沖縄メディアの「ミス・インフォメーション」―ロバート・D・エルドリッヂ
nippon.com 8月20日(木)11時16分配信
これらの問題は、学者として沖縄のメディアと緊密に働いた人たちが非常に憂慮する原因になっているだけでなく、報道機関の役割をめぐり日本で起こっている論争の観点からも特に深刻である。地元、地方、全国、国際レベルを問わずメディアはダブルスタンダード(二重基準)を持つことはできない。もし持つならばさらに信用を失うことになる。
私はこの論文を皮肉ではないが米国独立記念日の7月4日に執筆している。最も偉大な民主主義思想家のひとりであり独立宣言の起草者であるトーマス・ジェファーソンは1787年に書いた以下の文で有名である。「もし、新聞のない政府か政府のない新聞のどちらかを選択する決定を私がしなければならないなら、一瞬の躊躇もなく後者を選択する」
同時にジェファーソンは、報道機関も無責任になりかねないということを知っていた。1800年に彼は以下のように警告している。「まったく物を読まない人間は新聞しか読まない人間よりより教養がある」。われわれは深さと幅のある情報を得るために依然としてメディアを必要としている一方、われわれはこの同じメディアがときたま(ある場合では規則的に)やり過ぎや無責任さを露呈することを認識する必要がある。
日本新聞協会は2000年6月21日に新聞倫理綱領を採択、そこでは、「報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない」とうたっている。わたしは今までの報道姿勢を見てきたが、メディアの多くはこの綱領に従って行動していない。この状況は特に沖縄において当てはまる。読者の一員としてわれわれはこれらの問題を伝える責務がある。
メディアが正当で建設的な批判を受け入れ、自身をさいなむ問題を早く解決すればするほど、われわれすべてがよりよくなる。でなければ、国民のメディアに対する信頼が落ち続け、ほかの情報収集手段が増加し、国民のメディアに対する監視が深まることになる。
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ロバート・D・エルドリッヂ Robert D. ELDRIDGE
元大阪大学准教授、元海兵隊太平洋基地政務外交部次長、著書に『沖縄問題の起源』(サントリー学芸賞、アジア・太平洋賞特別賞)、『Japanese Public Opinion and the War on Terrorism(日本の世論と対テロ戦争)』(Palgrave, 2008、共著)、など多数。
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