NHK総合テレビの「NHKスペシャル」でSTAP細胞の不正の深層が放送されました。2014年1月に小保方晴子(おぼかたはるこ)さんによって発表されたSTAP細胞論文は生物学の常識を覆す世紀の大発見として世界中の注目を集めました。しかし7月イギリスの科学雑誌ネイチャーは論文の取り下げを発表。STAP細胞の研究成果は白紙に戻りました。不正な論文はなぜ世に出たのでしょうか?
小保方晴子さんのSTAP細胞の発想の原点はアメリカ・ハーバード大学にあります。留学生として再生医療の研究室で約1年半過ごした小保方晴子さんは、指導教官のチャールズ・バカンティ教授から受精卵のような何にでもなれる万能細胞を作るというアイディアを受け継ぎました。命の始まり受精卵は何度も分裂を繰り返しながら200種類以上、60兆個の細胞に分かれ私たちの体を形作っていきます。この流れは一方通行で元に戻すことは出来ないとされてきました。この流れを巻き戻し体の細胞から受精卵のような万能性も持つ細胞ができないか、万能細胞ができれば神経や血液など様々な細胞を作り出し再生医療に利用することが期待できます。人類がこれまで作り出した万能細胞は2つ。イギリスのマーティン・エバンズ博士が受精卵の中にある細胞を取り出して作ったES細胞と京都大学の山中伸弥(やまなかしんや)教授が皮膚の細胞に4つの遺伝子を入れ作ったiPS細胞です。もっと簡単に万能細胞を作ることはできないかと小保方晴子さんは刺激を受けた植物が自分の細胞を再生させる力に注目。シロイヌナズナは根を切断すると、その刺激によって断面近くの細胞が万能性を持ちます。元々根だった細胞が新たな芽を作り再び成長するのです。動物の細胞も刺激を与えれば万能性を持つようになるかもしれないと小保方晴子さんは万能細胞を作る研究を進めていました。
小保方晴子さんの研究に転機が訪れたのは2010年夏。知人を通じて新たな研究のパートナー若山照彦(わかやまてるひこ)さんを得ました。若山照彦さんはマウスのクローンを世界で初めて生み出した科学者です。この技術は細胞の万能性を確かめることにも使えます。これが小保方晴子さんが共同研究を始めた理由です。若山照彦さんの目には小保方晴子さんはハーバードで経験を積んだ有能な研究者だとうつりました。2人が共同で研究を進めたのは理化学研究所の発生・再生科学総合研究センター(CDB)のC棟4階にあった若山研究室。小保方晴子さんがいつもいたのは壁で仕切られた小部屋です。ここで小保方晴子さんはどんな研究を行っていたのでしょうか?
理研に提出された実験ノート2冊は2010年10月から約3年間の記録とされ、論文の元となる実験を行った時期と重なっています。小保方晴子さんがマウスの体から取り出した細胞に酸や酵素などで様々な刺激を与え万能細胞を作ろうとしていたことがうかがえます。実験ではまずマウスから細胞を取り出し刺激を与えます。細胞が万能性の兆候を示すと緑色に光る仕組みにしていました。小保方晴子さんはこうした緑に光る細胞を見つけては若山照彦さんに渡して万能細胞かどうか調べて欲しいと依頼しました。若山さんは小保方晴子さんから受け取った緑に光る細胞をマウスの受精卵に入れ育て、体が形作られていく過程で全身が緑に光れば小保方晴子さんが作った細胞が体のあらゆる組織に変化したことを意味します。キメラマウスと呼ばれるこのマウスが誕生すれば細胞の万能性を示す決定的な証拠となります。山中伸弥教授もiPS細胞からキメラマウスを作るのに成功し、万能性の証明に使いました。小保方晴子さんの実験ノートからはキメラマウスが生まれず実験が難航していた様子がうかがえます。若山照彦さんによると事態が急展開したのは共同研究を始めて1年余りが経った頃でした。いつものように小保方晴子さんから細胞を受け取りキメラマウスの実験を行った若山さん。小保方晴子さんと2人でマウスの胎児を見ると体全体が緑色に光り心臓が動いていたと言います。新たな万能細胞の作成に成功したと思った瞬間でした。しかし小保方晴子さんの実験ノートには「キメラ実験」という文字はあるもののキメラマウスの誕生や元になった細胞をどのように作ったかの記述はありませんでした。
