NHKスペシャル「カラーでみる太平洋戦争〜3年8か月・日本人の記録〜」 2015.08.19


今からおよそ70年前に撮影された映像の中の太平洋戦争。
当時の資料を手がかりに色彩を復元するとフィルムに埋もれていた真実が鮮やかによみがえります。
(号令)例えば突撃作戦に臨む若者たちの映像。
墨汁で迷彩を施し体中に爆弾を装備した隊員の背中で揺れる誰にもらったのかお守りの人形。
NHKは戦後70年の今年太平洋戦争をカラー映像で伝えるプロジェクトに挑みました。
さまざまな分野の専門家の協力を得て色の特定を行い最新のデジタル技術を駆使して現実に限りなく近い色彩を復元しました。
そしてもともとカラーで撮影された映像などを加え太平洋戦争の全貌に迫りました。
映像をカラーで見ると戦場となった場所が深い緑色に覆われた熱帯のジャングルから白銀に包まれた極寒の大地まで広範囲に及んだ事が鮮明になってきます。
色彩が語る戦争の現実。
子どもから大人まで総力戦に直面した日本人の心もようを映し出すさまざまな表情。
太平洋戦争の開戦から敗戦までの3年8か月。
激動の日々を人々はどう生きたのか?当時の人々の思いをつづった言葉とフルカラー映像で描く戦争と日本人の記録です。
日本時間の1941年12月8日未明。
ハワイの沖合で出撃を待つ日本軍。
太平洋戦争の幕開けとなる真珠湾攻撃です。
経済封鎖を強めていたアメリカとの外交交渉が決裂し日本は開戦に踏み切りました。
日本軍の奇襲作戦がアメリカに与えた大きなインパクト。
真珠湾攻撃の映像をカラーで見ると炎と黒煙に包まれた破壊の激しさが生々しく浮かび上がってきました。
冬晴れの12月8日。
ラジオから伝えられた開戦の知らせ。
フィルムに映る人々の表情からはアメリカとの戦争へ後戻りのできない一歩を踏み出した緊迫感が伝わってきます。
作家太宰治の言葉です。
真珠湾攻撃と相前後して日本軍は東南アジアの攻略作戦を開始します。
南方にある石油などの資源獲得がその目的でした。
今では太平洋戦争といわれるこの戦争を当時の日本政府は大東亜戦争と呼ぶ事に決めました。
欧米列強の植民地となっていたアジアの国々を解放し日本を中心とする新たな秩序大東亜共栄圏を作る事が戦争の大義だと唱えたのです。
「シンガポールへシンガポールへ。
将兵等しく夢に描き幻に思う」。
開戦からおよそ2か月。
日本軍はマレー半島を一気に南下していきました。
シンガポールに拠点を置いていたイギリス軍と激闘の末勝利を収めます。
この時日本に伝えられたニュース映画です。
「我が猛攻の前についに屈したイギリス軍は我が軍門に下る。
白旗を掲げた敵将パーシバルは」。
降伏を意味する白い旗と大英帝国の国旗。
そして日本軍の指揮官山下奉文中将が一躍脚光を浴びマレーの虎の異名をとるようになった歴史的な会見の場面です。
実は華々しい勝利の裏側で日本軍には数多くの犠牲者が出ていました。
映像をカラー化すると戦死者の遺骨を入れた白い箱の存在が際立ってきました。
大日本帝国陸海軍万歳!
(一同)万歳!万歳!
(一同)万歳!万歳!
