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都営霞ヶ丘アパート住民Jさんが語る「霞ヶ丘町での暮らし」(後編)

●霞ヶ丘アパートでの暮らし
———霞ヶ丘アパートはいつ入居という形ですか?

40年の12月でした。たしか。はい。

―――Jさんが入居されたときはアパートはすでに完成形になっていましたか?

いいえ、できておりませんでした。まだ将校宿舎があったからなあ……2年ぐらい後だと思います。全部完成したのは。

———マーケットのお店をやることになって、マーケットの上に住まわれたんですか?

はい、そうです。

———お部屋の間取りというのはどんな感じですか?

6畳、4畳、台所が6畳、トイレが1畳、2DKです。あとはベランダがちょっと広くなっていますけれども。

(会場)お風呂はあるんですか?

ないんです。いまどきお風呂がないところはないんですが、ベランダが広いものですから、ベランダにお風呂桶を置かせていただきまして、ベランダの手すりにドア、戸をびっしり付けまして、窓ですね、開閉して目隠しに使っております。でも、冬は、外とまったく同じで、たいへん涼しゅうございます。

―――霞ヶ丘アパートに入られて、まず、どんな感想をもたれましたか?

信濃町の3畳1間から移ってきたものですから、ああ、新しくて広くてきれいな部屋でいいなあと思いました。新しかったですからね。いや、今だって中はきれいですよ。私ども、内装して壁紙をきれいに貼ったりして維持していますから、壊すのもったいないな、と思っております。そのころは若かったから、きれいで広くていいな、これなら使いやすいな、と喜んではおりました。しかも、周りは知っている人ばかりですから。なおさらのことですね。

―――子どもはいくつでしたか?

子どもは昭和35年と37年生まれですから、昭和40年に入ったんですから、5歳と3歳くらいですね。

(会場)子どもさんは、どういった感想だったんでしょうか?

子どもは、まだ小さいですから、そのへんは、親が一緒であれば……そのかわり、おのろけ言うつもりはないんですが、女房は子どもはちゃんと手元で育てました。どこへ行っても困らないように、不平不満のないように、躾はもちろん厳しかったですけどね。

(会場)霞ヶ丘アパートに暮らされている方は顔なじみが多かったのでしょうか?

99.9パーセント知り合いでございました。店をやっていたし、店を止めている間、信濃町に住んでいた時も、自転車で毎日、雨が降っても合羽を着て、石鹸いかがじゃないですが、注文をとって続けていました、それは、食いつながなければならないということがありました。食べなきゃならないですからね。

―――マーケットでのお店というのは、やはり雑貨屋さんですか?

はい、そうです。煙草はまだ、すぐには売らせてもらえなかったものですから。許可をとるのが大変なんですね。かつては。いまは分からないですけど。煙草だけでも食っていけたんです。昔は。

―――昔は自販機とかもなかったわけですよね。煙草屋さんで買うものだった。

はい、顔で売るものなんです。

(会場)広さは前に霞ヶ丘1番地でやってたお店と、越された後を比べるとどうですか?

前やってたお店は、8畳1間の広さです。でも、うどんを打っていたところを入れれば、もっと広くはなりますけれどね。でもまあ、雑貨ものとしては、8畳1間の広さでした。今は12畳、たしかございます。
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外苑マーケット(撮影2014/2)

―――マーケットですが、今あるのはJさんのタバコ屋さんと、町会長さんのやられている八百屋さんしかないんですけど、昔はどんなお店があったのですか?

八百屋さん、パン・菓子を売るお店、時計・貴金属のお店、魚屋さん、私がタバコ・雑貨用品・文房具店、お米屋さん、肉屋さん、洗濯屋さん、この8軒が入っておりました。

―――そうすると、そこでだいたい生活は間に合いますよね。

夕方、6時ごろになると、もう人が歩けないほど繁盛しました。今では6時になるときちんと店が閉まっております。

―――お店がいつごろまでいっぱいあったのですか?

