NNNドキュメント「海の記憶 父からの手紙」 2015.08.17


日本から遠く離れた海の中
70年以上前ここは戦場でした
今も残る太平洋戦争の爪痕
次々と民間の輸送船が沈みました
そこは大事な人が命を落とした場所でした
3歳で父親を亡くした男性
戦時中に父が書いていた手紙を見つけました
(松岡さん)で父というのがホントにあの…どこかね遠い所に…。
「父を知りたい」そう願った今年父が眠る海へ向かいました
時が止まった海の中へ…
「会いたい」その姿を求めて海の記憶をたどりました
(鈴の音)
ここに父の遺骨はありません
父は遠い太平洋トラック諸島の海に眠っています
松岡さんの父忠三郎さんは71年前軍人として輸送船愛国丸に乗ったままアメリカ軍の空襲で海へと沈められました
それは松岡さんが3歳の時でした
父の記憶はありません
その父が戦地から送り続けていたものが母の遺品から見つかりました
(松岡さん)これに実は手紙がたくさん入ってまして。
昭和16年の9月から18年の5月。
父が戦地から母宛てにまぁ結構2年足らずの間に50通ありましたけどね。
軍事郵便で届いていた50通の手紙
戦地から父は母に手紙を書き続けていました
しかし松岡さんは最近まで手に取ることすらありませんでした
非常に読みづらいです昔の字ですから。
まさか私がね父の倍ぐらいの年齢になってこれを本当に一生懸命読むとは思いませんでしたけども。
営業ひと筋
時は高度経済成長
家庭を顧みる余裕もなく父親を知ろうとも思いませんでした
変わったのは3年前
仕事を辞めてからでした
(松岡さん)これが父ですね父と母結婚直後の写真ですね。
父が戦地に赴いたのは結婚して2年
松岡さんが生まれて2か月のことでした
日中戦争の中中国長江近くで港湾警備の任務に就きました
その父が妻に向けて書いていた手紙
そこには息子である松岡さんのことばかり書かれていました
「今日か今日かと待っていた俊坊の写真が今朝届いた。
元気そうな顔を見て元気百倍になった」
どの手紙にも「俊坊」の文字
息子の成長を楽しみにしていました
「首もしっかりしたらしく見える。
よく太っている事こんなに嬉しい事はない」
「お正月もあと1週間ばかり。
俊郎はぼつぼつ横這いをやり出すようになることだろう」
その後も歯が生えれば大喜び
松岡さんが70年以上たって初めて触れた父の愛情でした
父親を知らずに育った松岡さん
周りにも父親のいない子供がたくさんいました
母が女手ひとつで育ててくれました
戦地にいながら息子である自分のことばかり考えていた父
一方で自分は仕事ばかり
娘達とも話さない不器用な親父でした
父にはかないませんでした
(松岡さん)「大東亜戦争勃発で銃後の緊張は非常なものと思う」。
「小生は至極元気で一生懸命に働いているから安心されたし。
俊郎は元気で意地悪坊ずらしいが結構至極だ」。
「イタズラをしたがる事と思うが余り叱らないように。
余りにヤカマシク子供に言うのは良くないように思われるから」
戦地で戦う父にとって息子は生きる希望でした
穏やかだった母
何も言わず息子の近況を送り続け夫を支えました
まぁしつけの心配をしたりホントはそばでやりたかったことをできないから手紙に託した。
でいつの日か帰って自分でそういうことをしよう。
それができずに死んで行く。
まぁ無念以外にないと思うんですね。
父は桜など日本に思いをはせることもありました
戦争の激しさとは裏腹に父の手紙には平和な日常があふれていました
遠く離れた家族への思い
ハァ…。
父に会いたいと思うようになりました
父から届いていた手紙は突然途切れていました
最後は1943年9月1枚のはがき
差出人の住所は愛国丸
トラック諸島へ向かう直前に出されていました
「元気で勤めているから何とぞ安心してくれ」
5か月後父は帰らぬ人となりました
36歳でした
70年以上の歳月を経て父がいた場所を訪れることにしました
世界有数のサンゴ礁が広がる…
人口5万人余りのこの地域を日本が統治していたのは70年以上前のこと
今は水産業や観光農業が主な産業です
島での生活を支えるお店には今も日本の名残があるといいます
キュウリキュウリ。
・Onemore・フフフ…。
マメマメ。
日本語が残っていました
日本から3500km
トラック諸島は太平洋のほぼ中央に位置することから日本の重要な拠点となりました
島には日本語で名前が付けられました
今も残る当時建てられた小学校
トラック諸島を含む南洋群島一帯には…
…トラック諸島
料亭もありました
しかし1944年2月アメリカ軍は空から攻撃を仕掛けました
いわゆるトラック大空襲です
航空機や建物は燃え日本の船は次々と沈められました
2日間の空襲で沈んだ船は40隻余りに上りました
70年以上前戦場だった海は今世界中からダイバー達が訪れます
目当ては戦時中トラック諸島周辺に沈んだ80隻以上の日本の船です
その海の中へ取材班が向かいました
・カメラカメラ行くよ・・はい・
潜るとすぐに見えたのは…
(リポーター)あっ姿が見えて来ました。
大きな船が海底に横たわっています。
水深10m
目に飛び込んで来た大きな船体
全長134m
ダイバー達に最も人気がある富士川丸です

