の事を信用していない。遠い昔、バーナビー・ブルックスJr.から浴びせられた手痛い拒絶と同じフレーズが、今また繰り返されてしまった。
果たして、今回は何が問題なのだろうか。
聖杯戦争がいよいよ本格的に開始すると告げられ、流石に加蓮も気が立っているのか。
それとも知らない人間とコンビを組めと言われたら、誰であってもこのような反応になるのは必然ということか。
もしくは、加蓮はタイガーの持つ何らかの側面を受け入れられないのか。何か癇に障るような言動があっただろうか。
(思い当たるとしたら……どれだ?)
数日前、学校帰りに加蓮の付き添いでジャンクフードの買い食いに勤しんでいた時のこと。タイガーの不用意な発言が原因で加蓮を怒らせたことがあった。
昨日まで、毎朝タイガーが加蓮に学校に行くように提案して、その度に小さな反発を招いていた。
昨晩、学校を休むための選択肢を考える際に明確な対立があった。
……悲しいことだが、もしかしたら記憶を掘り起こせばもっと原因となりそうな出来事はあるのかもしれない。
一生をかけて愛娘を育て上げた自負のあるタイガーだが、それでも年若い少女を無駄に怒らせてしまう癖は英霊となっても変わらず。
しかし、これでもタイガーとしては自分なりに加蓮からの信頼を得られるように振る舞っていたつもりである。
お互いの性格や癖、長所や欠点を把握していれば状況毎に選択出来る対応のパターンも増やせる。シュテルンビルトのヒーローの一人として、またコンビヒーローの片割れとして得られた確かな実感だ。
そのためにもまず誠意を示そうと、信条である正義を掲げた。加蓮の安全が最優先だと伝えた。ヒーローとしての自己を、確かに訴えた。
それでも、加蓮の方からは積極的に歩み寄ってくれない。確かに協力者ではあるが、それだけだ。そして取りつく島も無いとでも言うべき状態では、その詳細すら考える材料に乏しいのが現実だった。
だからと言って、挫けるわけにはいかない。
結果的には一緒に過ごす時間が長くなったのだから、この際貴重な機会を有意義に使わせてもらおう。
『じゃ、早速行くとするか!』
「うん。で、どうやって探すの? アテは?」
『心配いらねえよ。サーヴァントには魔力探知の能力があるんだ。この能力を使えば……』
「タイガーにもそんな器用なこと出来るんだ。じゃあ他のサーヴァントってどの辺りにいるの?」
『えっ。そりゃあ、今から大体どっち方面かなーって感じにだな……』
「…………大雑把。もしかして、そんなに得意ってわけじゃないの?」
加蓮の訝しげな視線が、霊体化したタイガーの身体にちくりと突き刺さる。
全く困った話だ。活躍しようと意気込んだ矢先、いきなり株が下がっている。
思い返せば、加蓮と一緒に街の探索をするのは今日が初めてだ。そのスタートが、今まで大した成果を挙げていないことの種明かしになるとは思わなかった。
しかし、それも致し方ない話ではある。
「もうさ、ヒーロースーツ着てきたんだし実体化すれば? そうすれば嫌でも目を引くでしょ」
『いや、それは駄目だ。ヒーローの姿は、今はそう見せびらかすもんでもない』
いつでも戦闘を行えるよう、今のタイガーはヒーロースーツに身を包んでいる。
しかし、人々の目に触れぬよう霊体化は維持したままだ。
「まだ何も起きていないから」という理由だった。
現状は、ある意味においてはタイガーにとって望ましい状況ではある。
ヒーローとして有事の際の平和維持活動をライフワークとしているタイガーであるが、だからと言って有事を渇望する気持ちなど微塵も無い。
人が危機に脅かされない、人が普段通りの日常を歩んでいき、ヒーローが早急に駆り出される必要の無い環境こそ本当にヒーローとして望むべき物だ。
タイガーが加蓮に学校へ行くよう何度も言っていたのも、勿論安全確保という側面もあるが、加蓮には何より「普段通りの」日常を過ごしてほしかったからである。
聖杯戦争から目を背けろと言う気は無いが、それでも可能な限り戦争に怯えることなく、出来るだけ非日常的な要素から遠い「普段通りの」日常の中のままにいてほしかったのだ。
そしてその願いは、加蓮も含めた多くの者達に対して共通する。それ故に、タイガーは街の探索において効率的とは言い難い方法を選んでいた。
姿を衆目に晒しながら街をひたすらに駆け回れば、確かに多くの者達の気を引けるだろう。しかしそれは、「穏やかな地方都市に突如現れた正体不明の鎧男」などという風説も生みかねない。
ヒーロースーツは、『ワイルドタイガー』の名に並んで自らがヒーローであろうとする意思表明。しかし皮肉なことに、町がヒーローを必要とする局面に至ったとの危険信号でもある。
