だから、この種の平和を守るのは簡単である。外部からの軍事力の威嚇や攻撃に対して、すぐ降伏すればよいのだ。戦争の原因となる相手国の要求や命令に、無抵抗、無条件で従えば、この種の平和は絶対に保たれる。日中両国間で軍事衝突をも生みかねない尖閣諸島の問題でも、日本が中国にその島々を提供すれば、少なくとも尖閣問題を原因とする戦争は絶対に起きないことになる。

 だが、安保法制反対派はそんな具体論までは語らない。代わりに「平和を守るため」と称して、侵略と自衛の区別をつけず、すべての戦争を邪悪として排する。日本は現行憲法で自衛戦争の権利を有しているが、自衛のための軍事力や抑止力の整備も認めようとしない。

 外部からの軍事力の威嚇や攻撃に無抵抗、無条件で降伏し、相手の求めに屈することを最初から決めている人間集団は、独立や主権を有する国家とはなりえない。そもそも自己防衛を最初から放棄すれば、単なる集団としても機能はできないだろう。

「平和」に関する世界のコンセンサスとは

 世界の他の諸国は、みな平和の内容や質を重視する。同時に平和を守るための戦争も認めている。

 この点で私が忘れられないのは、1975年春、ベトナム戦争の終結直後に現地で目撃した革命勢力のスローガンだった。フランスと米国を相手に30年も戦い勝利した北ベトナムの革命勢力は、「平和」という言葉は使わず、「独立と自由より貴いものはない」というスローガンだけを高々と掲げたのである。軍事制圧した旧南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン市)の旧大統領官邸だった。

 それは、ベトナム共産党の最高指導者、ホー・チ・ミン主席の民族独立闘争のスローガンだった。「独立や自由のためには平和も犠牲にして戦争をする」という決意の言葉である。

 この決意はベトナムの革命勢力に限らない。「平和とは独立や自由を伴ってこそ価値があり、その要件が不足ならば、それを満たすために戦いも辞さない」という姿勢が、現在の世界のコンセンサスであると言ってよい。

 米国の歴代政権が掲げてきた国家安全保障の目標も「自由を伴う平和」である。単なる「平和」ではない。オバマ大統領もノーベル平和賞の受賞演説で、「平和とは単に軍事衝突がない状態ではなく、個人の固有の権利と尊厳に基づく平和でなければならない」と宣言した。