土岐山です( ´ ▽ ` )
ふと気づくと、ブログ更新を一週間しておりませんでした(´・Д・)」
ブログ記事を書いている方
どういう時に書きますか?
土岐山は、一人でいる時間にブログ記事を書きます
誰かと一緒にいる時は、一緒にいる人との時間に集中しますから、ブログ記事を書くことはありません
ブログ記事を書くのは
飛行機や新幹線で一人で移動する時か
起床時や就寝時、コーヒータイムなどの一人の時です
一人でいて文章を書く時は
自分の中の気持ちを文章にして外に溢れ出させるわけですが
気持ちの中身の質によって
溢れ出る内容が違ってきます
土岐山が好きなブロガーさんの記事です
今回は「閾値(いきち)」のお話
これは、広告術や勉強のことだけではなく
教育にも当てはまることだと思います
例えば赤ちゃんが言葉を話すことができるようになる瞬間が「閾値」だとすると
言葉という水が溢れ出るまでにためていた水の質によって
発する言葉が違ってくることでしょう
普段から人のことを褒めたり、丁寧な言葉を使っている大人ばかりの環境にいれば、発する言葉の中身も自然とそういったものになるでしょうし
人の悪口や、悪い言葉、悪意に満ちた気持ちから発せられる言葉を使っている大人ばかりの環境にいれば、もちろん子どももその通りになります
要は
ためる水が良質かどうかは周りの大人次第だということです
私が尊敬する竹下和男先生
『弁当の日』の第一人者でいらっしゃいます
竹下先生がいつもおっしゃる言葉に
「人は置かれた環境に適応する」
があります
置かれている環境が優しい人ばかりであたたかくて幸せを感じる場所だと
他の人にもそうすることができるようになる
反対に自分を大切にしてくれず、自分を見てもくれない、放ったらかしの状態の中では
他の人にあたたかい気持ちを注ぐことはできない
「置かれた環境に適応」しているからです
利尻で中学生たちを対象におだし実習と、だし巻き卵レッスンをしました
だしを引くことは簡単な作業であり、しかも最高に身体にいいインスタント食品であること
今日は一応の基本と言われる一番だしの取り方を教えるけれどもだしの味に正解はないこと
人の考え方にも正解はないこと
ミニ鰹節削り器を使って鰹節をかき、削った鰹節と利尻昆布粉と味噌とネギを入れてのインスタント味噌汁作り
市販のだしと、引いた一番だしとの飲み比べ(味の違いがわかればいい)
などを行いました
今回、全員が鰹節削り器を使って鰹節を削り、自分のお味噌汁を作りました
この先、この子どもたちが一人暮らしをした時に
100円を出して市販のカップ入りインスタント味噌汁を買ってお湯を注ぐのか
大人になったら自分で選べばいいと思います
今回はおだしを引くという経験をさせて人生の選択肢を増やすことだけをしました
今回接した子どもたちは、心に良質の水を蓄えていました
素直さと元気さと人を思いやる行動力です
土岐山が洗い物をしようとすると
次のだし巻き卵の順番を待つ男の子達が「手伝います」といって作業を代わってくれました
洗い物の間、学校の様子などを話してくれました
話題がちょっとSNSのことになり
今回、おだしの先生はどんな人だろうと、何人かの生徒は土岐山のブログを読んできてくれたようでした
その中で
「なんでそういう大人(批判などをする大人)になっちゃうんですかね」
という質問を受けましたが
土岐山はなんて返したらいいかわからず、即答ができませんでした
「書いてる時って、一人なんですかね」
とも言われました
次に話した女の子達は
「今回、こうやってみんなでご飯食べたりなんかしたりするのって、給食とかと違ってまた楽しい。楽しい時は幸せな気持ち」
と言っていました
調理実習をしてお土産昆布作りをしている時に
「きっとこうやって皆と一緒に楽しい時間を過ごしたら、そういう大人にはならないかもしれないけど、そういう気持ちには誰もがなる可能性があるから、普段から家族や友達を大切にする必要があるんだね、きっと」
