原料を変えるだけでバリエーションがすごい変わるんですね。
世界にはもっとユニークなビールがたくさんあります。
次回は個性的なビールをご紹介したいと思います。
新年最初の営業日でございます。
今年も「やる気」に満ち満ちて励んでいきたいと思っています。
ちょっとやめるなんて言わないでほんとにねもう。
人助けだと思ってちょっとだけでも。
もう悪いとこあったら直すから。
ちょっと…あ〜。
あ〜またか。
いや〜もうこれで3人目だよもう。
やる気が出ないからやめますってこの言いぐさはないんじゃないかな。
人望がない?またひどい事言うね君は。
どうも!恵さんじゃないですか!どうしたの?大将そんな暗い顔しちゃって。
いやあねもうちょっと聞いて下さいよもう。
聞いてましたよ。
アハハハハ。
アルバイトをねこの店でも雇おうと思ってるんですよ。
でもねやる気が出ないってねもう3人ですよ。
3人はちょっと続いちゃってるよね大将ね。
でもね恵さんといえば司会でね出演者のやる気を引き出す名人じゃないですか。
うまいな大将。
お客さんにはうまいね。
コツがあるんだったら教えてほしいんですよ。
褒める。
とにかくいいところしか言わないんですよ。
「うわ今日の洋服いいですね」とか「うわ髪形」とか。
「うわ今のそんなところなかなか人気遣わないですよね」とか。
絶対褒めた方がうそでも人は喜ぶんじゃないかな。
うれしいものうん。
そんな恵さんの話もたくさんお伺いしていきたいんですけど先人の知恵からやる気を引き出すコツっていうのを味わって頂きたいと思ってるんですよ。
皆さん御飯ですよ〜。
・お〜!いよいよスタートした…幕末・維新で活躍する若者を育てた吉田松陰の妹・文の物語です。
今宵はその吉田松陰の教育者としての知恵に迫ります。
幕末黒船が来航し日本は200年以上続いたいわゆる鎖国から開国へとかじを切りました。
激動の時代が幕を開けたのです。
そんな中伊藤博文や山県有朋など後の明治維新を担う若者を輩出したのが吉田松陰の松下村塾でした。
しかし塾生は…プライドが高く頑固な…理屈を並べ反抗的な…まさに十人十色の若者たち。
松陰はそれぞれの個性を見極め競争心をあおったり手取り足取り指導したりしながらやる気を引き出していきました。
いつの時代にも求められるモチベーションアップの方法論を吉田松陰に学びます。
私あの…鹿児島なんですよ。
はいはい。
薩摩なんですよ。
相手は長州。
もちろんライバル心もありますよ。
でもジェラシーもあって。
松下村塾。
やっぱり育てた人材を。
その熱い思いを受け継いでいる徳重さんという方今日お招きしてるんですけど山口県出身長州出身の…。
いらっしゃいました。
こんばんは。
おじゃまします。
よろしくお願いします。
よくぞいらっしゃいました。
この居酒屋にバイクでいらっしゃった。
でも安心して下さい。
私代行して運転していきます。
たっぷりと飲んでいって下さい。
ありがとうございます。
松陰の知恵を読み解くのは2010年に電動バイクのメーカーを立ち上げた徳重徹さん。
会社設立から瞬く間に国内シェアトップを獲得した注目を集めるベンチャー起業家です。
現在力を入れているのはベトナムやインドなどバイクの需要が高いアジアへの進出。
海外にいる若い駐在員たちを育成しながら市場開拓を進めています。
うちはほんとに若い社員が多くて20代の社員も多いんですね。
ベンチャー企業なんだけど最初から世界市場という事でベトナムインドバングラデシュと。
やる気を引き出す。
そうなんですよ。
という事で今回はこちら。
吉田松陰に学ぶ「やる気の引き出し方」という事をテーマにさせて頂きたいと思います。
まあ大将。
吉田松陰は文政13年の1830年長州藩の下級武士杉家の次男として誕生しました。
家督を継ぐ事になります。
そこからは猛勉強の毎日。
叔父たちの厳しい指導の下中国の古典から軍学まで学びます。
そして…長州の兵学を担う重責を負ったのです。
そのころアジアは激動の時代を迎えていました。
清とイギリスとの間でアヘン戦争が勃発。
戦いに敗れた清は不平等条約を結ばされ…そして嘉永6年アメリカの黒船が日本に来航。