ハーバード大学のジョージ・デイリー教授は小保方晴子さんらが論文で示した万能細胞の画期的な作り方に驚愕したと言います。論文で示されたSTAP細胞の作り方はきわめてシンプルです。生後1週間のマウスから体の細胞を取り出しオレンジジュース程度の弱酸性の液体に25分浸します。さらに数日間培養すれば出来ると言います。デイリー教授はすぐに再現実験を始めたものの、うまくいきませんでした。そこで論文の著者の一人チャールズ・バカンティ教授に共同研究を申し込みました。STAP細胞を作るコツを教わるためです。しかしバカンティ教授の研究室で実験を繰り返したものの、これまで1度も成功していません。デイリー教授によると細胞が緑に光る現象は確認されているものの、それは細胞が死ぬ直前に起きる現象だと考えていると言います。論文への疑問が指摘されて以降、日本でもSTAP細胞があるのか調べ続けている人たちがいます。その一人がキメラマウスを生み出した若山照彦さん自身です。研究室にはSTAP細胞だとして小保方晴子さんに渡され培養した細胞が残されていました。この細胞の遺伝子を解析してみると若山さんにとって予想外の結果が。STAP細胞の作成には若山さんが飼育していたマウスが使用されていたはずなのに、細胞は若山さんが飼育していたマウスの遺伝子とは一致しませんでした。細胞の由来を探る手がかりを別の研究者が掴んでいました。理化学研究所の遠藤高帆(えんどうたかほ)上級研究員です。公開されていたSTAP細胞に関する膨大な遺伝子の情報を3ヶ月以上かけて解析。その結果、若山照彦さんが小保方晴子さんから渡されたという細胞にはアクロシンGFPという特殊な遺伝子が組み込まれていることが分かったのです。アクロシンGFPは精子で発現している遺伝子で、STAP細胞の研究には全く必要のないものです。遠藤さんから解析結果を知らされた若山さんはアクロシンGFPが組み込まれたマウスに心当たりがありました。若山研究室ではアクロンシンGFPが組み込まれたマウスからES細胞を作り保管していたのです。つまり小保方晴子さんから受け取った細胞にES細胞が混入していたのではないかと考えられるのです。ES細胞が入っていればキメラマウスは簡単に出来てしまいます。若山照彦さんは自らの実験の過程でES細胞が混入する可能性がなかったか繰り返し調べましたが思い当たらなかったと言います。一方、小保方晴子さんもES細胞が混入した可能性を否定しています。ところがES細胞をめぐってある事実が浮かび上がってきました。小保方晴子さんの研究室が使う冷凍庫からES細胞が見つかったのです。これは若山研究室にいた留学生が作ったものでした。これまで小保方晴子さんは実験用のES細胞を保存しているとした上で、若山研究室から譲与されたと説明してきました。ところが、ES細胞が小保方晴子さんのもとにあるのは不可解だとする指摘が出ています。これは別の研究で解析中のもので去年、若山研究室が山梨大学に移ったさい山梨大学に持っていくことになっていたからです。なぜこのES細胞が小保方晴子さんの研究室が使う冷凍庫から見つかったのでしょうか?
理研CDBは小保方晴子さんを手厚くサポートし世界一流の科学雑誌への論文掲載を実現させました。小保方晴子さんはサポート受ける前、科学雑誌に掲載を拒否されています。最初に論文を投稿したのは2012年4月。その後も別の雑誌に2回投稿。いずれも掲載されることはありませんでした。審査を行った専門家からは「全体的にプレゼンテーションのレベルが低い」「データの大部分の分析が不完全で説明が不十分」「ES細胞が混ざっているのではないか」など厳しい指摘が相次ぎました。ところが2013年3月に「ネイチャー」に投稿された論文ではその評価が一変。その背景には論文執筆の天才とも言われる理化学研究所CDB副センター長の笹井芳樹(ささいよしき)さんの存在がありました。笹井芳樹さんは山中伸弥教授のiPS細胞が登場するまで日本の再生医療研究のトップに立つ人物とも言われていました。交渉力にも優れCDB全体の予算獲得を担っていました。CDBはSTAP細胞が将来大きなプロジェクトになると期待し論文掲載の実現を笹井芳樹さんに託すことにしました。論文作成は主に笹井芳樹さんと小保方晴子さんの2人で進められていました。笹井芳樹さんは小保方晴子さんに画像やグラフの作成を次々と指示。小保方晴子さんが最初に投稿した論文に比べると、その数は40近くも増えていました。そして2014年1月、論文が「ネイチャー」に掲載されたさい記者会見の広報戦略を担ったのも笹井芳樹さんでした。