と答えました
正解かは、わからない
ただ、子どもたちの心はとても柔らかい
まだ心も身体も頭も柔らかいから、いいものはどんどん吸収して輝きます
「良質な水」です
ですが、「良質な水」すなわち優しい気持ちや愛情に接しないまま、心や気持ちが固まったらどうすればいいのでしょうか
答えは、こういう優しい気持ちの大人にたくさん触れることだ、と思いました
昨日の朝目にした友人のブログです
『おうちのかたち』
土岐山はすっとこどっこいのさすらい坊ですが
行く先々で
家族のように迎えてくれる家があります
すっとこどっこいの土岐山のことを見て見ぬ振りしないから
なんですね
「せっかくここまで来たんだからご飯食べさせてあげよう」
「せっかくここまで来たんだから一緒に飲みに行こう」
土岐山が利尻に来て一人でいるのを
例えば利尻にいる人みんなが見て見ぬ振りをしたらどうでしょう
土岐山は誰とも関わらずに一人で過ごすことになる
人間の心の成長は、誰かと関わることだで為されるとすれば
見て見ぬ振りをされた人、された子どもは
いつまでもそのままその場所にいることになります
近所の家で子どもが一人でご飯を食べている
お年寄りがエレベーター乗り場を探している
道端でうずくまっている人がいる
そこで自分は見て見ぬ振りをするかしないか
目の前にあるものを無かったもののようにしてしまうのか
ちなみに、今朝友人のブログで、人を注意しようと思ってもたもたしていたら、その人達が電車から降りてしまった
なんですぐに行動できなかったんだ、という記事を読みましたが
その友人は、自分の心を見て見ぬ振りしない、かっこいい女だと
土岐山は思いました
今日土岐山は
これから
昨年他界した父親の教え子さんと会うのです
先日のブログやFacebookに書いた通り
2ちゃんねるの件のおかげで、土岐山はこれから昨年他界した父親の
土岐山が知らない仕事ぶりを父親の教え子だった女性に聴くことができる
2ちゃんねるの件については沢山の方々からメッセージをいただきました
お一人お一人に誤解のないように返信させていただいたつもりですが、土岐山は2ちゃんねるのことを「悪しきもの」とは思っておりません
だって、ぴかるちゃんに教えてもらったから揚げだけについて真剣に情報交換する楽しいスレッドとかだって沢山あるんだよ( ´ ▽ ` )ノ
与えられたツールをどう使うか
全ては自分の心が決めるのだと思います
その心にどんな水が蓄えられているかで
一人でいるときに溢れる思いの内容が違ってくる
アドバイスの大半は
「放っておいた方がいい」というものでしたが
土岐山は自分に関わっていることを「存在しないものとして扱う」ということは、しないようにしたいm(_ _)m
今日、とある方々を札幌の白い恋人パークにアテンドし
飛行機までの時間がギリギリになりm(_ _)m
その方が札幌に来る時に座席に忘れたこちらの本を
五時に空港を出たら間に合うので
以前から読もう読もうと思っていたこちらの本を
これも運命の出会いだぜ( ´ ▽ ` )ノ
と勝手な解釈のもと、ちょっと拝借してm(_ _)m空港のコーヒ屋さんで読んでいましたら
これから2ちゃんねるの件によって会える父親の教え子さんとの時間の前に
あー、この気持ちなのよ
と思う、登場人物のセリフを見つけました
※注意※
ここから先は、『火花』に書かれているセリフが出てきます青の文字部分です
お知りになりたくない方はお読みにならないよう、お願いいたします
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「人の悪口ばっかりの書き込みに対して、反論するのは、そいつ等と同じレヴェルになるから、やらん方がいいって言う奴おるやん。あれ、どうなん。(中略)
