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皇室全般画像掲示板
酒井美意子 「敗戦以前の華族 」(『元華族たちの戦後史』.主婦と生活社.1995年.華族の実態 一般に思いこまれていることだが、華族全員が裕福で、戦前上流社会を形成していたわけではけっしてない。公卿(くげ)、大名の旧華族ですら、自分たちの持つ文化や生活様式を最高と思い、お互いに反目し合っていた。 そこヘ、軍人や官吏や事業家などの成功者の新華族が加わると、旧支配層はまるで異星人をみるようにこれを扱った。とてもとけ合うどころではなく、ヨーロッパのように社交界も育ちようがなかった。
「私たちは、一度だってよかったことはありません。明治維新のときもひどい目にあったらしいし、十五銀行の破綻(はたん)のときも物凄かった。私の家なんか、十五銀行のときにスッテンテンになったので、財産税のときは、もう取られるものなんかありませんでした」 十五万石以上の大名を除き、同じ大名華族でも領土や石高の少なかった大名の末裔(まつえい)、清貧に甘んじてきた公卿の末裔、そして種々雑多な新華族のめんめんの、これが偽らざる本音である。
十五銀行とは華族のみが株主となって発足した銀行のことである。話に聞けば、明治十年に発足、昭和二年の恐慌を乗り切れず、減資をやむなくされた、という。そのため、株主の華族たちはひどい目にあったそうだ。頭取の公爵松方巌が爵位返上を申し出て謹慎したのも、皇室始め皇族や華族に大迷惑をかけた責任をとったのである。 そして太平洋戦争に完膚(かんぷ)なきまでにやられたあとで襲ってきた財産税。財産税は当時、十万円以上の資産のある家にまったなしで襲いかかったのだが、十万円の財産もない華族が少なくなかったのである。この現実を知らず、戦争に負けたから華族が一斉に没落し、斜陽階級になってしまったと思いこむのは、笑止千万である。
華族の実態を知る人が減少し、知らない人による意見は意味をなさないが、かつて華族の一員であった者として所感をのべれば、華族の存在意義はなく、制度が昭和二十二年に廃止されたのは当然、と考えている。そう発言する元華族は少なくない。 華族としてのプライドと使命感をもって社会に貢献したのは、ほんの一握りの富裕な人々だけである。たとえ富裕でも、私利私欲のほかに関心を持たない人のほうが多かった。まして富裕でなければ、何をかいわんや、華族全員が富裕だったわけではないのである。
フランス語の「ノブレス オブリージュ」(身分高き者は義務を負う)が、貴族的精神の根幹といわれるが、この言葉すら知らない華族も少なくなかった。 ごく一部には、華族の体面を重んじて行動し、当時の天皇家に倣(なら)い、伝統文化の継承と普及、西洋文化の導入と普及に知識と財力を傾けた人物もいた。育英事業に精魂を傾けた人物もいた。しかしその数は余りにも少なかったのである。 華族は、公卿華族、大名華族、新華族の別があり、それぞれピンからきりまである寄り合い所帯で、お互いに対立、反目しあっていたことも、種々の問題を生じた。
華族も公家も人間社会だからやってることは一般人と変わらないでしょう。「ノブレス オブリージュ」などと気取らなくても、普通の自尊心の有無で生き方に差がつくだけのこと。自尊心を欠いた人は高い地位にふさわしい行動ができない。平民でも自尊心がある人は紀子さまのように立派に生きられる。
昭和22年5月、日本国憲法の制定とともに、華族制度は廃止されます。しかし、多くの華族を苦しめ没落させた、政府の施策は、華族制度廃止のニ年前に断行されました。意外に知られていない、衝撃的な政府の施策とは何か?それは、累進課税です。今でいう累進課税は、所得が多いほど所得税率を大きくするものですが、当時、政府が慣行したのは、戦後の財政の行き詰まりを打開するため、GHQの指導に基づき、「財産税法」を制定して(昭和21年11月)累進課税を用いた財産税徴収を施行します。財産税は、10万円以上(今の価値に直すと約5000万円以上)の財産を保有する個人に課されました。
