こんばんは。
蔵下穂波です。
今日は私のふるさと沖縄のお話です。
舞台は沖縄本島からフェリーで30分の伊江島。
豊かな自然に恵まれた人気の観光地です。
でも今から70年前ここは沖縄戦の激戦地でした。
当時東洋一といわれた日本軍の飛行場を狙いアメリカ軍が上陸。
住民を巻き込んだ激しい地上戦になりました。
6日間の戦闘で島民の半数に近い1,500人以上が命を奪われました。
この島で平和を訴え続けている人がいます。
33年前に移住してきた…脳性小児まひで体に障害があります。
僅かに動かせる左の足先だけが頼りです。
浩子さんの活動の原点は障害を理由に日本兵に殺されかけた事にあります。
6月23日は沖縄戦終結の日。
戦争の記憶と悲しみに向き合い続ける浩子さんの言葉に耳を傾けます。
今年2月。
浩子さんは京都にいました。
おはようございます。
やって来たのは福祉施設。
77歳になりましたが全国どこにでも出かけ戦争体験や沖縄の今を伝えています。
(拍手)「私は」。
沖縄が大好きで…。
「沖縄が大好きで」。
この…。
「この」。
32年…。
「32年」。
…間を。
「間を」。
見てきました。
「見てきました」。
(浩子)この32年間…。
「この32年間」。
(浩子)曲がりなりにも…。
「曲がりなりにも」。
(浩子)戦争はじかに起こっていません。
「戦争はじかに起こっていません」。
それは…。
「それは」。
憲法があったからだと…。
「憲法があったからだと」。
思います。
「思います」。
僕は戦争なんて子どもに行かせたくないし戦争なんかで人殺したくもないしシンプルに本当にそう思ってます。
「私と何かあまり変わらない変わった頭気に入りました」って。
(笑い声)はいありがとうございます。
「頑張りましょう」って。
(男性)はい。
ありがとう。
沖縄本島北西に浮かぶ…周囲およそ22キロ。
1周車で1時間ほどの小さな島です。
土地の1/3を占めているのが米軍基地。
3年前からは新型輸送機オスプレイの訓練も行われています。
浩子さんはこの島に33年前に移住してきました。
愛してやまないのが豊かな自然です。
(取材者)あっトマトだ。
(取材者)1個?採ってきましょうか。
あれ採っていいんですか?あのトマト。
はい。
(取材者)おいしい?もう一個?はい。
浩子さんは移住してから小さな宿を運営してきました。
誰もが快適に過ごせるようにと全館バリアフリー。
浩子さんのアイデアが生かされています。
この日沖縄市から1組の家族がやって来ました。
宿を訪れるのは3度目です。
双子の次男陽太くんは脳性まひのため手足が自由に動かせません。
でも広い板敷きの上で何だかとっても楽しそう。
浩子さん早速挨拶に来ました。
こんにちは。
お世話になります。
お世話になります。
子どもたちに生きる力を感じてほしい。
一家が浩子さんを訪ねる理由です。
こんにちは。
「こんにちは」して。
木村さんのその生き方というか人生の道しるべというかそういうのにしてもらえたらいいかなと思って。
いろんな人を知ってもらえたらいいかなと思って今日は泊まりに来たって感じですかね。
この宿の名前は土の宿。
浩子さんどんな意味なんですか?地に根を張って生きる。
浩子さんにとって土に咲く野花は理想なんだそうです。
1937年満州に生まれた浩子さん。
間もなく軍人の父は戦死します。
山口県に引き揚げた浩子さん母喜美子さん。
戦況が厳しくなった時日本兵がやって来ました。
喜美子さんは7歳の浩子さんを背負い山の中へと逃げ込みます。
人目を盗んで暮らす事3か月。
ようやく終戦を迎え生き延びる事ができました。
6年前に始めた絵俳画は3年後身障者の世界芸術家協会で認められ絵を描く事で生涯生活が保障される事になった
母を病気で失ってから画家として自立した浩子さん。
出産にも挑み子育てする姿が注目されました。
そんな浩子さんが初めて沖縄を訪れたのは40歳の頃。
沖縄の歴史と現状を肌で感じ平和のために何かできないかと考え始めます。
そして出会ったのが伊江島の農家で反戦運動をしていた…戦後伊江島では多くの農家が長年耕してきた土地を米軍に強制収容されました。
最大で島の土地の2/3が取り上げられました。
その返還を求めて先頭に立っていたのが阿波根さんでした。
人が生きるためには土地が必要だと訴え続けていました。
その阿波根さんが浩子さんの思いを支援するため自らの土地を譲ってくれたと言います。
1983年宿の建設が始まります。
よいしょ!よいしょ!