やはり、お店の主が身体をこわしたりすると続けられなくなるので、お店によってばらばらでした。一番最初が魚屋さん、水を使いますから体調こわしますね。その次がお肉屋さん、その次がお米屋さん、それから貴金属屋さん、パン屋さん、洗濯屋さん。多少順番に狂いがあるかもしれませんが。

(会場)最初にお店を畳まれた魚屋さん、それはいつごろですか?

昭和26年頃だったかと思います。短かったです。

(会場)出られた後のその場所でお店をやろうとされた方はいらっしゃらなかったのですか?

ものすごく条件が厳しいんです。まず霞ヶ丘アパートに住んでなければいけないという条件がございました。上に住んでいることが条件でございましたけれども、上に住んでいる人が自分はできないけれどもあなたそこでやってくださいという形で、魚屋さんはやっておりました。

(会場)名目ではそこに住んでいる人がやっていて、実際には他の人が切り盛りしていたということですか?

はい。魚屋さんと肉屋さん、お米屋さんもそうでした。

―――当時の霞ヶ丘アパートの自治会はどんなものだったのでしょうか?

今とかわりません。ほとんど。ただし、やはりこれは難しい問題なんですが、一番上に立つ方、町会長によって違うな、ということは感じます。率直に申し上げますと、そのころの町会長さんはどちらかというと、いわゆる共産党系の感じの方でした。その次は社会党系になりました。それから自民系になったり、公明党の方がやったり。そんなふうに、会長によって違います。

(会場)選挙はあるのですか?

選挙はありません。選挙がないというよりも、年度末に、新しい役員さんを出来る方は申し出てくださいと。申し出のないときは、旧役員で話し合って決めてしまう、という感じです。

(会場)その時も町会長さんも、その場で決められるということですね。

そうですね。認めるのは総会で役員会議で決まってしまうのです。

―――自治会として、霞ヶ丘アパートについての運動、たとえば家賃値上げ反対とか、そのようなことをやったことはありますか?

最近では一切ございません。
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撮影2013/1


―――霞ヶ丘アパートに行くと印象的なのは、庭だと思うんですよね。果樹が茂っていたり、花が咲いていたり、畑みたいな感じになっていたり。庭というのは、Jさんが入居された頃から、ああいう使い方になっていたのですか?

そうですね。だいたい、自分が4階であればどのへん、3階の人はどのへん、1階の人はどのへん、と自分の部屋に沿ったところの南側と北側に庭がありました。北側は作りませんけどね。ただし、今や空き家が多くなりましたので、管理するのがものすごく大変です。私は本来は北側は関係ないんですが、やらざるをえないので、南側と両方やってます。

―――自分の持ちスペースは決まっているわけですか?

そうです。でも、このとおり高齢化していますから、私はまだ動けますが、女性の1人住まいの高齢者、すごく多いです。老人クラブ担当してますけれど。15人来ると、旦那のいる方は3人ぐらいしかいない。あとはみんな女性の1人暮らしですよ。

(会場)管理というのは、草をとったり、というようなことをやるのですか?

やらざるを得ないですよね。住んでるからには。だけれども、出来なくなって、今、草ぼうぼうのところもたくさんあります。たまたまありがたいことに、役員さんの中に女性の方で、そういうところをいつも心がけてやってくださる方がいらっしゃいます。本当にその方には感謝しています。

ーーー霞ヶ丘町の御輿を新国立競技場で保管展示してほしいという声もあるようなのですが、御輿の由緒を教えてください。

戦争で焼けるまでは、御輿がちゃんとありました。焼けてしまったので、私の家で、樽の御輿を作って、ずっとやっていたんです。

ーーー樽の御輿?

樽御輿っていうんですよ。いわゆる1斗樽というお酒が入っている樽があるんですよ。それに屋根を作ったり飾り付けをしたりして担ぎ棒をつけて。私の家で、戦後お祭りを再開したんですよ。霞ヶ丘アパートに来てからも、はじめのうちは樽でやってましたよ。近所の若い人たちが集まってやっているうちに、樽では、、というんで、一時期よその町から御神輿をお借りしました。それを2、3年やって、みんなでお金を出し合って新しく御神輿を作ったんです。現在は、鳩森八幡神社の御神ぐらにあります。今年は使うかもしれないし、簡単に処分は出来ないです。

ーーー他にアパートの行事はありますか?