そしてシュテルンビルトと異なりヒーローを支える土壌が全く確立していない冬木では、口惜しいことにヒーロースーツはただ異常性しか訴えない。これではタイガー自身の姿が平和を壊しかねない。
ひいては、加蓮が身を置く平和な環境も、だ。
だから、今はまだ大っぴらな行動をしないでいようと決めた。
敵対すべき強敵に直面したならば、外見も含めて『ワイルドタイガー』として参上しよう。場合によっては改めて冬木の人々に自らの存在を知らしても良い。
でも、今はまだその時でない。タイガーの望んだ平和な時間が続くなら、今はまだ大人しくしていよう。
慎重に行動せよ。
正義のために突っ走る性分のタイガーがバーナビーに、そしてブルーローズやベンに、加えてアニエスやロイズや楓にだって何度も言われた大事なことだ。
この教えに従い、周りの印象など気にするかと前面に出ようとする自分をこうして抑えているのだ。
「悠長じゃない? 七日しか期限が無いのに」
『いいんだよ。今は地道で』
「それで、こうして呑気に歩くんだ」
『別にいいだろ? 変に焦って空回るよりはさ。それより今はゆっくりトークでもしとこうぜ』
非難するような色の混じった声だが、それでもタイガーは構わないと受け流す。
先程の話に付け加えれば、何も起こらない間なら人探しと並行して加蓮とのコミュニケーションにも時間を割けるというものだ。
思えば聖杯戦争における戦法の話、つまり事務的な会話は何度も重ねたが、それとは全く関係の無い個人の嗜好の話は殆どしていないような気がする。正確に言えば、タイガーの方から喋るばかりで加蓮の方はあまり自分のことを話さない。
さて、何の話をしようか。部活、友情恋愛、ファッション、それともまたワイルドタイガーの身の上話か。
何でもいい、平和であると実感さえ出来るなら。
「誰も求めなきゃ、ヒーローって退屈なんだね」
ふと、ぽつりと加蓮が零した。
『ん?』
「……だって、何も起こらないってことは、誰も助けを求めてないってことじゃん。平和な時って、もしかしてヒーローは要らないのかなって」
『……』
「私達って、今何やってるんだろうなあって思っただけ」
何を思って、加蓮がこんな話をしたのかは分からない。
しかし、これは早急に訂正しなければならないことだと判断した。
どうやら、話題は結局タイガーの方からのお喋りになってしまうようだ。
「なあマスター、勘違いしてるみたいだが」
「あれ?」
心機一転と気合を入れ直したタイガーの周囲が、何やら俄かに慌ただしくなっていくのに気付いた。
NPCとして設定された街の住人達が、揃って同じ方向へと歩いていくのだ。ぶつぶつと何かを言い合う姿は、まさに野次馬のそれだ。
何事かと人々の流れに付き従い走った先では、小さな人だかりが出来ていた。其処は何の変哲も無い小さな公園で、大勢で集まるような珍しい場所でもあるまい。
ただ、砂地の一点が奇妙に抉られているという事実を除けば、であるが。
「あの、何かあったんですか?」
「ああ……なんかさっき爆発するみたいな音が聞こえたって。俺もよく知らねえけどさ」
小さなクレーターを携帯電話のカメラで撮影していた男の話を聞く限り、この現場を一目見た時に過った通りの事態が起こったのだとタイガーは察する。
破壊力を秘めた何かが爆ぜた痕跡。その中で乱暴に転がされている、一台の車椅子。この異常な状況の中、当事者と思しき人物が見当たらないという異常性を重ねて訴えかける状況。
高い確率で、たった今サーヴァントによる荒事が引き起こされたのだ。
「……何か、起きちゃったみたいだね」
『結局こうなるのかよ……』
それが意味するものは即ちヒーローの出番――変わらぬ穏やかな日常が、当然とばかりに終焉を告げてしまった事実である。
◇
方針を転換し、二手に分かれての捜索活動を開始することとなった。
タイガーは単身で、加蓮はタイガーの宝具によって召喚したヒーロー一名との二人一組。捜索対象は他の参加者、特に「足が不自由と思われる人間」に注意。
こうしてタイガーが加蓮と別行動を取っているのは、他でもない加蓮の提案だ。
宝具の持ち主であるタイガーが危機に陥れば追加でヒーローを召喚すればいいし、マスターである加蓮達が危機に陥れば撤退しつつタイガーを令呪で呼び戻せば済む、という理由である。
本音を言えば、加蓮にも負担を強いる宝具の使用方法には難色を示したいところではあったが。
――こんな時まで私に気を遣うのは優先順位間違ってるよ。ヒーローなら、まずは目の前の平和を守んなきゃいけないんじゃないの?