(一同)万歳!開戦から2か月後緒戦の勝利に熱狂する日本人の姿は全国の至る所で撮影されていました。
その一方で戦争の行く末を冷静に見つめている人もいました。
真珠湾への奇襲作戦を立案した連合艦隊司令長官山本五十六の言葉です。
開戦当初日本の国力はアメリカのおよそにすぎませんでした。
程なくアメリカの逆襲が始まります。
太平洋戦争の戦場が初めてカラーフィルムで撮影されたのは開戦からおよそ半年後。
くしくもそれは戦局のターニングポイントと重なるものでした。
ミッドウェー海戦で日本軍は開戦以来初めて惨敗を喫します。
航空母艦や大量の戦闘機を一度に失うなど大打撃を受けました。
しかしミッドウェーの真実が国民へ正確に伝えられる事はありませんでした。
これは1942年の時点で日本軍が進出していたアジア太平洋の地域を示したものです。
太平洋戦争は満州事変日中戦争と日本軍が中国大陸へ侵攻し中国との戦闘状態が長期化する中で始まった戦争でした。
そして太平洋戦争の戦場は北は白銀に覆われた極寒のアリューシャン列島から南は熱帯植物が生い茂る緑の島々にまで広範囲に及びました。
しかし戦線が一気に拡大する中で武器や食糧の補給体制は必ずしも万全ではありませんでした。
将兵たちは過酷な条件とも戦いながら敵との戦闘に備える日々が続いていました。
兵士たちがいる戦場を前線というのに対してそれを支える国内は銃後と呼ばれました。
その銃後の女性たちの重要な役割の一つが前線の兵士へ慰問品を送る事でした。
戦時色の強い国策映画だけでなく銃後の生活を記録した映像をカラー化すると現在の私たちと変わらない日常があった事も分かります。
また全国各地で撮影されたフィルムには後に壊滅する街の貴重な姿も残されています。
広島の映像には戦後原爆ドームと呼ばれる産業奨励館が映っていました。
これは福島で撮影された映像をカラー化したものです。
京都の特産品や風物を記録した映画は前線の兵士を励ますための慰問フィルムとして作られました。
この年福島の部隊が派遣されたのは後に餓死の島ガ島と呼ばれる事になる南太平洋の要衝ガダルカナルでした。
ここで日本軍は開戦以来初めてアメリカの精鋭部隊と本格的な地上戦を繰り広げる事になります。
アメリカ軍が撮影した日本軍の捕虜の映像です。
補給路を断たれたガダルカナルでは飢えと病で命を落とす将兵が続出しました。
半年間に及んだ攻防戦で日本軍は完敗。
しかし戦場の実態が映像で日本に伝えられる事はありませんでした。
軍の統帥機関である大本営は部隊の撤退を転進という言葉に置き換えて国民に伝えました。
前線の兵士たちが生死の境をさまよっていた1943年。
当時の映像を見る限り戦争開始から3年目に入っても銃後では平穏な生活が続いていました。
このころ日本軍が進出していたアジアの国々を紹介するニュース映画です。
そこには大東亜共栄圏の存在をアピールするプロパガンダ映像が並んでいました。
はいよくできました。
しかし1943年の春。
銃後の日本人へ悪い知らせが届き始めます。
まず連合艦隊司令長官山本五十六の戦死の報です。
海軍作戦の最高指揮官の乗った飛行機がアメリカ軍に撃墜されました。
更にはアッツ島で持久戦を続けていた日本軍の守備隊が全滅したというニュース。
玉砕とは玉が砕け散るように潔く死ぬ事。
大本営は部隊を全滅させた事実を直視する事なくむしろ玉砕という美しい言葉に換えて国民に伝えました。
玉砕戦の直後アメリカ軍が撮影したアッツ島の日本兵の現実です。
これ以来持久戦を続ける各地の戦場で玉砕が繰り返されるようになっていきました。
その陰で遺族は複雑な思いを抱えていました。
戦没者の妻の心情をつづった言葉です。
戦局の悪化とともに戦力不足が深刻になる中白羽の矢が立ったのが徴兵を免除されていた学生たちでした。
雨空の下で行われた色のない時代の晴れ舞台。
映像をカラー化してもなお暗く重々しい雰囲気に包まれていました。
天皇陛下万歳!
