聞き手・吉川一樹、高重治香
2015年8月20日20時33分
「ゲンロンカフェ」を運営するなど在野で言論活動を続けている思想家の東浩紀さんに、大学における文系のあり方や人文知の未来について聞いた。
◇
――文部科学省が国立大学に対し、人文社会科学系学部の廃止・転換を検討するよう求めました。議論が起きましたが、どう考えますか。
文科省の通知は良くないことだと思います。けれども、遅かれ早かれこういう時代になるだろうなと思っていたので、驚きはありませんでした。
――(人文社会科学系学部が)社会の要請に応えられないことが大きいのでしょうか。
この国において、大学とは明治期に輸入された歴史の浅い制度です。ヨーロッパに追いつくため、産業振興を後ろから支えるために大学を作った。そういう前提がある限り、文系不要論が出てこざるを得ない。
ヨーロッパの場合、キリスト教と結びついた神学があり、リベラルアーツの伝統が長くあって、そこから大学の哲学部が生まれ、人文知が育ってきた。いわば、日本における寺みたいなものとして大学がある。
人文知は、こういう知識を持っていたらこういう利益がありますよ、こんなふうに成功しますよという形の実学志向の教育とは、原理的にそぐわないものです。けれど、人間の文化のなかには、そのような実学の発想とは異なったものがたくさんある。たとえば趣味がそうです。宗教もそうですね。人文知は、趣味のひとつとして生き残ればいいし、本質的にそういうものだと思う。
――在野で人文知を伝える株式会社ゲンロンやゲンロンカフェの意義とは。
日本では江戸期からすごく豊かな出版文化があって、人文知はむしろそちらが担ってきた。在野というか草の根のいわゆるコミュニケーションネットワークにこそ人文知が育つ土壌があると思うので、僕としてはそれを受け継いでいると思っています。
――教養がビジネスの場面で生きると思ってる人もいると思いますが。
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