開国を迫ります。
翌年江戸幕府は…下田と箱館の開港を約束しついに開国へと踏み出したのです。
この時松陰は大胆な行動に出ます。
なんと幕府が禁じていた海外密航を企てたのです。
目的地はアメリカ。
日本が西洋に対抗していくためには海外の進んだ文明を学ぶしかないと考えたのです。
しかし計画は失敗。
国禁を犯した松陰は萩に送り返され牢につながれてしまいます。
ところが松陰はここで…当時獄には武士やその家族など11人の囚人がいました。
書道が得意。
でも性格が荒々しい男。
俳諧に通じた寺子屋の元先生。
不倫の疑いをかけられた武家の元妻。
皆希望を失っていました。
そこにやって来たのが松陰です。
囚人たちは国禁を犯した兵学者に興味を持ちます。
そこで松陰は囚人たちに時事問題について話を始めました。
まずは中国の古典からある一節を引きます。
それは仁義よりも目先の利益を追い求める国の姿を批判したものでした。
そこから松陰は当時の幕府の外交のやり方に巧みに引き付けていきます。
松陰流の授業に囚人たちは引き付けられ牢番も耳を傾けるようになります。
そこで松陰はある提案をします。
みんなで得意な事を教え合おうというのです。
するとあの荒くれ者だった囚人が書道を教え寺子屋の元先生も俳諧を教えるようになります。
お互いの長所を生かした教え合いで獄が活気づきました。
松陰は一度希望を失った人からでもやる気を引き出す事に成功したのです。
やっぱあれですかね。
褒め上手だったんですかね?あっさっきの話だ。
いわゆる牢屋にいる人たちといえばやる気がなかったりとかひねくれてたりとか問題あったりする人たちでしょう。
そこに入って引き出していくわけでしょう。
「あんた絵がうまいんだね」とかそういうのをその逆境の中でも。
すごいですよね。
人をうまく観察していくみたいな。
この人はこういう人だみたいな。
あっ!ようこそいらっしゃいました。
松陰研究ならこの方という先生でございます。
海原徹先生でいらっしゃいます。
先生!松陰の教育法から塾生たちの人生まで幅広く研究されています。
囚人たちの長所を引き出し牢獄をあたかも学校のように変えた。
この手腕はどういうふうにご覧になりますか?この人もともと人が好きでどんな人も分け隔てなく教えてますけどねあるいは学ばせてますけども…いい人?怒んないんですか?怒るの?この人。
非常に情熱的なとこもありますからね。
感情を表に出す人?うわ〜コントじゃないですかそれ。
侍が泣くというのは恥ですからね。
だから泣く場所がなかったから泣きたいやつみんな集まれと。
お前もお前も泣きたいのか?泣こう!よし!行きたいそれ。
社長も作った方がいいんじゃないですか?徳重さんはどうでしょう?長所を伸ばして人をやる気にさせるこの松陰の知恵は。
自分の型というのがあってそれを押しつけてたようなとこがあるんですけどそこで失敗した事がありまして。
とにかくやっぱり行動してみろというかやってみろというのがあって。
やっぱりきちんとした人はすごく丁寧に考えるのでどうしても遅れてしまったりとかですね。
声を荒げてみたいな時もある?まあ私も情熱的な方なのでそういうところもありますし。
ただやっぱりフォローはねしなきゃいけない。
何だお前は!そこまでのところはないですけど。
この野郎!この松陰なんですけれども出獄が許されましていよいよ松下村塾を開くという事になるわけですね。
塾生たちをどのように育てていったんでしょうか。
そのやる気を引き出していった松陰の知恵を味わって頂きたいと思います。
(栓を抜く音)いい音だな大将。
辛口なお酒だと思いますよ。
萩での1年余りの牢獄生活のあと出獄が許された松陰。
次第に講義を聞きたいという若者が増えていきそこで開いたのが…8畳の部屋に10畳半の部屋が増築された平屋の建物。
松陰はここに寝泊まりし塾生たちを指導しました。
その授業の様子を記したものが残されています。
彼の生涯を絵で伝えてくれてるというのは実はこれがほぼ唯一だと言ってもいいかなと思います。
非常に貴重なものになります。
