社説:視点 若者が政治を変える時=論説委員・与良正男
毎日新聞 2015年08月25日 02時30分(最終更新 08月25日 11時48分)
「婦人の参政で美俗は壊れず」−−。1945年12月4日の毎日新聞にこんな見出しの記事が載っている。
時の幣原喜重郎(しではら・きじゅうろう)内閣は終戦から2カ月後の同年10月、選挙権を初めて女性に与え、投票年齢も20歳以上に引き下げる方針を決定した。これを受けた国会で、ある議員が「家庭を守る婦人」の参政権と従来の家族制度とどう調和させるかと質問したのに対し、担当閣僚が美俗(=よきならわし)が壊れる心配は毛頭なく、逆に女性の地位を高め、「新道徳が完成される」と答弁した、との記事である。
女性は家庭を守るもの。政治に関わるのはとんでもないという考えがまだ強かった頃だ。だがこの改革が後の日本政治を大きく変えたのは論をまたない。
連合国軍総司令部(GHQ)の主導ではあった。だが戦前から女性参政権運動に取り組んできた市川房枝さんらが終戦の10日後、早々に「戦後対策婦人委員会」を結成し運動を再開していたことも忘れてはならない。
70年たって選挙年齢が18歳に引き下げられた。再び政治が変わる契機になるかもしれないと思う。あの頃と比べ国民全体の熱気は乏しいかもしれないが、新しい息吹を感じるからだ。
例えば安全保障関連法案に反対し「民主主義って何だ?」と全国でデモを繰り広げる10代後半〜20代前半の若者たちだ。
話を聞くと、彼らの世代はネットを駆使して反政府デモを展開した中東の「アラブの春」を身近で重要な出来事ととらえていることが分かる。「アラブの春」がもたらした結果は評価が分かれる。でも彼らの多くは自分たちも行動を起こせば実際に政治を動かせると考えているのだ。そこが「どうせ政治は」とあきらめがちな大人と違う。
彼らを「利己的」と非難した武藤貴也衆院議員(金銭トラブルで自民党を離党)だけでなく戦後憲法が個人の権利を強調し過ぎた結果、日本の伝統が失われたという考えは自民党に今も根強い。しかしボランティア活動の拡大などを見るように彼らは決して利己的ではない。むしろ他人のためになることが自分の幸せと考える「利他的」な若者が確実に増えていると思う。
男女平等の総選挙が初めて実施されたのは46年4月。憲政の神様とうたわれた尾崎行雄は投票日の毎日新聞で「婦人・青年の責任重し」と題し、平和世界のために活躍する新日本を建設するか、旧来の日本に戻るか、「その分岐点は懸(かか)って今日の一票にある」と記している。
私たちが継承すべきはこの言葉である。【論説委員】