えーと、やはり正月のお餅付き。それは集会室の前でやります。あと、お祭りが、秋の御神輿です。老人会では敬老会という形で、一番年上の方におめでとう、というのをやるわけですけどね。

(会場)老人会の歴史は長いのですか?

老人会そのものは30年ぐらいになります。私は老人になってからですから10年くらい、会長を受けてからは5年ぐらいかな。

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小学校での盆踊り


ーーー盆踊りとかはどうですか?

かつてはやっていました。舞台をつくって。それも私が始めたことです。自分ところでやっていたものを今度町会でやろうよという話になりました。

ーーー櫓は、アパートの真ん中にある公園で作るのですか?

そうです。人でいっぱいになるんですよ。ここの人だけでなくて、聞きつけてあちこちからくるんですね。好きな人いますからね。私のお袋なんか盆踊りの踊り教えていた方なんです。私も習ったし、小学校の運動会となると、私の親と一緒に行って盆踊りやるくらいでした。お祭り好きっていうか。

ーーー盆踊りはいつ頃までやられていたんですか?

盆踊りは、かれこれ7、8年前で終わったと思いますね。昨年は秋祭りもやらなかったんです。もう人手が少なくなったから出来ないだろうって。たしかに人数的には少ないからしょうがないけれども、飾るだけでもやってくれたらいいのにな、と思いましたが、決めてしまったというので。これも、やっぱり、今回の計画の影響ですよね。

●今回の立ち退きについて
―――2020年五輪での立ち退きの話は、2013年9月に東京開催が決定される前に、2012年の7月、JSC日本スポーツ振興センターが出した新国立競技場デザインコンペの中に、関連敷地として霞ヶ丘アパートの敷地が書かれていたことで表面化したと思います。立ち退きということを聞かれたのはいつになりますか?

話を聞くというよりも、この度、国立競技場でワールドカップラグビーが2019年に行われますからつきましては国立競技場を建て替えなけれはなりませんので立ち退いていただきたい、という説明が1昨年2012年にありました。

―――書類で来たということですか?

はい。そうです。

―――(書類を見る)オリンピックという理由を出してないんですね。

オリンピックと書いてないでしょ。オリンピックを出すとまずいとみえて、オリンピックのオの字も出さないです。

―――おかしいですよね。デザインコンペではオリンピック競技場を作るためとはっきりと言ってるのに、住民の方々の説明にはラグビーワールドカップとだけ言っているという。

それで私、説明会午後9時に終わったんですが、いろいろ突っ込んで聞きました。でも都は「それはわかりません。」と逃げ口上です。一方的にとんでもない話じゃないか、これは誰がどうでどういう責任でやってるんだ、1964年のオリンピックの時にわたしはこういう思いをしているんだけれどもそれについてどう思ってくれているんだ、我々高齢者はこれだけいるんだ、そういうことどう思っているんだ、と聞きますと、それはわたくしどもの管轄ではございませんから他の方で聞いてください、と言うんです。

―――Jさんが質問されたのは2012年8月26日の都の説明会ですね。

そうですね。

―――向こうは、都市整備局の人たちが出てきたのですか?

そうです。

(会場)説明会は霞ヶ丘アパートの中ですか?

いえ。日本青年館でした。

(会場)みなさん参加されたんですか?全員?

はい。霞ヶ丘アパートの方は。

(会場)内容は、もう決まってます、という言い方ですか?

はい。もうワンサイド。

―――質疑応答の時間で、それはおかしいだろ、どうなってるんだ、という意見が出たということですね。

そうです。質問したけど、逃げ口上。自分の責任範囲ではないからわからないという。

(会場)例えば、この場では答えられないんで後ほどお答えします、というようなことは言わないんですか?

そういうことも言わないですね。

―――わからないんじゃ、説明会にならないですね。

そうですよね。

(会場)その説明会の前に、チラシというか書類が全戸に配られたということですか?