(拍手)翌年土の宿は完成。
阿波根さんの声かけもあって多くの島の人たちが協力してくれました。
(拍手)宿の評判は口コミで広がり国内外から多くの客が訪れました。
障害のあるなし立場や考え方の異なる人たちが平和や福祉について語り合いました。
今浩子さんは宿の近くで1人暮らしをしています。
ここ数年体力が落ちてからは一日4回ヘルパーを頼んでいます。
でも任せっきりではないんです。
浩子さん今日のお味は?上等?できる事もだいぶ限られてきました。
唯一自由に動かせていた左の足先も今は携帯で文字を打つのがやっとです。
この日浩子さんは何だかそわそわしていました。
浩子さんしばらくね。
やって来たのは島に暮らす…浩子さんとは気心知れた友人です。
(浩子)ありがとう。
こっち座っていい?はい。
浩子さんが新聞に載っていたからね。
私はこれ切り抜きしてねいつもバッグに入れて持ち歩いたのよ。
これはコスタリカという所にいらっしゃった時のね写真。
去年浩子さんは中央アメリカのコスタリカを訪問しました。
コスタリカは平和憲法の下軍隊を持ちません。
どう平和を保ってきたのかどうしても知りたいと準備に2年をかけて実現させました。
もうこの…新聞の記事見たからねもう浩子さんに会いたくてよ。
(キク)戦争の話とかね「日本はどうなるんでしょうね?浩子さん。
私気にしてるよ」とかいろんなもうたくさん話あるけどねこんな話したかったの。
10代で戦争に巻き込まれたキクさん。
父は島での激しい戦いで亡くなります。
母と共に幼い妹や祖父母を抱えガマからガマへと逃げ惑いなんとか命をつなぎました。
この戦争体験を数十年にわたり語り部として伝えてきました。
でもここ数年自分の平和への思いが伝わっているのか不安を感じています。
もう70年にもなってね今からどうしたこうしたって言っても自分のためにもならんし国のためにもならんしね。
(キク)そう思うけどね。
話してもね…。
(キク)ええそうですよ。
浩子さん私総理大臣になりたい。
(笑い声)キクさん本音を話せる浩子さんにプレゼント。
(キク)お守りね。
私が作ったの。
あの…外国とかねあちこちいらっしゃるからね。
浩子さん77歳。
キクさん86歳。
また会う約束をしました。
こんばんは。
宿には今も時折浩子さんと思いを共にする仲間が集まってきます。
あっどうも。
久しぶり。
あらお久しぶり。
もう浩子さんもむっちゃ久しぶりで。
21年前宿で働いた事をきっかけに岐阜県から移住。
浩子さんの平和への思いを身近に感じてきました。
痛い?あちこち痛いよね。
ひとみさんは今浩子さんから受け継いだ思いを自らも伝えていきたいと考えています。
その取り組みの一つが民泊です。
島の外の学生を家庭に受け入れています。
この日は滋賀県から来た中学3年生5人を迎えました。
ひとみさんが必ず子どもたちを連れていくのが伊江島に今も残る戦争の傷跡。
(ひとみ)ここですね…子どもたちがじかに見て感じる事が大切だと考えています。
何か…ここに来て戦争というものに触れた事によってちょっとニュースとか見た時に「そういえばこんな事ひとみさん言ってたな」とかどっかで引っ掛かってくれたらいいな。
沖縄の土になりたいと伊江島にやって来て33年。
浩子さんは今日も島に暮らしています。
おはようございます。
いつものようにパーマとカラーで?後ろもこう…刈り上げます?刈り上げ…。
あの…気になってたんですが髪形変わってますよね。
2015/08/20(木) 13:05〜13:35
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV シリーズ 戦後70年「人が好き土が好き そして私が好き」[解][字][再]
戦時中、重度障害のため命を奪われかけた木村浩子さん(77)。沖縄県伊江島で「土の宿」を開き、障害の有無を問わず平和を語り合う。戦後70年、浩子さんの言葉を聞く。
詳細情報
番組内容
「『親の手で殺せ』と日本兵に母は青酸カリを渡された」そう戦争体験を語る木村浩子さん(77)。障がい者が“生きる価値のないモノ”と扱われる戦争の恐ろしさを訴えている。浩子さんの活動の拠点は、沖縄戦で多くの島民の命が奪われた沖縄県伊江島。浩子さんはここで民宿「土の宿」を開き、障害の有無を問わず、平和について語り合ってきた。戦後70年、私たちは何に気づき、何を考えるべきなのか?浩子さんの言葉から考える。
出演者
【出演】画家…木村浩子,【語り】蔵下穂波
ジャンル :
福祉 – 障害者
福祉 – 高齢者
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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