東京では新大久保のコリアンタウンが街宣の舞台。「こわい!」と言って店をたたむ向きもあるとか。日本は「民族差別撤廃条約」に加盟していることもあり、つとに国連の人権差別撤廃委員会から立法措置もふくめる適切な指導をとるよう勧告を受けています。ちなみにヨーロッパでは、このようなことを取り締まる法律があります。ないのは日本とアメリカくらいのもの。政府の対応の遅さをイライラしながら眺めています。
和解に求められる
政治リーダーの勇気
――8月14日頃出されるという、安倍晋三総理の「戦後70年談話」について、はどうお考えですか。
私は、「謝罪」はもういいと思っています。日本は中国や韓国に対し、高いレベルで何回も謝罪してきた。私は現役時代、何回もその場に居合わせました。韓国の高官は、今度の安倍談話に謝罪の言葉がないと許さないと言っているようですが、91年の宮沢総理の韓国国会での演説、あるいは、小渕恵三総理と金大中大統領との共同宣言(98年10月)を読んでほしい。
そこでは小渕総理が、植民地支配に対して「痛切な反省と心からのお詫び」を述べ、金大中大統領はこれを受け入れ、これからは和解と善隣友好協力に基づいた未来志向的な関係を発展させて行こうと述べたのです。
中国については、98年10月に来日した江沢民国家主席に対し、首脳会議で小渕総理が過去の一時期における日本と中国の間の不幸な歴史に言及しつつ、「反省とお詫び」を表明され、このことは中国の新聞でも大きく報道されました。
ちなみに、85年にドイツのワイツゼッカー大統領側が行った演説は「過去に盲目となるものは未来に対しても盲目となる」という言葉であまりにも有名です。ただ、あの演説の中には謝罪の言葉は一言もありません。演説で繰り返し強調されていることは「過去としっかり向き合ってこれを次の世代に語り継ごう、これがわれわれ今の世代の責任だ」ということです。かつて、西ドイツのブラント首相が、1970年ワルシャワのゲットー(旧ユダヤ人居住区)の記念碑の前でひざまづく有名なシーンがありますが、あれは独・仏和解が遂げられた後の出来事。ブラント首相によれば、前から考えていたのでなく、あそこでは自然とあのような所作になったということです。
いつまでも謝り続ける、これは日本国民を卑屈にしかねません。また、日本国内の反発も相当なものでしょう。韓国の政権がかわる度に「謝罪」を強要されるのかと。そんなことをくり返していては、いつまでたっても「歴史」を克服して前へ進めません。来る「談話」で安倍総理は、謝罪の部分も含めて村山談話を、そのまま受け入れるとした上で、これからの日本について、お考えを存分にお述べになったらよいと思います。
英語で「タンゴは2人でなければ踊れない」という言い方がありますね。「和解」も彼我の間の共同作業です。そしてそれには、双方の政治トップの人たちの国内世論におもねらない勇気と強い政治的リーダーシップが必要です。