(一同)万歳!戦争の悲劇は日常生活のすぐ近くにまで忍び寄っていました。
これは1943年東京の上野公園で撮影されたプライベートフィルムをカラー化したものです。
散歩を楽しむ親子のほほ笑ましい光景。
実はこのころ同じ上野の動物園では都知事の命令で猛獣を薬殺したり餓死させたりする処分が行われていました。
象のトンキーの死の直前の様子です。
1944年昭和19年に入ると戦局は一段と厳しさを増していきました。
そして1944年7月。
ついに日本本土そのものが標的となる危機が訪れようとしていました。
日本が絶対国防圏の境界線に定めていたサイパンなどのマリアナ諸島がアメリカ軍に奪われたのです。
それは日本の本土が爆撃機B29の攻撃可能範囲に入る事を意味します。
このまま戦争を続ければ一般市民の犠牲者が出る事は明らかでした。
サイパンの陥落により太平洋戦争を始めた東条内閣は総辞職します。
しかし戦争は終わりませんでした。
B29の空襲に備え全国でさまざまな対策が進められます。
その一つ建物疎開です。
木造家屋が密集している地域では建物が強制的に取り壊され火災が発生した時の延焼を食い止める防火帯が作られました。
学童の集団疎開も始まります。
都市部で暮らす国民学校の子どもたちは親元から引き離されて地方へと送られていきました。
頂きます。
(一同)頂きます。
学童疎開を体験した愛川欽也の言葉です。
お父様お母様。
(一同)おはようございます。
今日も僕たち元気です。
戦闘意欲を駆り立てるニュース映画の裏側で消耗に消耗を重ねていた日本。
映像の端々には勝利を信じて突き進むしかなかった人々の鬼気迫る表情が映し出されていました。
今年の3月に公開されたフィリピンの海底に沈む戦艦武蔵の映像です。
武蔵は戦艦大和と共に太平洋戦争の開戦直後に完成した世界最大級の戦艦で日本海軍の象徴的な存在でした。
武蔵が沈没したのはフィリピン・レイテ沖での海戦でした。
開戦直後から日本が占領統治を続けてきたフィリピン。
しかし大艦隊を擁するアメリカ軍との戦力差は明らかでした。
この消耗戦のさなか特攻隊による体当たり作戦が始まります。
映像に色彩を復元すると使われていた機体の傷み具合が浮き彫りになってきます。
特攻は操縦する人の命と引き換えに爆弾を抱えた乗り物そのものが武器となる攻撃でした。
隊員が酌み交わす別れの杯。
その傍らには見送る人々から贈られた菊の花が飾られていました。
特攻を行った隊員の多くが戦闘経験の浅い二十歳前後の多感な若者たちでした。
ある学徒兵の残した手記です。
戦争をいつどのように終わらせるのか。
戦争指導者の中には一撃を加えたところで講和に持ち込もうという勢力とあくまで徹底抗戦を望む勢力が対立。
出口の見えない戦いの日々が続いていました。
そしてついに銃後の人々が犠牲者となっていきます。
爆撃機B29による空襲が1944年の11月から始まりました。
アメリカ軍の作戦は軍需工場を狙った爆撃からやがて無差別爆撃へとエスカレートしていきます。
大量の焼夷弾が投下され一夜にしておよそ10万人が犠牲となりました。
更に沖縄へアメリカ軍が上陸を開始します。
沖縄戦の映像の大半はアメリカ軍の撮影したカラーフィルムに残されています。
日本の本土防衛の最前線と位置づけられ持久戦が求められた沖縄では住民およそ50万人が戦争に巻き込まれました。
映像には圧倒的な火力の前になすすべもなく焼き尽くされていく様子が生々しく記録されています。
地下壕やガマと呼ばれる洞窟では避難した住民と軍人が入り乱れ無差別化したアメリカ軍の攻撃にさらされました。
6月23日。
日本軍の組織的な戦闘が終わります。
生存者の中には戦場を逃げ惑っていた子どもたちの姿もありました。
これは白黒映像で撮影された7歳の少女富子さんです。
家族とはぐれた富子さんはガマで出会った老人にふんどしをもらい白い旗の代わりにしてアメリカ兵の前に現れました。
(シャッター音)沖縄戦の一方アメリカ軍による本土空襲も激化していました。