そうですね。また、国立競技場でわたくしどもばかり対象じゃなくて、ほかの方も対象だったと思うんですが、説明会がありました。その時にも出席させてもらいました。

―――それが2012年11月26日のJSCが主催の説明会ですね。説明主体は変わったんですけれども、内容としてはどうだったのでしょうか?

同じような説明だったと思います。はい。でも、私どもはそんな説明よりもとにかく、なんでそんな大きなものを建てなきゃならないんだ?年間何回満員になることがあるのか?今までのあの6万人規模でも年間維持費5億かかるという事業をですね、今度大きくしたら、新聞にはよく出ていますが維持費が年間41億円かかるじゃないか?それを誰が払うんだ?そんなお金をもったいないと思わないのか?いま日本で何が起きているかわかりますか?災害やなんだかんだってすごいですよ、そっちの方に回してくれないか?と、わたしは会うたびに言うようにしています。第一、お年寄りが死ぬ思いをして、退かなきゃならないんですよ、と言ってるんですけれども。

(会場)説明会で一方的な話を聞かされて、Jさんの周りの例えば老人会の人たちや煙草屋さんの常連さんはどのような話がされたのか、伺えればと思います。

最終的には諦めムードがあるけれども、住み慣れたところを退かなければならないという辛さ、それはみんな訴えておりました。でもそれをですね、ハイと手を挙げて大きい声で相手の方に言えるんならいいけれども、みなさん大人しくて黙ってるんですよね。そうすると、質問したりする人は限られてしまって、わたくしもそのうちのひとりだったと思うんです。

(会場)男女では女性の方が多いということですか?

女性の方が多いですね。はい。

(会場)都市計画を変更するときに、Jさんのアパートが対象地域に含まれそうだということで説明会というのはなかったのですか?

一切ないです。前もって事前にこういうことがあるんで立ち退くようになると思うんでどうでしょう?とか、そのような、いわゆるこちらにお伺いを立てる、はっきり言いまして弱いものに対してですね、お伺いを立てるようなことはこれっきりもなかったです。とにかく集まってくださいと言われ、集まった。そしたら、バン!と持ってきた。(手の平を合わせて)これでみなさん。頼むよとかじゃないんですよ、やってくださいよ、とそれだけです。

(会場)その前にアパートを改修するという話があったのでしょうか?

建て替えてほしいという要望はみんな持っていますけれども、引越しするということではさらさらございませんから。役所の方にもそのことは届いているはずでございます。町会を通してですね。

―――ぜんぜん要望と違うわけですよね。

ですから、そのー。(ため息)「正直な話わたしはオリンピック賛成なんだけれども、皆さんが反対しているから、立場上、反対と言わなければならないんだよ」という方もいらっしゃるんじゃないかなと思います。

(会場)霞ケ丘アパート自体が老朽化しているというのは今に始まったことではなくて、ここ20年くらいであって、しかも聞いたところによると何回も住人の方々が、高齢化も進んでいるという面もあり東京都に、改修して欲しいと陳情をしていることを聞いているんですけれども、東京都は今こういう事態に至って馬耳東風というか、そのような解釈でよろしいでしょうか?

それはまず間違いないと思います。改修の陳情をしたというのは聞いております。

(会場)それを散々シカトしておいて、いきなり出て行けという訳ですか。

そうです。全くそうです。

(会場)補足をすると、昔は東京都の中に住宅基部という、都営住宅をつくる部署があったんですけど、それが、石原都政の2年目かな、潰れて都市整備局というのになって、それから新規で都営住宅は作らなくなった。古いところは直すとやっているんだけれども、築60年70年のところを直すと家賃が上がっちゃうんで、古いところ手を加えてくれというといところもあれば、家賃が高くなるとみなさん住めなくなるのでやめてくれというのもあり、なかなか要望自体がまとまらないというところが結構多い。霞ケ丘アパートがどうかというのは別にして、そういうのはあるので、一長一短できれいになればいいというわけでもない。

それはわかりますね。

(会場)今、みなさん3ヶ所バラバラに引っ越すということですが、みなさん一緒に入れるような新しく別の所にという要望はなかったんですか?