膨大な資産を持っていた華族達は、全財産の90%近くを税金として支払う必要がありました。戦後の混乱期とはいえ、個人財産の約9割を取上げる累進課税は、過酷でした。現金で支払うか、物納するか、利息を払って延納するか?広大な屋敷、別荘、土地、先祖伝来の絵画、掛け軸などの骨董品を直ぐに換金することは出来ません。多くのケースで、財産が物納されました。物納された骨董品の買い手は、戦後初期の日本国内にはいません。国宝級の美術品が、海外に流出していきました。このとき延納を選び土地を温存し、ドッジデフレ時代の資金繰りを凌いだ華族は、土地価格の高騰で大金持ちとして、生き残れたそうです。
昭和22年春に発表された財産税の納税番付のトップは、天皇家です。37億4300万円(現在で約2兆円)を納め、残りの財産は、国有財産になりました。秩父宮、高松宮、三笠宮を除く、11家51人の皇族が財産税を支払った上に皇籍を離脱します。彼らに対しては、わずかの一時金が、支払われますが、直ぐに底をつきます。ある内親王は、鶏を飼い、卵の生産・販売をしたり、プラステック加工の内職をして、元軍人で失業中の夫を助けたそうです。皇族でさえ、この状況です。多くの華族が、この瞬間に致命的な打撃を受けて、没落し、路頭に迷います。昭和24年1月、絶世の美女といわれた伯爵令嬢・堀田英子さんが、戦後の成金・小佐野賢治さん(国際興業社主)と結婚します。結納金は、なんと400万円。財産税がなかったら、二人は結ばれなかったと言われています。
>膨大な資産を持っていた華族達は、全財産の90%近くを税金として支払う必要がありました。戦後の混乱期とはいえ、個人財産の約9割を取上げる累進課税は、過酷でした。いままでいい思いをして来たのだから税金をうんと払って貧乏になって自分の力で生き抜く処世術を身につけることが出来て調度いいと思うわ。
興味深いです。華族の側から捉えた「戦後史」。海外に流出した 国宝の数々...。スレ主さん、ありがとうございました。m(_ _)m
>ID:SNy5fYhQ No.1405018 >華族も公家も人間社会だからやってることは一般人と変わらないでしょう。>「ノブレス オブリージュ」などと気取らなくても、普通の自尊心の有無で生き方に差がつくだけのこと。>自尊心を欠いた人は高い地位にふさわしい行動ができない。>平民でも自尊心がある人は紀子さまのように立派に生きられる。心から同感ですわ。
>ある内親王は、鶏を飼い、卵の生産・販売をしたり、プラステック加工の内職をして、元軍人で失業中の夫を助けたそうです。東久邇成子さんですね。理系の頭脳でいろいろな事業をされたとか。
>東久邇成子さんですね。理系の頭脳でいろいろな事業をされたとか。昭和帝のお子さまの中では一番優秀なのではないか?早くに亡くなられて残念。
>公卿(くげ)、大名の旧華族ですら、自分たちの持つ文化や生活様式を最高と思い、お互いに反目し合っていた。>そこヘ、軍人や官吏や事業家などの成功者の新華族が加わると、旧支配層はまるで異星人をみるようにこれを扱った。そこに裕福な平民が加わると一気に団結して平民叩きが始まったのかな。
>>広大な屋敷、別荘、土地、先祖伝来の絵画、掛け軸などの骨董品を直ぐに換金することは出来ません。美智子の実父で、穢多と朝鮮の出自を持つ『堤康次郎』が、二束三文でそれらを叩き買ったのですよね。そして、それらの土地家屋を開発転売して、大金を大儲けして、その金で、美智子を入内させたwwカネコマの昭和天皇の頬を張った大金は、元皇族たちの財産から手に入れた金だったwww菊タブーは、国民にも、元皇族たちにも、隠さないといけない程の秘密があるのだろうなぁ・・・www戦争犯罪者の昭和天皇は処刑、皇室は消滅さすべきでした。今度は間違わないように、今上からは治外法権を剥奪し、美智子と共に、外患誘致罪で処刑すべきです。明治以降の皇室は(明治天皇すり替え説)、本当は乗っ取られていたのだろうと思います。日本人は、無垢の同胞をここまで殺せるほど、タフな精神構造を持っていませんからね・・・