今はサンゴと魚がすむ富士川丸

70年以上前船員達が歩いた廊下です
船の中を見ますとこうして生活の跡が今もまざまざと残されています。
若い兵士や船員達が暮らした跡が今もくっきりと残っています。
70年以上たっても残る洗面台やトイレ
富士川丸は海軍が動員した民間の輸送船でした
いわゆる軍の徴用船
戦時中軍は武器や物資兵士を運ぶため民間の輸送船を強制的に動員しました
水深40mの海底
爆発で船の底に開いた穴
奥へ進むと富士川丸の積み荷が見えて来ました
日本海軍の航空機二式飛行艇
そしてゼロ戦
富士川丸は航空機を最前線へと運んでいました
民間の輸送船は日本のいわば動脈
アメリカはそこに狙いを定めたのです
大きく傾いた日豊丸
トラック諸島の海底45mに沈んだ船はサンゴと魚のすみかになりました
見えて来たのは船を操る操舵室
日豊丸もまた海軍に徴用された民間の輸送船でした
無数の魚が泳ぐ甲板
その先に岩のように固まった戦車が
これもまた最前線へと運ばれるはずでした
横に倒れたままの五星丸
この輸送船にも積み荷が残されています
それは燃料を入れるドラム缶
燃料が運ばれなくなると日本軍は身動きがとれなくなりました
水深40m
輸送船山霧丸には今もあるものが眠っています
船の奥へと向かうと…
見えて来たのは大きな砲弾
戦艦が使うものだったとみられています