霞ヶ丘アパートをですね、全部壊してもいいから、大きいのをボンと建ててくれればみんな入れるじゃないかということで、要望は出したことがあるようです。霞ヶ丘アパートの敷地や近辺のなるべく国立競技場から離れたあたりにね。

―――それも蹴られた?

だめなんです。


(会場)老人会の皆さん、ばらばらになることに対してはどういう思いですか?

ですから、みんな怖がってですね、老人会に入っている方は、なじみの深い方ばかりですから、引越しする時は、口には出さないんですが、一緒に同じところに行きましょうね、ということを、暗に感じています。

(会場)それはできるのですか?

ある程度はできるんです。ある程度は。でも、老人会をやめて、早めに引っ越していった方も中にはいらっしゃいます。そういう方はどちらかというと、やはりこの町に、霞ヶ丘アパートに長く住まわれていない、わりあいに後から入ってこられて、住んでる期間が短かかった方、そういう方は早く出ていかれている。中には60年も住んでいたという方もおりますけれど。たいがいは短い方です。来てからまだ15年だ、20年だ、と、そういう方。私は80年ですから。

(会場)通常なら15年、20年住んでいれば、充分長いですよね。

私自身、子どもがもう50歳になりましたから、考えてみれば当然ですよね。

(会場)引越しをされた方は、場所としては、霞ヶ丘アパートに歩いて来られるような距離ですか?

とんでもございません。同じ新宿区内で、弁天町とか、百人町とか、戸山ハイツ、あちらの方を紹介されて行っているようです。私は見向きもしません。行ったことも見たこともないです。戸山ハイツを、車で通った時に遠くから見ただけです。

(会場)引っ越すと、顔を合わせることもなくなってしまう。

もうなくなります。

 (会場)ちなみに今は霞ヶ丘アパートには入居できるんでしょうか?

東京都が入居をさせません。募集いたしておりません。新規に入居させると追い出すのに苦労するだろうと、思われています。わたくし、保証金などなんだのの気持ち全然ないですよ。退くっていうことなど到底ないですよ。考えたくもありません。

―――今現在残られている方が約150世帯とお聞きしましたが、半分までは行かなくても、多くの人は出られてしまっている状況にあるということですか?

最盛時で300世帯ございまして、こうなる前に少しずつ引越しします、高齢者になったんで、子どもが引き取りたいとか、それで減っていきまして、昨年はじめに220軒ほどあったそうです。そして、つい昨年の末の時ですね、11月末までの3ヶ月ぐらいの間に、40軒ほど引越ししました。ですから、今160軒ぐらいです。オリンピックの話が出てからでもいくらかずつ高齢のために引っ越された方もいるのです。もちろん、国立競技場のことも考えて早めに行ったという方もいるはずです。ただそれは口に出しませんけどね。

―――40世帯というのは、新宿区の都営住宅に移ったのですか?

都営住宅です。戸山ハイツとか。先ほど申し上げた通りのところです。

―――今後、違う場所にある都営アパートを一旦壊して建て直した所に移る予定になっている、という話を聞きました。

はい、それは渋谷区神宮前2丁目に都営住宅がございました。3棟立っておりました。それを今、解体工事入っておりまして、2年後には完成するようです。そうしたら、今住んでいる居住者の中から90世帯は、入れるように確保しますというような情報はちらっと耳にはいりました。でも90所帯ですから、まだ150世帯位残っていますから、全員入れるという保障はないわけですよね。あとどうするかってことは、わかりません。

編集注:東京都によれば、今後移転先になる建て替えの都営住宅は、神宮前アパートの他、若松町アパートもあるとのこと。

―――残りの60世帯はどうするのか、まだ向こうからの情報としてもないということですよね。

そうですね。

―――2年後、ということであれば、国立競技場の計画がどうなっているのか、わからないところもありますよね。新しい国立競技場は大きすぎるのではないかという意見が建築家からも出されて、昨年末に最初の計画より小さくするとJSCが発表しました。当初のアイデアでは霞ケ丘アパートの方まで立体の歩道橋をつくる形だったんですよね。現在の計画では明治公園の半分位で競技場が収まるという形です。そうすると霞ケ丘アパートが移動しなければならない理由が現状として無くなってきていると思います。

