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2015年08月23日

「人生を楽しむ」のは楽じゃない

 今、再び人生を見つめ直しています。

 いえ、情緒不安定ではありません。健康です。鬱でもないです。元気です。


 人生に関する名言は色々あります。
 「生きてるだけで丸もうけ」
 「人生楽ありゃ苦もあるさ」
 「何で生きてるか、なんて考えちゃいかんのです。生きてるから生きてるんです。」
 「毎日がエブリデイ!」


 どうやら天の神様は、我々に生きることと死ぬことの意味を教えてはくれないようです。ならば生きとし生ける我々こそが、そこに意味を見出さねばならない。
 とは言っても人間の大多数が他者の人生に興味を示さない。ましてや意味を与えてくれやしない。ならば、自分の人生は自分で切り開くがごとく、自分で意味づけをしなければならないのです。

 そんなわけで、私は「まあ好き勝手生きればいいじゃないか」と、「人生を楽しむ」ことを掲げて生きています。


 しかし、これが難しい。悩みの種になっています。

 問題は簡単。


 「楽しさ」って何?



 例えば、私はゲームが好きだった。
 ゲームをプレイし、考え、そしてプレイし、というので満足してましたね。まさに、ゲームを楽しんでいたわけです。

 しかし、今。ほとんどプレイしなくなっています。やろう、と思っても起動せずにいたり、起動してすぐに終了してしまうことの方が多いくらいです。
 新しいものをやってみるか、という気持ちもありますが、そう長続きはしません。
 その詳細な心境は別の記事に書きますが、今やゲームをプレイすることに魅力を感じない。

 どうやら、「楽しさ」は永続的なものではないようです。楽しかったものが、楽しくなくなるのです。


 しかし一方で、ゲームについて考察することは好きです。
 ゲームの特長や売り、新たな可能性について。ゲームの社会的影響や教育への関わり。ゲーマーの傾向と心理の分析。エンターテイメントとしてのゲーム。
 非常に興味深い1ジャンルであることは、否定しようがありません。

 もちろん新しいゲームをプレイする必要はあると思うのですが、これまでの経験を糧に思考するだけでも、夢が広がって楽しいものです。



 他にも、様々な場面で無感動、楽しさを感じられないということがあります。
 旅行が分かりやすい例です。
 素晴らしい景色、滅多にできない体験、おいしい料理。しかし私はハイテンションで写真を撮る観光客を横目にただ無言で景色を眺め、得られた経験をそういうもんかと吟味し、遠くまで来たのだから当然とばかりに飯を食らう。

 最悪なのは水族館に行ったとき。魚類がわんさかといる大きな水槽を前にして、よっぽどそんな魚よりも死んだ目をしていたのか。
 「水族館なんだから魚がいるのは当たり前」だとか、「狭いところに入れられた魚を見て喜ぶ人間の自分本位さ」や、「飼育するのは大変だろうな」とかは考える。

 しかし、本気で、何を楽しんだら良いのかが分からない

 いや、分かってる。こういうのは考えることでは無い。
 楽しさに理由とか根拠なんかいらない。

 でも、それが自然に出来なかったら?

 周りの人間は一転の曇りも無く楽しんでいた。それが出来ていた。



 精神の死を感じた。




 そう、楽しめなければつまらない。つまらない人生をつまらなく生きる。それが幸せか。満足か。
 不幸でしかないなら、人生に希望は無い。希望の無い人生を生き抜くことはできない。
 まだだ。まだ息絶えるわけにはいかない。……ならば、必死に生きるしかない。


 必死に、楽しむしかない。



 なんとも難しいことです。「楽しい」と「楽しくない」は相容れない。誰かにアドヴァイスをもらうこともできない。
 そもそも、論理ではない。答えも無い。

 ある意味、一つの哲学かもしれません。
 「楽しさ」とは、自分で見つけるしかない。そのとき、それだけが、答え。

 楽しさってのは、何なんでしょうね。




 一見すると、今まで楽しかった事に飽きてしまったように思えます。確かに正しいでしょう。
 ただし、それだけでは終われない。なぜなら、また新たな楽しい事を見つけても、いずれ飽きる。これが確定事項であることは、私の人生史が語っています。
 ならば、常に楽しく生きるためにはどうすれば良いのか。それを考えなければならない。

 「何か楽しいこと無いかな?」

 意外とありふれているかもしれない、そんなセリフを思い出す。
 こんなことを聞かれたら、なんと答えるか。……決まってる。

 「ああ? ねぇよ、んなもん!」

 そう、プランBは無かった。あるわけがない。そんなことを言っているヤツには。

 客観的にみるとすぐ分かる。完全に、他人事じゃないか、と。楽しんでないのはお前だけだと。目の前にあるじゃないか、楽しい事が、と。

 世の中に楽しい事が無いわけがない。ただ、見えてないだけ。
 それを、面白い事が降って沸いてくるかのように考える。他人が与えてくれるかのように考える。
 そんなわけがない。

 楽しくないなら、楽しむしかない。


 選択肢は二つ。楽しめないことを楽しめるように努力をするか、楽しいことを見つけ出す努力をする。
 ただし、おそらく何か新しい娯楽を見つけたとしても、長くは楽しめない。なぜなら、それは本質的な部分を解決していない。つまりそれもまた、与えられる楽しさであることに変わりはないから。

 他者が当たり前に楽しめる事を、自分は楽しめない。これを言い換えると、当たり前に与えられる娯楽では、満足することが出来ない。
 与えられる楽しさというのが、所詮はまがい物であると気づきつつある。そう、実は人として大切なものを失ったというより、一歩前に進んだのではないかと私は考えている。


 本質的にこれを解決するためには、「楽しさ」を、与えられる立場から脱却する必要がある。
 ようは、楽しく無いなら作るしかない

 そう、受動的立場である以上、人世を楽しむことは不可能。もはや、能動的立場に立たざるを得ない状況ということ。

 楽しさを見つけだす、という勢いではまだ不足。もはや、楽しさを作り出す、という域に達しなければならない。
 それだけ、悩みは深い。人生は難しい。



 そんなのが、私が至った結論。
 「楽しさ」が何なのかは分からない。分からないが、消費するのではなく、創造する側へ。

 とは言っても段階がある。「音楽を聞き飽きたから、じゃあ作曲するか」とか、「新しいゲームを作って売ろう!」とかはいきなりすぎる。
 まずは音楽を演奏してみたり、ゲームプレイ動画を作ってみたり、本を読んで感想をツイートしてみたり。そんなふうに、少しだけ自分の部分を創ってみたり、目標を設定してみたりするだけで、ずいぶん変わるはず。
 大きな違いは、消費するだけでは無くなり、何かをやったという「目に見える成果」が出来ること。これの有る無しが、かなりデカいという風に感じてます。


 こんな名言もあります。ぜひとも人世を、楽しみ続けたいものです。


 世界を変えるには、まず自分から。





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