――でもよ……
――私は別に大丈夫だから。ていうか、私だけ何も出来ないってのが一番嫌。宝具使うためのエネルギー源ってのが、今の私に出来る一番のことだし。
加蓮に押し切られる形で、タイガーは宝具の本格的な発動に踏み切ったのだ。
有難い話であると同時に、情けない話だとも思う。
危険から遠ざけようと願った少女に負担を強いているのだ。こうでもしなければならないほど状況は確実に切迫し始めていて、既にタイガー一人では対応し切れない。サーヴァントという器に嵌め込まれたタイガーの弱みが、ここで露呈した。
『となると、さっさと終わらせないとな』
ならばこそ、解決はより一層の急務だ。
当面の間、加蓮の身の安全は召喚した仲間のヒーローに任せるとして、こちらも出来ることから始めよう。
遅くとも正午には一旦合流する約束となっている。出来るならば、それまでにこちらの方で何らかの成果を挙げられるのが望ましいところだ。
加蓮の前で頼りがいのあるところを見せるため……という発想は、この際後回しだ。いい恰好をするための戦いでは無く、今は何より平和のための戦いを。信頼という結果など、どうせ後から勝手についてくる。
ヒーローとしての使命に意気込むタイガー。しかし、それとは別に自らの振る舞いにも見直すべき部分があったのだろうとも考え始めていた。
『エネルギー源、て。そこまで言うか……』
加蓮は、自らを指してそんな卑屈な表現を使った。
いつの間にか、彼女は自分自身を役立たずと卑下してしまっていたのかもしれない。
そうだとしたら、もしかしたらタイガー一人ですべて解決しようという意識を押し出しすぎたのは失策だったか。
当然であるが、タイガーは加蓮を危険に晒す気など無い。しかしそれとは別に、加蓮の人格を蔑ろにしようというつもりもない。
故に、加蓮にあんな台詞を吐かせてしまったのはこちらの配慮が行き届かなかったためということになるのだろう。
『……こういうのも、ちゃんと気に掛けないとな』
別れ際、加蓮の勘違いの訂正も兼ねて一応のフォローはしたつもりだ。それでも、少ない言葉だけで人の印象は変わるものでもあるまい。
やはり改めてきちんと言葉を交わしてみるべきなのかもしれないな、とタイガーは自然と思うようになっていた。勿論、全ては目の前の仕事を片付けてからなのだが。
そんな小さな決心を固めながらタイガーは街を駆ける。
ヒーローの為すべき二つの責務を、果たすために。
◆
――別に戦う力があるかどうかってのは重要じゃねえぞ。俺に魔力を供給するってのもそりゃ大事だが、他にもマスターには出来ることがあるんじゃないか?
――何? 説得だったら私もしてみるって前も言ったけど。
――そりゃあ、例えば……ただこれは間違ってるって言うんじゃなくて、他のマスターが何かに悩んでるんだってのが分かった時、じっくり話を聞くとかだよ。そういう行動だって、最後は街の平和に繋がるんだ。
――へ?
――第一、ただ犯罪者と戦うだけがヒーローの仕事じゃねえよ。人が道を踏み外さないように自分が手本になって、でもって助けを求めてるんじゃないかって人がいないか目を配らせて、何かあったら側にいてやるのも立派なヒーローの仕事だぞ。
――……。
――こういうのなら、マスターにだって出来るだろ。つーか、むしろ女の子相手なら俺よりマスターの方が話しやすそうだろ?
――……そんな、別に誰でも出来ることしたって。ヒーローってそんなんで良いの?