心の中ではですね。いわゆる見識者の方々からですね、もっと小さくたっていいじゃないか、もったいないじゃないかという話がもっとどんどん出てきてですね、あわよくば、残れればいいなというふうに思って願っています。愛着ありますよ。千駄ヶ谷も原宿も霞ケ丘も。住み慣れたところをおいそれと動けますか。80年も住んでいるとですね、どこに行けばなにがあると、何でもわかりますよ。近くであればね。今は地域のことをいろいろやっているんでね。小学校に行ったり、鳩森八幡神社のこと、区のこと、町のこと、老人会とか、いろいろお手伝いしてやっています。ですから、この話が潰れてくれると嬉しいな、じゃないけど、ほんとに、お金の無駄遣いしないでくれよ、と言いたいです。そうでなくても我々は切りつめて生活していますからね。

(会場)そのようなJさんのような声は、霞ケ丘アパートの中で具体的に起きていますか?

起きてはいないけれども、みなさん心密かに願っています。そんな話が報道されると、みなさんすぐ飛んできて、見た?聞いた?と言い合ってますからね。

―――そろそろ時間ですので、参加者の方から質問がありましたら、お願いします。

(会場)ぼくらは、いろんな理由がありますが、オリンピックに反対なんですね。その中の大きな理由のひとつが、いろんな人の追い出しが行なわれるのがおかしいじゃないか、というふうに思っているんです。特にこの霞ヶ丘アパートの話というのは、ほんとに、役人が一方的な説明しかしてなくて、ひどい話だと思っています。少なくとも向こうに誠実な話をさせるような、何かそういったことでお手伝いできればいいな、と思っているのですが、なかなか何ができるのかわからないのですが、もしできることがありましたら応援させていただきたいなと思っています。

心にとめておきます。ですからそのへんの難しさがあるんです。私、かつては町会の役員、副会長をやりまして、前の会長がやめるとき、おい、やってくれよな、と言われたけど、私は会長をやらないという条件で副会長をお受けしますと言って受けたものですから。もちろん、受けてもこなしきれないんです。ほかの事いろいろ、もっともっと、地域のこと、やりたいことがありますので、ですから受けなかったのですけれど。役員やってないのに、そういう話を持ち出すというのは、それは意見として言うのはいいのですが、じゃあお前やれよと言われた時、町会長じゃないのにな、という気持ちがやはり、どこかに感じて、やりにくいんじゃないかな、と思うんです。しかも、今の関係する方々、必ずしも同じ気持ちじゃないと思うんですよね、「仕方がない」の一点張りかもしれないし、あるいは「もう他のところを考えているのよ」と言うのかもしれないし、ほんとに、こんなことは言いたくないのですが、いつも自分では応援しているつもりだけど。
一生懸命オリンピックを進めやがって、という気持ちありますよ。俺たちのことを少しでも真剣に考えているのか、ということ、本当に申し上げたいと思います。

(会場)ぼくらも応援、なかなか難しいな、というのがあるんですけど、それはそれ、これはこれみたいな形で、追い出し、立ち退きひどいんじゃないんじゃないか、ということだけでも、この際一つの声としてできれば、すごくいいんじゃないかな、と思っているのですけど。ぼくらはそちらに住んでいるわけではなく、外から見ているだけなので、無責任な話になると申し訳ないのですが。

私も全く同じ気持ちです。自分もそういうふうに大きな声で叫びたいのですけれど。

(会場)新国立競技場、大きなもの建ててどうするんだ、という話が多かったと思うんですが、霞ヶ丘アパートはA3地区、という所になって、その裏の国学院とか、都立青山高校とかのある、あちらがA4地区といって、あちらの方に80メートルの高さのものを建てる都市計画になっています。計画通りだとA2地区に新国立競技場のでっかいのが建って、A4地区に高層が建って、完全にその間に霞ヶ丘が入るというような形になるので、そっちの方に関しての情報は地元の方で、高さ制限とか、大きなものが建つみたいな話はありませんか?

