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飽くまでも悪魔でも 作者:CT

第一章 農林水産省の男

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 ヨータは第七応接室の前に辿り着くと、スーツの襟を軽く伸ばしてから扉を開け、会釈しながら入室する。
「お待たせしました、農林水産省内部部局、折衝課の星月ヨータです」
 天啓機関のエージェントは、応接室のソファーに座ったままヨータに黒い双眸を向けた。彼女がそうしたように、ヨータも相手を観察する。
 背中まである長い黒髪は白い紐で後ろに束ねられていて、真っ直ぐ艶やかだ。肌の色は白いが白すぎると言うことも無く、純粋種の日本人であることが見て取れる。白い襦袢や緋袴と言った、いわゆる巫女装束がとても似合っていた。もっとも、この合同庁舎の中ではいささか浮いた恰好ではあるが。
 彼女はしばらくヨータを見つめた後、ゆっくりと立ち上がり──
「天啓機関の巫女、神子山(みこやま)琴音と申します」
 名乗りと共に琴音は深々とお辞儀をする。ヨータもつられてもう一度会釈した。
「本日はあなた様に、天啓を授けるためやって参りました」
「噂には聞いていましたが、自分の身に降りかかると冗談のようですね」
 ヨータはそう言って苦笑するが、琴音は表情を全く変えない。そして真剣な面持ちのまま、凛とした神の言葉を伝えるに相応しい厳かな声でこう告げた。
「深淵妖精の女王を探しなさい」
 全く心当たりの無い名称に、ヨータはただ琴音の瞳を見やる。
「――以上です」
「以上ですか」
 ヨータは手櫛で髪を撫でながら、高速で思考を巡らせていく。
 しかし知らないものは知らないし、考え続けることで答えが出そうな問題だとも思えなかった。
「えーっと、神子山(みこやま)さん」
「ヨータ様」
 取り敢えず何か質問しようと名前を呼ぶと、それは名前を呼び返されることで遮られ──
「私はこれより、あなた様の従者として行動を共にさせて頂きます。故に私のことは琴音、と呼び捨てにして下さい」
 有無を言わせぬ迫力で、そう言った。
「解りました」
「その敬語も、出来ればおやめ下さい。これよりヨータ様は私が仕えるべき主で、私は従者なのですから。私に対しては目下もしくは友人にでも接するよう、ざっくばらんとした言葉遣いでお願いします」
「ああ、解ったよ」
 ヨータがそう答えると、琴音はようやく表情を崩し、柔らかく笑う。同時に張りつめたような空気が和らぎ、ヨータも苦くない笑みを浮かべられた。
「それじゃあ色々と訊きたいことがあるんだけど」
「何なりとお尋ね下さい」
 訊きたいことが多すぎたので、ヨータは思いついた疑問を片っ端からしてぶつけることにする。
「そもそも天啓機関って何?」
「天啓機関について、ですか」
「何だか物凄い力を持った組織だってことは解ってるんだけど、詳しい資料が全く無くて」
「多少長くなりますから、お掛けになって下さい」
 ヨータは琴音に促されるまま、彼女と向かい合うよう、ふかふかのソファーへと身を沈めた。
 琴音は備え付けの電気ポットのボタンを押して急須にお湯を注ぎ、湯飲みに緑茶を淹れてヨータの前へと差し出す。
「ありがとう」
「当然のことです。それで、天啓機関についてですが、ヨータ様はラプラス同盟についてご存知ですか」
「いいや全然」
 琴音は自分の湯飲みに口を付けると、既に温くなったお茶で喉を潤し、それから語り始める。
「天啓機関と言うのはそもそも、ラプラス同盟によって作られた組織なのです。ラプラス同盟がいつ作られたかについては私も存じませんが、何でも優れた知能により未来を予測する集団で、それにより莫大な利益を得ていたと言う話です」
「それだけ聞くと、ただの投資ファンドみたいだな」
 呟き、ヨータは緑茶を一口啜る。来客用の茶葉だけあり、口に含んだ瞬間苦味だけでなくほのかな甘味も口に広がる。
「十分な資金を得たラプラス同盟は、諜報力の強化とコネクション拡大のため、天啓機関を設立しました。神主と巫女と言う二つの役職からなる組織で、神主は組織運営を。巫女はその手足となり様々な活動を行います。情報収集から時には荒事まで、今の私のように神主から預かった天啓を届けるのも巫女の仕事です」
「うん、確かに届けられたね」
 そう言ったヨータが面白かったのか、琴音は口元を袖で隠して笑う。
「ちなみに服飾規定は無いので、神主も巫女も一般社会に溶け込むような恰好をしていることが多いです。私のような巫女は、天啓機関では珍しい方かと」
「琴音に天啓を渡して来るよう頼んだ神主ってのは、どんな格好をしてたんだ?」
「白いスーツ姿でした」
 ヨータは白いスーツ姿の男が巫女服の琴音に天啓を伝える場面を想像し、思わず笑いそうになる。
「それはあまり、一般社会に溶け込んでないよね」
「まあ……巫女と違い、神主はあまり表立って行動しませんから」
 ヨータは頭の中で情報を整理するが、今までの説明では肝腎なところが見えて来ない。十分な資金を得て、諜報能力を強化し、天啓を伝えるため従者を派遣する。それは一体、何が目的だろうか? 核心に迫るべく、ヨータは質問を続けていく。