松陰の生涯を15枚の絵でつづっています。
塾生の記憶を頼りに大正の終わりに描かれました。
松下村塾の授業を描いたのがこちらの絵です。
ある時松陰に1通の手紙が届きます。
差出人は…萩きっての秀才として知られ後に攘夷運動の中心に立つ人物です。
手紙の内容は幕府の外交を厳しく批判したものでした。
挑戦的な手紙を送りつけてきた玄瑞。
松陰は燃え盛るこの若者にどう答えるのでしょうか。
玄瑞の手紙に松陰は返事をしたためます。
松陰は真っ向から玄瑞を否定。
それに対して玄瑞は…。
怒る玄瑞。
ここに松陰のねらいがありました。
意見の応酬をしながら物事を深く見るようにいざなった松陰。
その後玄瑞はその力に磨きをかけ…松陰は火に油の作戦でこの塾生のやる気も引き出しました。
民衆を組織した「奇兵隊」を作り後の討幕運動を担った人物です。
入塾した時晋作は19歳でした。
晋作は勉強ができないうえ頑固な人物だったのです。
そこで松陰が目を付けたのが頭角を現していた玄瑞でした。
どんな手段をとったのかというと…晋作の前でわざと玄瑞を褒めたのです。
自意識が高い人物にはやっぱりこの手は効きますか。
頑固な性格を頭ごなしに直そうとしても反発するだけ。
松陰は晋作が心の内側からやる気を湧き立たせるようあえて玄瑞を持ち上げ競争心をあおったのです。
晋作はやがて松陰を頻繁に訪ねるようになります。
松陰に学び自分自身に磨きをかけていったのです。
そうですね。
お互い若さもあるんでしょうし久坂玄瑞さんもね何らかの形で吉田松陰ってすごい人がいるぞと。
その人に自分の考え方をぶつけてやれと。
そういうのをこううまく受け止めて「こうきたらどうするの?こうきたらどう返すの?」ってどんどんどんどんあおって。
そういう事ですね。
あえて高い壁になってみて。
乗り越えられるの?ここをという。
ますます勉強するようにしむけていく。
一方の高杉晋作なんですがこれはどういう人物だった?でもプライドが非常に高い。
だから「高杉」なんですか?アハハハハ!やんちゃなんです。
…でいいとこの子ですからね。
そうするとムッとするんです。
ただ経験は違うので「こうだよ」と言ってるじゃないですか。
私もちょっと考えてですね四半期ごとに…気持ちが。
なので「お前あの時こう言ったけどこれはこうだよね」とか言ったらその時であれば非常に素直に聞き入れるんですね。
その高杉晋作に送った文章というのがありましてねこれが復元したものなんですけれども。
ちょっとお手元で実際にご覧になってみて下さい。
恵さんもどうぞこちら。
これは松陰が江戸に遊学する晋作に送った激励文です。
塾にいる間に晋作の学力が伸び塾生みんながその意見に耳を傾けるようになったと松陰が称賛しています。
そして玄瑞と力を合わせればできない事は何もないとライバルの大切さも伝えています。
私が気になってるのはここなんですよ。
「暢夫往け」。
これはね格好よくないですか。
最後にひと言。
短い言葉でね。
玄瑞が半年前に行った時に「玄瑞行け」と。
それで半年後に「晋作行け」と。
もうちょっと同じ頃に行く人がおるんですけど入江杉蔵という人が。
「杉蔵行け」と言った。
この3人には非常に期待しとるんですね。
他の人にもいろんな激励文は書いとるんですけど「行け」ではない。
俺「行け」って書いてないよ。
噂にならないんですか。
そんな名言「行け」と言われると背中を押されたような感じするじゃないですか。
俺「行け」がないけど行かなくていいのかなあ。
ライバル関係を作って競わせるという事がありましたけれども徳重さんご自身はどうでしょうか?海外のやつはSkypeで入ってくるんですけども…みんながここの国だったらこうだよとその知恵を他の国で使えないかみたいなのを2時間ぐらいかけてディスカッションするんですけど。
その時にですね…俺だってできるだろうみたいな。
それで今…やっぱりやる気を引き出すうえで孤立させないというんですかね一人じゃないというふうに思ってもらう。
そこは非常に大事だと思いますね。