そういうものが国学院とか、都立高校の方に建つよ、いう話だけはありますが、そちらへどうぞ、と言う話は一切ありません。ただ神宮前2丁目の今解体している都営住宅のあとに出来上がったならば、90世帯ぐらい入れるんじゃないか、入れるようですよ、ということだけはうかがっております。

(会場)霞ヶ丘アパートのあたりは新宿区、渋谷区、港区の3区境界になっていますが、住民意識とか地元意識、どうなのでしょうか?
 
私が感じた範囲では、自分のところはかからなければいいや、と言う方も、自分は境だから、あるいは取られるかもしれないから心配だ、という方もいます。ただ、そのためのいわゆる会合とか組織がある、ということは、さらさら聞いてはおりません。店のすぐ前の方が、このへんもやはり影響を受けるんでしょうね、と言うから、当然ここは境ですから、道路も広がるでしょうから、お宅様の方も影響はあるはずですよ。お寺さんに行けばお寺さんで、うちの方も少しとられちゃうのよね、どうしようかな、という相談を受けたりするんですよ。うちのすぐ前にお寺さんがありまして……竜巖寺という古いお寺なんです。いわゆる勢揃坂、といいまして、鎌倉時代からの由緒ある坂なんですが、家の前の道路がですね、そこが広がると言う話を聞いております。でもそのための対策はどうしてる、ということは聞いたことはございません。

(会場)今までの住民説明会みたいなものは、形だけとはいえあったということなんですけど、今後そういう外向けの説明会が開かれる予定はありますか?

正座して申し上げます。一切ないと思います。が、ここ、ここまで来て、これ以上霞ヶ丘アパートの引越しが解決しなかったらば、最後の手段として、強制執行しますよ、ぐらいの覚悟で東京都はいるんじゃないかな、というふうに感じ、また、なんとなく耳にしております。

(会場)強制執行するということは、ずっと居座る人たちがいるかも知れないということですか?

いた場合はそのようにしたいですよ、ということです。ですから、東京都との、その引越しに関する交渉は一切合財できないんです。私どもは。なぜかというと、東京都に私なんかうんと質問した方なんですよ。ところが後になって、これからは東京都との交渉は町会でやりますからご安心下さい、というふうに言われまして。それでまあ一応、住民としてはお任せしてあるんです。よけいな口出ししてはいけないと思うものですから控えてはおりますけれども。ですから私どもからすると、話し相手がいない、本当に弱体というか、向こうの言いなりに進められるような形になっているな、と感じます。

(会場)でも、そこでずっと何十年も暮らされている人にとっては、出て行きなさいと言われて、はいそうですか、という問題ではない、という重みはすごく感じるんですよね。

はい、死活問題です。

(会場)そういう方たちの強い思いは、住民としてあるんじゃないかと思います。

私はお会いすれば必ず、今まで引っ越された方、いわゆる立ち退きに関係なく引っ越された方で、息子さんのところに呼ばれて行った、そういう方が2年もたないで亡くなった、というのを何人も聞いているんです。私の年齢にならなくても。ですから環境の違いで、どれほど生活が変わってしまうか。お友達がいなくなる、話し相手がいなくなる、買い物行くにもどこに行っていいかわからない、お医者さんは遠くなる、新しく行ったんじゃだめだと。今、お医者さん行ったって、私のところに来ないで下さい、という所ありますからね。大きい病院なんかは来ないで下さい、と言いますから。そういう問題とか、含まれると思います。ですから生きていかれないです。年寄りには。これだけ元気ですから、と思ったって、明日はわかりませんからね。

―――予定時間を大幅に過ぎました。これで終了いたします。(拍手)

本当はもっともっと訴えたいです。
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戦前からのいちょう


●Jさんに見せていただいた他の写真

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国立競技場(昭和26年)
 
 image平屋だった頃の霞ヶ丘アパートの前に立つ少女

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霞ヶ丘町1番地のお店

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