Crysis 3確かに海外ゲームは日本のゲームよりも3D表現はリアルでしょう。しかし、私が海外ゲームをプレイしていて一番落胆するのは、ストーリーがないことです。またはあったとしてもくだらない。 ... 続きを読む: 海外ゲームには練られたストーリーがない。海外ゲームには失望した
PC(Windows)の海外ゲームをたくさんプレイしてきたのですが、ここ数年は夏目漱石のように「何となく "海外ゲーム" に欺かれたるが如き不安の念あり」です。
「海外ゲーム」とは PC で発売された海外ゲームを指します。家庭用ゲーム機で販売されている海外ゲームはプレイしていないので含めません。日本以外で作られたゲームを「海外ゲーム」と一括りにするのは良くないのですが、これを承知の上で、全体的な印象について書いたものであると考えてください。
もっと文章を短くしたかったのですが、あれもこれもと書いているうちに意外と長くなってしまいました。短くするために文を削りつつ、このあたりで切り上げます。
海外ゲーム、とくに欧米のゲームといえば「リアルさ」が売りなところがあります。Crysis などは確かに質感があるリアルな3D表現です。ゲームとビデオカードの開発が協力し合っている様を感じ取れます。
Crysis 3
確かに海外ゲームは日本のゲームよりも3D表現はリアルでしょう。しかし、私が海外ゲームをプレイしていて一番落胆するのは、ストーリーがないことです。またはあったとしてもくだらない。
海外ゲームのストーリーはプレイヤーに訴えかけるものがなく、人生観と切り離されており、感情は表現せずに淡々としており、娯楽として以外はプレイヤーの生活を潤さない。私は海外ゲームのストーリーにほとんど何も感じません。
欧米あたりでは自我をゲーム内に投影するものが多いです。プレイヤーである「私」の選択によってゲームが進む。それは単に選択肢を選ぶという意味ではなく、体の動きもプレイヤーの考え(選択)を反映しています。プレイヤーはゲームの主人公であり、この結果、一人称視点のゲームが多くなります。
Fallout 3 や Dragon Age に見られるように動きや考えをゲームに反映させる一方で、海外ゲームはゲームから学ぶものが少ないのが特徴です。日本のゲームは少し教訓的なものが含まれることが多いです。典型的な勧善懲悪のものも多いとは思いますが、報徳精神は多く含まれ、哲学的なことも含まれています。
日本のゲームはプレイするとストーリーやシーンから何か学び取れることが多いです。たとえば人に優しくするとこういう良いことがあるのだと示したり、友人の大切さを説いたり、またはそれに飽きて発展させ、果たしてそれは本当に良いのかと懐疑的に捉えたり、逆説的に展開させるものもあると思います。おそらく人生で何か役立てられることがあるでしょう。海外のゲームのストーリーはそういうものはほぼないです。
私は海外ゲームと日本のゲームに英文学と漢文学のような違いがあるのではないかと想像するのですが、そちらには詳しくないため間違っているかもしれません。漢文は何かの教訓を書にしてあることが多いと思います。…漱石は引き合いに出さない方が良さそうですね。
海外のゲームは周りの環境や物質などのゲーム空間はリアルなのですが、ストーリーに没入感がなかったり、学び取れることがなかったり、キャラクターの心の動きも表現せず、空間以外に実感を持てず、私はそこにおいて海外ゲームを非常に低質だと感じます。単なる仮想現実のお遊びです。人間関係もゲーム内のクエストとしては存在しますが、お使いに行く程度の関わり合いだけです。
Grand Theft Auto に見られるように、街で強盗をしたり、銃を撃ったり、車で轢いたりと、自分が楽しめればそれ以外どうでもいいのかもしれません。日本人にはあの残虐なゲームはなかなか作れません。これを良く表現するなら、他ならぬ「私」の尊さ、尊厳に重きを置いているということでしょうか。
日本はゲーム文化が登場してから早い段階でテキストを読んでストーリーが進んでいくゲームが流行ったせいか、テキストがゲームの主体となることにあまり違和感がなく、もしかするとこれが日本のゲームのストーリーの良さを支えてきたのかもしれません。「犯人はヤス」で有名な「ポートピア連続殺人事件」もテキストが主体となったゲームです。
家庭用ゲーム機ではテキスト主体のゲームは少ないのですが、エロゲーがテキスト主体のゲーム文化を受け継いでいたのでしょう。私はその流れで名作「STEINS;GATE」が生まれたと考えています。「STEINS;GATE」を発売したニトロプラスはそもそもエロゲーを作っていた会社ですし。
日本のゲームではテキストが多く登場し、テキストでストーリーを語ることに躊躇いがなく、ゲームの開発では「ストーリーを練る」ことが当たり前であって、当然海外のゲームよりもストーリーが良いゲームが多いです。サウンドノベルゲームがあったから、ゲームと小説とが近くにあり、ストーリーが練られていったのではないでしょうか。
ここで、海外ゲーマーによる Final Fantasy XIII への批判を思い出してください。彼らはムービーシーンが長すぎる、これではゲームでなくて映画だ、と酷評しました。「ゲームとは何ぞや」という思慮につながりますが、ここから、彼らはゲームではとにかく自分の考え(操作)を反映させていないと気が済まず、ムービーを見たり、テキストを読んで指を停止することが嫌いなのではないかとも考えられます。(読字障害の多さと関係する?)
