日本とドイツの
戦争処理の違い
――ヨーロッパでは、戦火を交えたフランスとドイツの間などでは、つとに「和解」が成立し、近現代史について共通の歴史教科書が編まれるまでになりました。また、ドイツが占領したポーランドとの間でも、ドイツ側が官民共同で「記憶、責任、未来」基金を立ち上げ、ナチ時代のポーランド人の強制労働についての償い事業が進められていると聞きますが、日本はそのようなドイツと比較して、戦後、戦争についてどのように対処してきたのでしょうか。
韓国や中国の人、時にはドイツ(以下、東西ドイツ統一前の西ドイツを指す)の人まで、「日本はドイツを見習え」と批判する人がいますね。しかし、ことはそう単純な話ではない。2つにわけてお話ししたいと思います。
1つ目は、ドイツが戦後熱心に取り組み、他方、日本の場合には十分でなかったところです。まず、ナチズムの犠牲者に対する、「補償」。ドイツは政府が巨額の予算を計上して熱心に行いました。補償の対象にはドイツ人も含まれています。
次にドイツが熱心に取り組んだのが、あの忌まわしいナチズムの歴史を忘れないで、次の世代に語り継ぐということです。教育の面はもちろん、ドイツ国内各地に、ナチズムとその犠牲者を追悼するための多数のモニュメント、追悼碑を設置、その数は全国で数千個に及ぶといわれます。そしてナチス戦犯訴追をいつまでも 終わりにしないために、この件については「時効」を停止する法(刑法)改正をしました。先日も高齢のナチスの犯罪者を見つけ出し、裁きにかけたというニュースが報道されていました。
他方、日本の場合、戦後教育の面も含めて「歴史にきちんと向き合う」「歴史を語り継ぐ」という面では、必ずしも十分ではなかったということは否定できない。最近では天皇陛下が満州事変に触れて、このことが大切であるということをおしゃっていますね。その背景には、日本の戦争責任を裁いた極東軍事裁判のことは別として、日本としてあの不幸な時代を総括する間もなく東西冷戦の時代が到来し、日本は米国を盟主とする西側陣営に入ったことから、そのいと間もなかったということもあるでしょう。
いまひとつ、一部の識者が指摘することですが、国権の最高機関たる国会に、ほかならぬ旧日本軍で高い地位にあった人たちが舞い戻り――その中には、シンガポールで華僑殺戮のオペレーションの指揮をとった人もいた――また、もう1つのグループとして旧満州官僚の人たちがいて、その何人かは閣僚など政府の要職を占めた、ということがあったことです。
私自身、現役時代よく国会に足を運びましたが、そこでは歴史認識、あるいは人権といった問題が、往々にして与野党間のせめぎ合いのテーマとなり、このような大事な問題について、国会の場で国民的合意形成に向けて努力するというにはほど遠い状況でした。
他方、2つ目として、日本が戦争の傷跡の処理に対して熱心に取り組み、ドイツの方はそれについては頬かぶりしたという部分があるということです。