機銃掃射の映像からはもはや地上のありとあらゆるものが標的となっていた事が分かります。
これは空襲の巻き添えとなって炎上する名古屋城の映像をカラー化したものです。
戦争は多くの人の命を奪うだけでなく全国各地で積み重ねられてきた町の歴史や文化をも破壊していきました。
7月26日。
アメリカイギリス中国は日本に戦争終結の条件を示したポツダム宣言を発表。
しかし政府の中で降伏を巡る意見が対立したまま結論が先送りされます。
それから11日後の事でした。
その翌日被爆直後の長崎です。
現場を撮影した山端カメラマンの白黒写真の向こう側には色彩を帯びた現実がありました。
写真に添えられていた言葉です。
「市内電車の惨状。
左下の死体は全部乗客の死体である。
原爆の光が当たったやけどで濃い赤色をしていた」。
写真には即死した人だけでなく苦痛に耐えながら救護を待ち続けていた人々が数多く記録されています。
長崎への原爆投下ソ連参戦に揺れた8月9日。
その直後天皇の裁断により本土決戦を主張する軍部を抑えてポツダム宣言の受諾による日本の降伏が決まりました。
その日も開戦の日と同じく青空が広がっていました。
(玉音放送)「朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み非常の措置を以て時局を」。
正午のラジオで日本の敗戦が伝えられます。
それは国民が初めて耳にする天皇の肉声玉音放送でした。
「敵は新に残虐なる爆弾を使用して頻に無辜を殺傷し惨害の及ぶ所真に測るべからざるに至る。
而も尚交戦を継続せむか終に我が民族の滅亡を招来するのみならず延て人類の文明をも破却すべし」。
「惟うに今後帝国の受くべき苦難は固より尋常にあらず。
爾臣民の衷情も朕善く之を知る。
然れども朕は時運の趨く所堪え難きを堪え忍び難きを忍び以て万世の為に太平を開かむと欲す」。
玉音放送から18日後。
日本の降伏による太平洋戦争の終結が正式に認められました。
この時の映像をカラーで見るとテーブルの上に置かれた降伏文書の白さが際立っていました。
日本の敗戦を異国で迎えた将兵はおよそ300万人に上ります。
多くの将兵が死んでいった中で生き残った罪悪感にさいなまれている人がいました。
その一方で玉砕を免れた喜びをかみしめている人もいたといいます。
玉砕戦で生き残り戦後漫画家となった水木しげるの言葉です。
3年8か月に及んだ太平洋戦争。
日本人だけで300万人以上が犠牲となり世界の各地に傷痕を残した戦争が終わりました。
戦後の出発点となった今から70年前。
焼け野原の中である日本人が残した言葉です。

(設楽)ヤー!
(日村)「ヤー!」じゃない。
2015/08/19(水) 00:10〜01:10
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル「カラーでみる太平洋戦争〜3年8か月・日本人の記録〜」[字][再]

戦後70年にあたり、NHKでは太平洋戦争の時代のさまざまな映像を国内外から収集。白黒でのこされた映像の、カラー化に挑んだ。フルカラーでたどる、戦争と日本人の記録

詳細情報
番組内容
3年8か月にわたって続いた太平洋戦争。その間の映像は、戦場での記録映像や、銃後の暮らしを撮ったフィルムなど膨大にのこされているが、大半はモノクロである。戦後70年にあたりNHKでは、この「戦争の時代」を記録した映像を国内外から収集。徹底した時代考証を行い、最新のデジタル技術を駆使して、映像のカラー化に挑んだ。当時を生きた人々の日記や手記にある言葉を織り込みながら、フルカラーでたどる日本人の記録。
出演者
【語り】松平定知

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 報道特番

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