海外にサウンドノベルゲームがほぼないという事実もあります。これは不思議で、海外で(ギャルゲー寄りの)サウンドノベルゲームが作られるようになったのはここ最近です。これは日本のゲーム・アニメの影響です。テキストと絵で作るゲームに魅力を感じ取ったのでしょう。
日本のゲームにももちろん低質なストーリーのゲームもありますが、全体的には海外のゲームよりストーリーが良いものが多いです。
自我をゲームに反映させるという特徴の他に、私は日本との文化の違いも感じます。欧米ではゲームはエンターテインメントと捉えていて、ゲームは実生活と切り離して楽しむものである、という考えがあるように感じます。
日本のゲームはファンタジーの世界に行きつつも、そこで人と人との不和を描いたり、協力を描いたりして、良くも悪くも人との関わり合いを見せたりします。または何かの信念のもとに行動したり。ファンタジーの舞台でありつつも、舞台上でやっていることは身近に感じらたり、共感、理解できるものもあります。
一方で欧米のゲームはファンタジーというと仮想現実をまず思い描き、そこで自分を反映させて好き放題やりたい、という考えがあるように感じます。現実では出来ないことをやりたいのかもしれません。これが当たっているならば、ゲームと実生活を切り離したいのでしょう。仮想現実では実生活における人との関わり合いは面倒で、銃で撃ってしまえ、と。うまく表現すればこれも笑いとして面白くはありますが。
結果として、欧米のゲームは仮想現実の空間がリアルにはなったのですが、ストーリーや伝えたいテーマには気遣われず、日本のゲームから大きく後れを取っています。日本のゲームは空間のリアルさは不得意ですが、それよりもゲームのストーリー、テーマ、伝えたいことの方が私にとっては重要です。
他にも、私が日本人であるので、海外のゲームのストーリーをうまく読み取れていないということもあるでしょう。そういう意味での文化的な違いもあると思います。欧米では GTA のような人との関わり合いが普通だったりするのかもしれません。
ここ数年、Story-Driven という言葉が少し流行りました。ストーリーを主体においたゲームをそう表現しています。これは海外のデベロッパーの周りには Player-Driven のゲームが多く、海外で日本の RPG がローカライズされて流行ったこともあって、Story-Driven という視点に気付いたのだと思われます。
この流れが続くともっと海外ゲームが面白くなりそうなのですが、最近ではこの言葉をあまり見かけなくなってしまいました。そしてストーリーなど全くない MOBA(Multiplayer Online Battle Arena) が流行り出すという…。
クロノトリガー。退廃した未来でのワンシーン。
PC での海外ゲームはストーリーの良いゲームにはほぼ出会えないので、日本のゲームを選ぶ感覚で海外のゲームを買うと失敗するかもしれません。
PC の海外ゲームはあくまで一時の娯楽であって、ゲームのゲーム性だけ楽しむものである、と割り切った方が良いでしょう。たとえば海外の FPS ゲームは、ストーリーやその背景などは一切忘れて、敵を銃で撃つというゲーム性を楽しむものである、と捉えるのです。
Call of Duty のストーリーはくだらないのですが、Call of Duty は銃で敵を撃つ部分が楽しくてプレイしている人が多いでしょう。ゲームのマルチプレイモードしかプレイしない人もいるはずです。ゲーム性は良いのかもしれませんが、ゲームのストーリーなど無いに等しいのです。
すべての海外ゲームのストーリーがつまらないのではありませんが、基本的にはストーリーに期待しない方が良いです。私は海外ゲームも当然ストーリーが練られているものだと思っていましたが、経験上そうではありません。
映画では魅力的なストーリーを描ける欧米ならばゲームのストーリーも良いものが多いだろうと考えていましたが、そうではありません。ゲームの文化価値が低いのか、まだ単なる娯楽だと考えられているのか分かりませんが、残念なことに欧米ではゲームのストーリーはあまり気遣われていません。
ゲームが表現のツールとしてあまり使われていないようにも思えます。表現のツールとして使われるときには極端に芸術性の高いものとして使われ、ゲーム性が盛り込まれません。ゲームはプレイヤーにエンパシーを湧かせられるはずですが、欧米のゲームはまだプレイヤーが自己の考えを発揮できるかどうかに拘っています。
私は海外のゲームはストーリーが練られていないと気付いてから、海外ゲームのストーリーに期待することを止めました。私は日本のゲームの方が優れていると考えています。まあ最近の日本のゲームもモバイルゲームに移行してしまっておかしくなっているのですが…。
最後となりますが、日本以外の国々で作られたゲームを「海外ゲーム」と一括りにするのは良くありません。私はロシアのゲームは高評価です。ロシアのゲームは Cryostasis、Metro 2033 など、精神世界に入り込む独特のゲームが多いという印象です。