しかし戦艦大和や武蔵などの主力部隊は事前に空襲を察知して避難
あの日民間の輸送船ばかりが取り残されました
そして次々と沈められて行きました

海軍の最新型攻撃機天山
輸送船を失うとこうした兵器や物資を運ぶことができず日本は一気に敗戦へと向かいました
軍が徴用した輸送船に乗っていたのは軍人ばかりではありませんでした
13歳の時に終戦を向かえました
叔父の晴山武次郎さんは船会社に就職した民間の船員でした
兄のように慕っていた叔父
誰からも好かれる人で海が大好きでした
亡くなった日のことを今でもよく覚えています
(田子さん)新聞にねトラック島のことが出てよく「我が方の損害」って出るんですよ。
「我が方の損害輸送船13隻」って出たんです。
新聞にね。
きっとこの13隻の中にね叔父さんの船も入ってるんだろうとそういうふうに思いましたね。
武次郎さんが乗っていた伯耆丸は今もトラック諸島の海に眠っています
民間船員24人が戦死した輸送船
武次郎さんは機関士として乗っていました
攻撃された後機関長を捜しに出掛け行方が分からなくなりました
70年たってもホントにう〜ん…変わりませんね。
(田子さん)叔父さんばっかりじゃなくて…。
(田子さん)ホントに…。
愚かな戦争をしたっていうこととねそれからこれから平和であってほしいっていうそれはもう変わりませんね。
うんそうだったね。
そういう人だったんですね。
一面サンゴに覆われた神国丸はあの真珠湾攻撃にも参加していました
トラック大空襲の日に沈みました
甲板に何かを見つけました
「小医療箱」の文字
薬箱です
船の奥へと進むとかつて船員達が暮らした跡がありました
白いタイルのお風呂です
この船で民間の船員を含む…
薄暗いエンジンルーム
戦時中沈められた民間の船は全海域に及びました
その数は7000隻以上に上りました
インドネシア沖で沈没した船から生き残った男性がいます
(前田さん)私これです「前田」って…。
・随分若いですよね?みんな・
15歳で船員養成所へ
船に乗りたいと夢見ていた少年達はすぐに戦地へと送り込まれました
戦争が激しくなると…
前田さんの乗った日鐵丸はアメリカの魚雷攻撃で沈みました
(前田さん)1発はド〜ンと当たってその…。
魚雷当たってグオ〜って大きな音してね2回目食らった時にエンジンがグオ〜っと…。
みんな。
だからみんな船から離れよう離れようっていうわけでねみんな手でこいでこう…こいでみんなね離れよった。
暗い海に放り出され船が沈むのを見ていました
何時間も泳ぎ通り掛かった船に救助されました
今年6月
前田さんは片道5時間以上かけて仲間の追悼に出掛けました
・黙とう・
毎年夏神奈川県で行われる民間船員のための追悼式
今年は両陛下も花を手向けられました
出席者は年々高齢になって行きます
前田さんは仲間が眠る海に今年も誓いました
彼らの分まで生きるということを
またこれでね気持ち良く生きられます。
みんなのおかげでね。
感謝の気持ちと同時にね…。
そう思ったら感謝の気持ちで元気出ますよ。
ねっ人一倍世のため人のためにやりたくなるんです。
それ思うたらね。
トラック諸島を訪れた松岡さん
亡くなった父の手掛かりを探していました
70年以上前の空襲で破壊された建物
激しい戦闘の中で父は何を感じたのだろうか?
日本兵が歌っていたという歌を島の女性が聴かせてくれました
♪〜♪〜何も出来ません♪〜頭が痛い♪〜お腹が大変…
息子と同じ年頃の子供達を見ながら無念の思いを抱えて父は何を伝えたかったのか?
松岡さんは父が眠る海を前に自問自答していました
トラック大空襲から71年
島で語り継がれる恐ろしい光景があります
戦後沈没した船を調べて行く中で現地で悲運の船といわれる1隻の船があります
それは松岡さんの父親が乗っていた愛国丸
全長169mの豪華客船で美しい曲線が特徴でした
しかし竣工翌日海軍に徴用されてしまいます
そして2年後
これは当時アメリカが伝えていた攻撃の様子
(爆発音)
(機銃音)
その時…
愛国丸は740人以上を乗せて沈没
爆薬を積んでいたため大きな爆発とともに前半分を失い2分で沈みました
その愛国丸の近くへ行くことを決めた松岡さん
71年前父が母へ送り続けていた手紙には息子である自分のことばかり書かれていました
自分は父の期待通りに生きて来たのか?
できれば父に一度叱られてみたかった
翌朝海へ出掛ける準備をする松岡さん
(松岡さん)実はねこれをお供え持って来ました。
(松岡さん)これが岡山の酒です。
ちょっと一緒に飲みたいのでね。
飲んべえの父親っていうのは絶対に息子が大きくなったら一緒に飲みたいって思うはずですから。
今日はかなえてあげますそれを。
あとはするめとそれからキャラメルとたばこです。
平和ということもあってピースにしました。
でこれ私一番持って来たかったもので…。
その手紙の中に書いてありまして。
そういうくだりがありましてこれはぜひキャラメルは持って来たいなと。
「配給でもらったキャラメル涙が出るほど嬉しかった」
(松岡さん)これがまぁ今住んでる家の全景ですね。
でこれが今わが家に住んでる娘2人と女房と孫です。
おかげで元気で家族と一緒に平和に暮らしてますよと。
その姿を見てくださいと。
まぁこれ祖母ですけども…。
戦地へと送り出した祖母の写真
そして…
(松岡さん)本当にちょうど…。
身を削るような思いをして私を守って大きくしてくれたと。
愛国丸が沈んだ場所へ向かう途中見えて来たのは当時トラック富士と呼ばれた山
(松岡さん)みんなこれを見たんじゃないかなという印象はありますね。
そして到着
70m下に父は眠っています
(松岡さんの声)どこかねあの遠い存在だったんですよ。
何かそれが70年たった今…。
…っていうんですか。
(松岡さん)地元のお酒です。
岡山のお酒ですよ。
父と飲みたかったお酒
これ飲んで。
そして松岡さんは海に溶ける物を選んで父に届けてほしいと地元のダイバーへ託しました
水深70mの海底に沈んだ愛国丸
ようやく見えて来ました
これが愛国丸です
甲板へと通じる廊下です