――良いんだよ。まあ言っちまえば、他の誰かのために行動出来るなら、誰だって『ヒーロー』なんだよ。俺はそう思ってるぞ。
タイガーは加蓮にそう言い残して去って行った。
彼の言葉を借りるなら、加蓮もまた『ヒーロー』、表現を変えれば誰かの『夢』になれるというのだ。
誰かにとっての『夢』。また別の言葉を使えば、かつて加蓮が諦めた、あの精一杯に輝く少女達のようなもの。
(そんなの買い被りでしょ。意味無いに決まってるじゃん)
そもそも加蓮が何も伝えていないのが大元の原因なのだが、彼は加蓮が何故こんなところにいるのかを失念している。
加蓮は、タイガーとは違う。タイガーに代わって隣で加蓮を護ってくれているヒーローとも違う。加蓮は、ただの『夢』から逃げた敗北者だ。だから自覚しないまま聖杯に縋り、エゴに足掻くマスターの一人となったのだ。
こんな人間の口から出る言葉が、果たして誰の心に響くというのだろうか。
事前の協議では、加蓮は他のマスターと遭遇した場合に説得を試みる役割を担うとは言った。
でも加蓮の口から出せるのは、タイガーを真似た薄っぺらいだけの「正論」だ。
それ以上の踏み込んだ話になれば、後はタイガーの仕事である。ただの小娘とヒーローでは、言葉の厚みが段違いだ。
悪く言えば、加蓮はただそこにいるだけ。
(本当、何やってるんだろう)
なんて馬鹿らしい話だろうか。
どうして今日になって街に繰り出そう、マスターとして積極的に動こうと思ったのか。自分の下した判断の理由が、今ならきちんと説明出来る。
何も出来ない自分自身の姿を直視するのが、嫌だったんだ。
学校に行かなければ、積極的に何か違った行動をすれば別のものが見えてくるんじゃないかと思った。
そうして沸々と溜まるストレスをぶつけるように我儘な言動を取った挙句、いざ彼からの期待を受ければやっぱり無理でしょと腑抜けた考えに囚われる。
ああ、とんだ道化だ。
お前は魔力の供給源であれば十分だと言ってくれれば、また分相応に働けばいいんだと納得出来ただろうに。
なのに、生意気な態度に関わらずタイガーは加蓮を嫌うことなく、お前も何かが出来るはずだと口にする。こちらの事情なんて、よく知りもしない癖に。
これではどの道、彼から本当に失望されるのも時間の問題なんじゃないのだろうか。
……むしろ、その方がいっそ全部ぶち壊せるだけ気楽なのかもしれないけれども。
勿論、こんな気持ちは誰にも言えやしない。
(……私って、何がしたいの?)
真っ直ぐなタイガーの姿が、眩しい。
彼によって照らされる世界が、眩い。
その光に、北条加蓮は未だ真っ直ぐ向き合えない。
【C-5/住宅街/1日目 午前】
【北条加蓮@アイドルマスターシンデレラガールズ】
[状態]健康、私服姿
[令呪]残り三画
[装備]
[道具]
[金銭状況]学生並み
[思考・状況]
基本行動方針:偽りの街からの脱出。
1.街をぶらついてマスターを捜す。「脚が不自由と思われる人物」に注意。
2.タイガーの真っ直ぐな姿が眩しい。
3.また、諦めるの?
[備考]
とあるサイトのチャットルームで竜ヶ峰帝人と知り合っていますが、名前、顔は知りません。
他の参加者で開示されているのは現状【ちゃんみお】だけです。他にもいるかもしれません。
チャットのHNは『薄荷』。
捜索の成果に関わらず、遅くとも正午までに虎徹と合流する約束をしました。集合場所は後続の書き手さんにお任せします。
【C-5/住宅街/1日目 午前】
【ヒーロー(鏑木・T・虎徹)@劇場版TIGER&BUNNY -The Rising-】
[状態]健康、霊体化、宝具『LOH』発動中
[装備]ヒーロースーツ
[道具]なし
[思考・状況]
基本行動方針:マスターの安全が第一。
1.加蓮を護る。
2.何とか信頼を勝ち取りたいが……。
3.他の参加者を探す。「脚が不自由と思われる人物」に注意。
[備考]
現在、宝具によってヒーロー一名を召喚し、加蓮の護衛をさせています。誰を召喚したのかは後続の書き手さんにお任せします。
捜索の成果に関わらず、遅くとも正午までに加蓮と合流する約束をしました。集合場所は後続の書き手さんにお任せします。
BACK |
登場キャラ |
NEXT |
009:灰色の夢 |
北条加蓮 |
|
ヒーロー(鏑木・T・虎徹) |
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