「それで結局のところ、天啓機関とは何をしたい組織なんだ?」
「人類にとって大き過ぎる災厄を事前に予知し、防ぐための組織、と言うことになっています。設立より既に三回、人類滅亡の危機を回避した実績があると神主は言ってましたけど……それを証明するのは難しい、と言うか無理だと思います。普通の人からしたら、怪しい宗教団体にしか思えませんよね」
 しかしこうして彼女がこの場にいる以上、日本の政界に対し大きな影響力を持っていることは確かで、宗教家の誇大妄想とは言い切れない。
「天啓機関の力を借りて英雄になった人って、結構いるからなあ」
「ヨータ様も、その内の一人となる可能性が。いえ、きっとなります」
「俺は別に、英雄になりたい訳じゃないんだけどな。なったところで、厄介な仕事が増えるだけだろうし」
 今だってこんな厄介そうな仕事を押しつけられてる訳だしな。ヨータは思いを口に出す代わりにお茶を啜り、嘆息する。
「それで、深淵妖精の女王って何だ?」
「はい、全く解りません」
 あまりにあんまりな回答に、ヨータは左手で頭を抱えた。
「それじゃあ、深淵妖精って?」
「見たことも聞いたこともありません」
「深淵って何?」
「知っている訳ではありませんが、(あやかし)界の一部だと予想出来ます」
 その答えにヨータは少しだけ驚く。
(あやかし)界って、要するに魔界のことだよな。その呼び方を使うってことは、つまり」
「はい。神子山(みこやま)家は、第七魔王の誕生……世に言うアークエビル事件が起きる前から農林水産省、折衝課のような役割を果たして来ました。古くから多くの対魔士を輩出し、協会の理事を務めたことも何度かあります」
 折衝課の設立は、協会の力添え無くして成り立たなかったと言われている。ヨータは感心すると共に、納得していた。
「天啓機関が、敢えて君を送った理由。敢えて俺が選ばれた理由を考えると、深淵妖精の女王と言うものが何となく予想出来るな」
「そうですね」
「良くて三級災害、最悪一級災害に認定されるほどの魔物だろう。けれどもそんなものを見つけさせ、俺にどうしろって言うんだ? 集団戦闘ならともかく、個人戦闘においては腕利きの除染員に負けるレベルだぞ」
 琴音は空になってしまった自分用の湯飲みに、お茶のお代わりを淹れながら答える。
「天啓機関は飽くまで『深淵妖精の女王を探しなさい』としか伝えませんでしたから、ヨータ様がそれを探すこと自体に意味があるのかも知れません」
 そう言われ、ヨータは気付く。
「例えば何かの計画を遂行する上で、俺が農水省にいると邪魔だから外に出させておきたいとか。見つからなくても探すことに意味があるとか。そういう場合もある訳か」
「そうですね。可能性はあると思います」
 もしそうだとしても、ヨータは大臣により全面協力を命じられている。組織の中で生きていくのあれあれば、自分の裁量において自由にすることは許されても、上からの命令に逆らうという選択肢は無い。だから名前しか解らない深淵妖精の女王を探すにはどうすればいいか検討し、言葉を発した。
「君が持っていて、俺が持ってそうに無い技術やコネクションはどんなものがある?」
 琴音はお茶を飲みながら少し考え、話し始める。
神子山(みこやま)の家は千年以上もの間、対魔術を継承し研鑽して来ました。そして適性の有る者に適正な術を教え込むのですが、その際おおよそ一通りは試すので、対魔術全般に関する知識はかなりのものであると自負しています」
「うん、そもそも俺は対魔術とやらが何なのか知らないしな。恐らくは一部の民間の除染員が使っている、手から炎を出すような芸当だと推測出来るけど」
 琴音は頷く。
「大体そのようなものです。私は手から炎は出せませんが、お札を矢に変えることは出来ます」
「それは一度見てみたいな」
 琴音は袖口から一枚札を取り出すと、軽く握る。瞬間、握られていた物が札ではなく矢へと変化していた。
「慣れているつもりだったけど、こうも鮮やかに行われると驚くな。しかし、お札が矢に変えても収納性ぐらいしか利点が無いんじゃないか」
「いえ、この破魔矢は実矢と比較して追尾性と破壊力、特に(あやかし)を相手にした際の威力が段違いです。並の対魔弾よりも高い効果が期待出来ます」
 そう言って琴音が手を振ると、持っていた矢が光の粒子となり、さらさらと空気に溶けて消える。
「なるほど。それで、君が持つコネの方は?」
「家の都合で、私は対魔士協会に所属しています。天啓機関の巫女でありながら、公式対魔士でもあるのです。だから、そちら関係の知り合いは多い方かと」
 今必要な情報は大体揃った。ヨータはそう結論すると、お茶を飲み干して立ち上がる。
「よし、方針は大体決まった。行こうか」
 琴音は頷くと、ソファーの陰に置いてあった長筒を拾い上げそれに続く。
 ヨータがドアを開け応接室を出ると、琴音はその三歩後ろ辺りをついて歩く。その姿をちらりと見やり、良く出来た従者だとヨータは感心した。


 
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