停戦協定締結後の北朝鮮、協定違反519回

際限のない北朝鮮による襲撃と銃撃

 1953年7月に韓国戦争(朝鮮戦争)の停戦協定が締結されたが、その後も北朝鮮は昨年まで軍事境界線(MDL)付近や西海(黄海)北方限界線(NLL)などで合計519回にわたり韓国軍や国連軍への襲撃を仕掛けてきた。

 まず1980年以前は主にMDLを越え、韓国軍兵士が待機する詰め所や警備中の兵士を襲うケースが多く、実際に襲撃が最も多かったのは1960年代だった。例えば1966年11月には朝鮮人民軍兵士が韓国軍第25師団の管轄区域に侵入し、監視中の韓国軍兵士を襲って6人が死亡した。また67年5月には北朝鮮の工作員4人がMDLを越えて侵入し、米第2師団の幕舎2棟を襲った。さらに同年8月には韓国軍の詰め所に突然機関銃と手りゅう弾で攻撃を加え、韓国軍兵士6人が死亡、13人が重傷を負った。

 北朝鮮からの襲撃に韓国軍が積極的に応戦を始めたのは1970年代に入ってからだ。73年に朝鮮人民軍詰め所近くでMDL表示板を修理していた韓国軍兵士が銃撃を受け、2人が死亡し1人が負傷した際には、韓国軍は直ちに応戦し朝鮮人民軍詰め所に大きな被害を与えた。76年8月に朝鮮人民軍がおので国連軍を襲い米兵2人が死亡し9人が負傷した時は、韓国軍と米軍が協力し現場近くで視界をふさいでいたポプラの木を伐採した。朝鮮人民軍は99年の第1次延坪海戦、2002年の第2次延坪海戦、09年の大青海戦など海上でも数々の挑発を仕掛けてきた。

キム・ミョンソン記者
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