俺はやっぱりみんなのために頑張ってるんだとか俺のパートがちょっと不十分であれば…高杉や久坂玄瑞というのは松下村塾の双璧と言われるような非常に優秀な人だった。
ただグループがあるとそうじゃない人たちもいっぱいいますよね。
そういった人たちにどういうふうにやる気を出させるのか松陰はねそこも考えてるんですね。
さまざまな人にやる気を出させる知恵味わって頂きたいと思います。
いい音だ。
これはねとっても優しい味わいですよ。
松陰が萩で指導したのは2年10か月ほど。
その間90名を超える門下生が教えを受けたと言われています。
初代内閣総理大臣になった伊藤博文も塾生の一人でした。
さぞ優秀な人物だったんでしょう。
松陰先生。
なんと酷評です。
でも…。
松陰は伊藤に周旋という「調整能力の高さ」を見いだしていました。
ところが伊藤は長州藩の中でも極めて下級の足軽の出。
松陰が見いだした調整能力を十分生かすものではありませんでした。
そんな時国内の緊張が高まる出来事が起こります。
安政5年幕府は天皇の許可を得ないまま日米修好通商条約を締結したのです。
更に幕府はこれに反発した思想家たちを次々と弾圧。
情勢は混沌としていきます。
松陰は藩の重臣にある提案をします。
それが「飛耳長目」。
情報収集をすべきだというのです。
これは幕府や朝廷の動きを探るための諜報活動を意味しました。
そこで藩は京都に諜報部隊を派遣します。
その時抜擢されたのが伊藤でした。
その後伊藤は長州藩から正式に藩士として認められます。
そして長州藩が列強と戦った下関戦争の交渉や明治維新後フランス人に傷を負わせた神戸事件など国際問題の仲介に立ち…松下村塾の中で一風変わった塾生がいました。
松下村塾に来た動機を後にこう語っています。
協調性があまりなく人を冷淡に見る面があると松陰は考えていました。
しかし松陰は天野を決して見捨てませんでした。
(吉田)墨汁は度々つけるものではない。
具体的な勉強のしかたから行動を重視する生き方まで丁寧に指導したのです。
(吉田)皆は彼にあまり深く関わろうとしないが僕はそうした彼を愛している。
その後天野は長州藩の武士として禁門の変などに加わっていきます。
放て!
(銃声)しかしある時身を引き海外に渡ってしまいます。
天野はイギリスの大学や造船所でその技術を習得。
帰国した頃時代は明治になっていました。
天野は日本の近代化を造船業で支えていきます。
明治12年には東洋一とうたわれた…そして明治16年天野は長崎造船局の局長に就任しました。
天野は97歳で亡くなるまで松陰の言葉を忘れませんでした。
何となくイメージでこの松下村塾にいて日本幕府を倒し新しい時代をつくるんだと。
奇兵隊とかそのあといろいろ作っていくじゃないですか。
そんな人しかいないと思ってたんですよ。
だから船造ってみようかなとかさすごいなと思って。
普通の人が偉大な事をね。
やられてますよね。
日本で最初に山科トンネルというのを日本人が掘ったんですけどねこれオランダで勉強した飯田という村塾生です。
オランダへ留学して鉄道のテクニック学んで日本へ帰ってきて日本の鉄道のナンバー2までいく人ですけどね。
先生のそういう指導の流れの中で…先生はワンパターンに押しつけてないです。
全員…塾生一人一人に対してあるいは身分にこだわらずにやるのがこの松下村塾他の塾とは決定的に違うのはその点だったんですかね。
この学校にはね…どこの学校でもちょっとサイズが大きくなると時間割り作りますね。
カリキュラム作って。
そっちの方が効率いいですもんね。
そういう効率関係ない。
逆を言えば1対1なんでしょうね。
基本的には1対1です。
今見捨てないという知恵だったんですけども具体的に何かそういうご経験ってありますか?実際うちに来た若いやつで…そしたらまた来まして1週間後に。
3か月やってみたんです。
全然伸びないんです。
僕は成長角度というのをすごく大事にしてまして…その成長角度ゼロの社員の方は今は何かこう会社に貢献はされてるんですか?彼がインドの現場一番よく分かってますから…半額以下。
それじゃないとダメですと言い切ったんですね。
私も行ってみて確かに現場を見るとそこじゃないとダメだなと。