レヴェルってなに?土台、俺達は同じ人間やろ?間違ってる人間がおったら、それ面白くないでって教えたらな。人が嫌がることは、やったらあかんって保育所で習ったやん。(中略)
ネットでな、他人のこと人間の屑みたいに書く奴いっぱいおるやん。(中略)
だけどな、それがそいつの、その夜生き延びるための唯一の方法なんやったら、やったらいいと思うねん。俺の人格も人間性も否定して侵害したらいいと思うねん。(中略)
でも、ちゃんと腹立ったらなあかんと思うねん。受け流すんじゃなくて、気持ちわかるとか子供騙しの嘘吐いて、せこい共感促して、仲間の仮面被って許されようとするんじゃなくて、誹謗中傷は誹謗中傷として正面から受けたらなあかんと思うねん。(中略)
人を傷つける行為ってな、一瞬は溜飲が下がるねん。でも一瞬だけやねん。そこに安住している間は、自分の状況はいいように変化することはないやん。他を落とすことによって、今の自分で安心するというやり方やからな。その間、ずっと自分が成長する機会を失い続けていると思うねん。可哀想やと思わへん?あいつ等、被害者やで。俺な、あれ、ゆっくりな自殺に見えるねん。薬物中毒と一緒やな。薬物は絶対にやったらあかんけど、中毒になった奴がいたら、誰か手伝ってやめさせたらな。だから、ちゃんと言うたらなあかんねん。一番簡単で楽な方法選んでもうてるで、って。でも、時間の無駄やでって。ちょっと寄り道することはあっても、すぐに抜け出さないと、その先はないって。面白くないからやめろって」
登場人物と意見が異なる点としては
土岐山は別に、人を(2ちゃんねるに限らず)匿名で批判する人を
可哀想だ、とは、思わん
自分もいつそうなるかわからないという危機感はあるけど、正直、やる気持ちはさっぱりわからん
土岐山は、今のところ、やらない
先日、「批判されて心が折れそうになったら」というようなブログ記事があったんですが
これは土岐山だけの意見ですが
まず
心が折れるとか心配するぐらいなら、意見発信なんてしない方がいいと思うし
同じ意見の人ばかり集めるための意見発信を否定はしないけど
人の意見って、鵜呑みにするものではなく、自分の気持ちと向き合う材料にするものでしょう?
賛同って、わかりやすい授業や、あんまり叱らない先生とかと一緒で
実は後から心に残らないものだったりします
ですが、嫌い、やイライラする、腹が立つ、という気持ちは
好きや賛同の何倍も強烈です
以前、広告制作の方に
『ラジオのCMを、わざとムカつかせるようなセリフ回しで作るんだよ。「はあ?バッカじゃない?」と思わせるようなね。その方が、好感度の高いセリフよりも、なぜか商品が売れるんだ
なぜって、嫌な気持ちが頭と心に強烈に引っかかるからさ。時が経ったら商品名だけが頭に残るのさ』
という話を聞きました
土岐山のことに限らず
ネットで批判することを書いちゃう人は
なんで嫌いかなんでイライラするかなんで腹が立つか
自分の気持ちを見て見ぬ振りをしないでみたら?
と思います
自分の感情を人のせいにしている自分は
少なくともまっすぐに意見を発信している人からは
受け入れられていないという事実も含めて
見て見ぬ振りをしないでみたら、と思います
大きなお世話は、お互い様です
私はそのスレッドがずっと続くことは構わないし
(関係者には、削除をする必要があるかどうか確認をしたから)
どちらにしろ、発信していく内容は、そのスレッドの内容によって変わることはない
土岐山の意見は土岐山のブログにわざわざアクセスしてくださる方に読んでもらうために書いています
それだけです
そして大きなお世話ついでに
そのエネルギーは子ども達が言ったように
人の役に立つことに使ったらいいのにと思うし
どうせ立てるなら、から揚げスレッドみたいな、みんなが楽しめる内容がいいんじゃない、とも思います
というわけで、これからお会いしてきます( ´ ▽ ` )ノ
皆様、良き日曜日の夜をお過ごしくださいませm(_ _)m
土岐山拝