丸みを帯びた壁が見えて来ました
客船として就航するはずだった愛国丸の証しです

部屋の中には瓶が散乱していました

そして洗面台とお風呂

たった2分で沈んだといわれる愛国丸
740人以上が亡くなりました
父がいた場所
愛国丸の映像を松岡さんに見てもらいました
(松岡さんの声)ああいう部屋の中でまぁうちの父だけではないですけれどももがき苦しみながら死んで行ったんだなと思うと…。
どうにもなりませんね。
(松岡さんの声)でもこれをみんなで飲みながら愉快に騒いだ時もあった…と思いたいですね。
家族と離れて…。

(はなをすする音)
そして松岡さんが父に届けたかったもの
甲板にそっと置いたのは父が喜んだキャラメル

一緒に食べたかったするめ

大好きだったたばこも

最後に写真を

「お父さん息子はこんなに大きくなりました。
家族もいますよ」

そして会わせたかった母

そこに1匹のツバメウオがやって来ました
写真へ近づきます

(松岡さんの声)母の顔が何かホント笑ってるみたい。
私は父に叱られたことがありませんからやはりね日頃の生活を振り返ってみて父がやりたくてできなかったことを私もあと何年生きるか分かりませんけども目いっぱいやらなくちゃいかんやろうと。
だと思いますよ。
71年たってやっと叱ってくれたんですよ。
息子と父の初めての会話でした
7月松岡さんは妻と孫の鈴さんと父のお墓を訪れました
(松岡さん)よし。
(松岡さん)あの愛国丸で死んだねっおじいちゃんのお父さん。
その人にも感謝しながら拝んでほしいんだな。
その人達がいたから今鈴もいるしおじいちゃんもいる。
父が送りたかった家族との平和な毎日
「残りの人生家族をもっと大切にしよう」
そう心に決めました
この夏もう一度父から母へ送られた手紙を読み返していました
海が届けた70年以上前の記憶
大事な人達からの伝言を海は今も伝え続けています
国は原発が1つもない時から知っていた
原発事故は国家予算規模の損害を出すと
さらに国が隠したもう一つのマル秘とは?
反対の声が多い中再稼働が始まった
2015/08/17(月) 00:55〜01:50
読売テレビ1
NNNドキュメント「海の記憶 父からの手紙」[字]

太平洋に浮かぶトラック諸島。71年前、「日本海軍の拠点」米軍空襲で日本の輸送船数十隻が沈みました。「父を知りたい」と遺族が現地へ。「海の記憶」が語るのは?

詳細情報
番組内容
太平洋に浮かぶトラック諸島。71年前、「日本海軍の拠点」への米軍の攻撃で日本の輸送船数十隻が一瞬にして沈みました。大半は軍に徴用された民間の輸送船でした。最も多くの犠牲者を出した「愛国丸」も豪華客船として施工されました。なぜ若い命が奪われたのか。愛国丸の遺族は「戦地の父から母へ送られた50通の手紙」を手にします。そして「父を知ろう」と現地へと向かいました。「海の記憶」が静かに訴えることとは?
出演者
【ナレーター】
小山茉美
制作
日本テレビ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
ステレオ
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