岩手県知事選は、民主、維新、共産、生活の野党が支援する現職の達増拓也氏が、無投票で3選を果たした。

 平成に入り、知事が無投票で選ばれたのは5例目だ。

 もともと、自民、公明両県連が支援する元復興相の平野達男参院議員との一騎打ちが予想されていた。ところが平野氏は告示2週間前になって「国の安全保障のあり方が最重要課題へと浮上し、県政のあり方は論点になりづらい状況が生じてきた」として、立候補を断念した。

 背景には、知事選と、平野氏の辞任に伴う参院補選で連敗すれば、安全保障関連法案をめぐり支持率が低落傾向にある安倍政権にとって大きな痛手になりかねない、ならば「不戦敗」の方がよいという自民党の判断があったようだ。

 地方は、地方それぞれの事情を抱えている。政党が国政の対立構図をそのまま持ち込み、知事選をたたかうことが必ずしもよいとは言い切れない。

 しかし選挙は、単に勝敗を決めるだけではない。有権者が候補の主張に耳を傾け、よりよいと思った候補に一票を投じる行為を通じ、自分たちの暮らしと政治について考える機会を提供する大事な役割を担っている。選挙での論戦が地方行政に緊張感をもたらす効果もある。

 東日本大震災の被災地である岩手県では、復興の進め方など多くの争点がある。複数の候補が議論をたたかわせ、有権者の判断を仰ぐ方が望ましかった。

 その意味で、国政で1強を誇る自民党が、敗北を恐れて選挙を避けた責任は大きい。政党が目先の党利にしか関心を払わなければ、地方自治や民主主義はやせ細るばかりだ。

 それにしても、昨今の地方選挙の低調ぶりは深刻である。

 今月9日の埼玉県知事選の投票率は26・63%。戦後の全国の知事選で3番目の低さだった。今春の統一地方選では、10道県知事選の平均投票率は47・14%で戦後最低を記録。41道府県議選は全選挙区の3割超が無投票当選だった。

 一方で、選挙が行われても、与野党相乗りの「無風選挙」となる知事選も相次ぐ。

 選ぶ側と選ばれる側の両方で進む「選挙離れ」の悪循環を、どうすれば断ち切れるか。一朝一夕に答えが見いだせる問題ではもちろんない。

 ただ少なくとも、政党が有権者に選択肢を示す責任を放棄しているようでは、再生に向けた一歩すらおぼつかない。

 政党として何をなすべきか、真剣に考えるべきときだ。