道の駅はコンビニに駆逐される? 誕生秘話と淘汰の時代
田中淳夫 | 森林ジャーナリスト
夏休みに車で旅に出た人は多いだろう。すると、目につくのが「道の駅」。
旅でなくても地方を車で走ると、ロードサイドには欠かせない存在になっていることに気づくはずだ。
今や地方の賑わいの拠点は鉄道の駅ではなく道の駅に移ったと言えるだろう。
現在、全国に道の駅は、1040(2014年調べ)あるらしい。国土交通省にとって「道の駅」は、「街づくり」と「道路行政」を合体させての成功した数少ない事例なのではないか。
さて私は以前、道の駅のアイデアを生み出した人々を取材したことがある。
その出発点は、広島にあった。何も霞が関で生み出されたのではないのだ。
広島には、「中国・地域づくり交流会」という有志の会があった。そこには中国地方の都市計画の専門家や実業家、行政マンなどが集まって地域問題について話し合っていた。
道の駅という言葉は、この会が開いたシンポジウムで出た「鉄道に駅があるんなら、道に駅があってもいいじゃないか」という発言が元になっているそうだ。すでに地方では鉄道は衰退しており、道路の方が重要な交通網になっていたことが下地になっているのだろう。
そこでさっそく、各地の元気なドライブインなどを視察しつつ、実験を行った。島根県のドライブインでアンケートなどを行ってドライバーのニーズを探ったという。
そして「24時間のトイレオープン」とレストラン、物販などの休憩機能のほか、地域の情報発信機能、道路沿いの連携機能など備えた施設の設置を提言に打ち出した。後者は、駅は情報発信と沿線の連携によって地域全体の核となる、という理念からだろう。
だが、この研究だけで全国に道の駅が広がったわけではない。実は、この交流会のメンバーに当時の建設省の官僚が入っていたのだ。彼はその後本省に転勤。そこで交流会で培った「道の駅」構想をぶち上げたのだそうだ。
そして全国規模で実験を行いつつ、1993年に認定事業に仕立て上げた。最初の認定は103か所だったが、その後猛烈な勢いで増えていく。
私は、それを聞いて「アイデアをパクられた?」と思わず口走ってしまったが、交流会のメンバーは自分たちの提言が実現したことを喜んでいるのだから、問題ないのだろう。
さて、またたくまに全国に普及した道の駅だが、さまざまな波紋を生み出している。なかには道の駅に温泉や宿泊施設、公民館まで併設するところもあって、町の中枢が役場や鉄道の駅から移転したかのような自治体もある。道の駅オリジナルの商品開発をするところも現れた。また道の駅を巡る旅も登場している。
それで地域の活性化になったのなら結構なことだ。しかし、そろそろ曲がり角ではないか。
隣接する自治体が競うように建てたあげく、1キロごとに道の駅が並ぶ道路もある。また補助金事業の典型で、売るものに工夫がなく、参加事業者も行政への依存傾向が強い。そもそも何のために建てたのか目的が見えない。むしろ立派すぎる施設の維持費がかさんで、経営を圧迫する例が増えてきた。
そして、情報発信も連携機能も忘れ去られた。むしろ隣の道の駅と足の引っ張り合いが目立つ。初期の頃には比較的よく見かけた、インフォメーションコーナーはほとんどの道の駅で縮小されている。あっても沿線のチラシやパンフを置いてあるだけ。
一方で、今やトイレのほか物販、食事など休憩できる機能も、コンビニの方が充実していたりする。情報が欲しければ、各自がスマホで検索するだろう。道の駅の役割は低下しているのだ。
今後は淘汰が始まるだろう。いや、すでに始まっている。交通の主役が鉄道から道路に奪われたように、生ぬるい道の駅は、コンビニに駆逐される?