それをマッチする物づくりはどうすべきかという事でまたゼロベースで考え直していったという経緯があるんですよね。
もうだってそれ組み立てが全部変わるじゃないですか。
もう全部。
そんだけね〜。
彼なんか今本当にうちのまだ若手ですけど20代ですけど…何かスイッチ入ったんですか?よく見捨てなかったですね。
ちょっと我慢して使ってたら。
まさに今のね伊藤博文さんとかそういう事でしょう。
待つというのもねすごく大事なんだなと今のお話お伺いして思いましたね。
松陰が塾を開いてから1年後の安政5年過激な政治思想を持ち幕府を批判するようになった松陰は再び獄につながれます。
松陰は江戸で幕府の取り調べを受けます。
結果は死罪。
安政6年10月27日松陰は処刑されました。
享年30。
萩の松陰神社には塾生たちに残した遺書が保管されています。
松陰先生の最後の熱意といいましょうか。
熱い気持ちがこもったものですから私どもも心してこれ永久に伝承して保存していかなきゃならないものでございますのでね。
「留魂録」。
処刑される前日まで書いていたとされています。
「同志よこれをよく考えてほしい」。
次に託すという感じがしますよね。
そうですね。
死してなお受け継がれる情熱ですよね。
それがどう受け継がれるかという事を思ってるんだなと思って。
これで私実際やってみせるという。
総理大臣になっても先生に対して恥ずかしいという。
徳重さんいかがでしょう?自分の背中を見せるそして本気を伝えるというこれはどう考えますか?アジアで日本のベンチャー企業…そうするとやっぱり去っていきますから…今日は吉田松陰の知恵「やる気を引き出す」知恵を見てきましたが恵さんどういうふうに味わって頂きました?参りましたね。
とにかく薩摩藩としては敗北感ですね。
今日は敗北感です。
そんな事はない。
でも一番思っているのは集まれみんなでこの国を変えようって僕は立ち上がった人だと思ってたんですけどそうじゃなかったと。
「は〜い集合」というよりはそれぞれ集まってきて一人一人と話して一人一人を育てたという。
それが一人一人のやる気を促していったという事になるんでしょうかね。
僕も今後の経営に生かしていきたいなと思いますね。
手紙の方もそうですね「行け」っていうやつ。
ねえ。
行くんじゃないですか。
「バングラデシュに行け〜」。
「インドに行け〜」。
それは普通の辞令じゃないですか。
乱発してますからね。
松陰が師範を務めた藩校明倫館。
その跡地に建つ明倫小学校です。
(小学生たち)おはようございます。
松陰の精神を教育の柱にしているこの学校では毎朝松陰の言葉を朗唱しています。
人それぞれの個性を伸ばす事ができるか。
どうすればやる気を引き出せるのか。
松陰はこの大きな問いを私たちに投げかけています。
2015/08/18(火) 22:00〜22:45
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉「やる気を引き出せ!〜幕末の熱血教師 吉田松陰〜」[解][字]
幕末、松下村塾を開いた吉田松陰。教育者としての松陰が重視したのは知識ではなく、塾生たちの「やる気」を育てることだった。明治維新の立役者を育てた松陰の知恵に迫る。
詳細情報
番組内容
幕末の兵学者・吉田松陰。海外密航を企てた罪で自宅に幽閉されてしまうが、その自宅で開いたのが「松下村塾」だった。教育者としての松陰が重視したのは知識や勉強法ではなく、塾生たちの意識を変えて「やる気」を育てることだった。反抗的な態度をとる秀才や、プライドが高い割に学問が進んでいない者、そしてなかなか芽が出ない塾生に、松陰はどのように接したのか?現代企業にも通じる人材育成の知恵を、吉田松陰から学ぶ。
出演者
【出演】恵俊彰,徳重徹,京都大学名誉教授…海原徹,【司会】井上二郎
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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